パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

困難もある種の刺激?

2008年06月19日 21時03分03秒 | Weblog
人は刺激に慣れてしまって、
次第により強い刺激を求める様になる
映画などではカーアクション、爆破シーン、官能的なシーンなど
これでもかというくらいの刺激のオンパレードで
ご親切に、見ているものにわかりやすく与えてくれる

同じ様にはなかなか考え難いが
ドストエフスキーを読み続けるということは
ある意味同じことなのではないだろうか?
つまり、より強い刺激を求める、と言う点で

「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」など
ドストエフスキーに一旦ハマったら
(その濃厚な感情世界、苦悩に満ちた世界など)
簡単に読めてしまうミステリーなどは
刺激が物足りなくなってしまう

全神経を集中して、なんとか理解しようとして
取り組む本から得られる手応えはある種の快感であり
だからこそ、更に困難な類いの本を求める様になる
若い頃に読んだ長編、哲学書はその類いだ

しかし、最近より強い刺激を求める傾向が
映画の様な安易な方向の面だけ報道され
頑張って難しいものに取り組んでいる
見栄っ張りな学生や若者たちの姿を
あまり伝えていない様な気がしてならない
それはもう今はいなくなってしまった人種なのか?

巨大なもの、困難なもの、そんなものを理解したいとか
味わいたいという感覚は今の人にもあると思うのだが、、、
コメント
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