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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

京都、太秦の広隆寺に行ったのは!

2019年01月15日 08時41分04秒 | 旅・旅行

運動したあとの筋肉痛が翌日以降に出るようになって久しいが
疲労感もその日のうちにではなく、翌日以降に出るものなのだろうか
昨日は何時になく疲れも感じずに歩けたと思ったが
今朝布団から出る時には随分疲れた、、という実感だけが身体に残っていた

昨日は、多分一年ぶりに京都に出かけた
普通はあまり目的地を決めず、京都駅についてから行き先を決める事が多いが
今回は最初から決めていた
行き先は太秦の広隆寺

最近世の中は、どういうわけか隣の国と仲良くするよりは貶したり下に見ることが多くなって
嫌韓とか嫌中という言葉が大きな顔をしている
だが昔はそんなことはなかったぞ!
そんなことを確認するために、このお寺さんに出かけた

京都太秦の広隆寺は渡来の秦氏と聖徳太子ゆかりのお寺さんで
日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれを御本尊として建立したとのこと
この御本尊が国宝第一号の弥勒菩薩でウルトラマンのモデルになったきれいな佇まいの仏像

門をくぐると京都の他の寺(禅寺)とは違ってどこか緊張感に欠けたぼんやりとした
おおらかな感じが境内に漂う
それは奈良のお寺さんで感じるなにかと似た感じ

この広隆寺は特に今年はもっと注意目されて良いお寺さん

上の写真の上宮王院太子殿は、本尊に聖徳太子像を祀っている(普段は非公開)
とても興味深い習わしがある
それは歴代天皇が即位大礼にご着用の黄櫨染御袍(こうろぜんごほう)の御束帯(ごそくたい)が即位後
増進されて各天皇御一代を通じてお召になるというもの
今までの天皇が即位の式典で着ていた服が30年間続いていたが、今年の新天皇即位以後は新しいものに変わるということ
これは毎年11月22日の聖徳太子御火焚祭に御開帳される
とパンフレットには書いてある

この事実自体がとても興味深いが、広隆寺といえば大半の人は「弥勒菩薩」に興味が集まる
新霊宝殿に展示されているのは、この弥勒菩薩だけでなく平安時代に作られた数多くの仏像も展示されている
その中で、今回広隆寺に来て見てみたかったのが「秦河勝」の像
この像は主役の弥勒菩薩像の向かって右横に奥さんの像と一緒に展示されている

実は広隆寺に来るのは三度目だ
一度目は弥勒菩薩を見るため
その時は、この弥勒菩薩像に感動した
まるでその像の周りに空気が、空気清浄機でろ過されているような、とても清浄な雰囲気に満ちて
それが不思議だった
(でもお顔の割に腕が細いなとか身体も細すぎないか、、という気がしたのも覚えている)

二度目(2013年)は、なぜ一度目はそんなに感動したのか、、と疑問を覚えた
眼の前にあるのは、とても美しいと世間の評価のある仏像、、としか響かなかった
そのかわりずっと印象に残ったのは隣の秦河勝の像
渡来の秦氏のトップにあたる人物で、異国の地で自分たちの部族の運命を自ら切り開くような
野心・気力・意気込みがにじみ出るような迫力に満ちて、「秦河勝」の名が忘れられないものとなった

この記憶があったからこそ、三度広隆寺に行ってもう一度秦河勝の像を見たいと思ったわけだ
やはり秦河勝の像は意志の力というか気力が全面に溢れているようで、後世の人々が
それなりの活躍や地位が得られたのは彼のおかげかも知れないと想像した

渡来の秦氏たちは、養蚕機織りや半島の先進文化を輸入することにつとめ、農耕・醸酒・など
に貢献した(農耕では伏見稲荷、醸酒では松尾大社にその足跡がある)
つまりは、当時の日本人は(聖徳太子も)渡来の方々ととても円滑な関係ができており、
違う国から来てるからといって、現在のネトウヨさんたちのように
それだけで人格すらも否定するようではなかった
(そもそもネトウヨさんたちはこうした歴史を知っているのか?)

この広隆寺の近くに蚕ノ社という木嶋神社がある


蚕という文字が使われているから養蚕に関係した神社で、秦氏と関係があることは容易に想像できるが
ここには、知ってると誰かに自慢してみたくなる珍しいものがある
それは三柱鳥居


だがとてもひっそりしていた(ひっそりしすぎ)

そもそも京都の太秦という字は、大きな秦と書く
それだけで秦氏との関係は尋常ではないと想像されるが、
この国の変な人達は、勢いだけがすごい誰かの本(百田氏の)を読んで嫌韓の思いを持ったり
自己満足に陥ったりするよりは、ちゃんとした歴史を学んでほしいとつくづく思う

ところで、京都のお楽しみはこうした真面目っぽい話だけではない
食べ物もお楽しみの一つ
正式なものは値段が張るので、手の届く範囲でささやかなお楽しみを
それが、お雑煮(錦市場の杵つきもち屋)

歩き疲れて糖分補給に虎屋一条店の虎屋菓寮のお菓子


スマホを確認したら昨日の歩行距離は12キロだった
昔は、これでも平気だったのに、、、
今日は骨休め、、かな

 

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京都をぶらり

2017年11月27日 08時56分06秒 | 旅・旅行

勤労感謝の日の「アッシジの聖フランチェスコ」を聴いたあとでは
自宅に帰る電車がないと思われたので、その日は京都に宿泊して
今は見頃の紅葉狩りを楽しむことにした

翌日の朝食はいつもの時間と同じくらいに済ませて、
さっそく出かけたのはホテルから直ぐ近くの東寺
入り口のポスターには、この時期は夜間照明が行われているとあった
(しまった、知っていたなら先日に出かけたのに)
 

東寺は以前来たことがあって、五重塔の立体曼荼羅も訳がわからないが
見たことには間違いなく、それ自体にはあまり興味がなかったので結局境内を
さらっと見ただけでこの場所をあとにした
(変なことが浮かぶのは毎度のことだが、東寺を囲む塀は東本願寺や御所の塀とおんなじで
 これらはきれいだな!と再確認した) 

この日は、まずは1日乗車券を手に入れた
バスと地下鉄のセットで1200円のやつだ
そこから向かう先は、京都国立博物館の国宝展
比較的早い時間だから大丈夫、、と思ったが、甘かった

チケット購入から入場まで手書きで50分のメッセージ
チケットを手にしても、こんな風にしっかり並んでいる
普通なら、こんなに並ぶのはかなわん、、とスタコラと避けてしまうのだが
今回は特別何かが見たいわけでもなかったが、覚悟を決めて並ぶことにした
徐々に入り口に近づいて来た時、後ろにずっと並んでいる人たちを見ると
何やら自分が得したような、、ついご苦労さん、、と声をかけたくなるような気になったのは何故だろう

国宝展は、正直、しっかり見られたとはいえない
入場まで時間がかかりすぎて、少しばかり体力を失い、それにともなって気力も低下 
おまけに陳列された壁近くに多くの人がへばりつくように作品を凝視して列は少しも動かない 
もったいないことだが、こういうときはいつもざっと見るだけにしている
そのなかで幾つか印象に残って記憶に刻まれればそれで良しとしている

あたり前のことだが最初に見るものが印象に残る
それは仏像で、これは単純にきれいだと感じた
仏像の衣装や頭の装飾、その細かな細工の面倒そうなこと
作者の表現意欲 ってのはどこから湧き出てくるのだろう、、と
誰かに命じられて作ることになったとしても、この面倒な作業を喜々として行う人物がいる
喜々として行うこと自体が一種の才能とも思われるが、人の表現意欲の不思議さを感じてしまう
また巻物のところではお経に合わせて文字の横に、仏画を小さく、しかも表情は変えて書かれたものがあった
いろんなことを考える人がいるものだ、、ということと、つい「美は細部に宿る」ということがを思い出した

細部までこだわり、おそるべき集中力で完成する人たち
その当時は芸術家というより職人といわれる人たちの扱いだっただろうけど
改めて人ってのは、いろんな能力のある人が いるものだと呆れてしまった

せっかく入ってざっと見ただけのもったいない国宝展
記憶に残ったものは、円山応挙の松の木に雪が積もった大作
これは何故か良くわからないが迫力があった
有名な神護寺の源頼朝の肖像画はこんなに大きなものか、、とおもったが
細部は人が多すぎて近くで見れなかった
陶器の油滴天目は、確かに綺麗と言うか神秘的な雰囲気まるで宇宙を想像させる 
志野の茶碗よりも井戸の茶碗が自分は気に入った(落語の井戸の茶碗のせいかも?)
字の上手な人の残した巻物の中で、うっすら書かれた文字の上に無作為に(?)
左下に斜めの文字で何かが書かれて、それは文字がうまいと言うのではなく
全体としてビジュアル的にきれいな印象を受けた

結局のところ細かなものは人が多すぎて、大きな作品しか見れなかったが
その他に興味深く感じたのは衣装
白とか黒の絹の衣装かと思えば、よく見ると柄が織り込んである
目立たないけど見る人が見ればわかるというこのおしゃれな感覚、、
衣装には関心がないが、これらのことは女性にとってはごく普通のものかもしれない
ここでも「美は細部に宿る」が生きている

この国宝展は期間中、展示物の入れ替えがあって見られないものがたくさんあったが
この国宝展での自分の発見は「円山応挙」が良かったという点
それを感じただけで、まずは良しとしなければ

この後、将軍塚の大舞台を見に行こうとしたが、交通の便が悪そうなので今回はパスして
むかし紅葉狩りで出かけて、とても良い印象がある「真如堂」へ出かけた
確か金戒光明寺の近くのはず、、で1日乗車券をフルに活用した
金戒光明寺は幕末に会津藩の松平容保が滞在したところ
ひところ土方歳三(新撰組ではなく)に凝った時に、ここを訪れたが
思いの外何もなくてガッカリしたような記憶があるが、
そのあと訪れた真如堂の紅葉は何枚も写真にとってあり、その時は興奮したのだろうと思われた
だが残念、今回は雨には降られなかったが太陽が顔をだす時間が少なかった
紅葉の色は太陽が出てるときとでていない時は随分印象が違う
木々や葉っぱを太陽の光を通して見ると、赤・黄・緑が何とも言えない
写真を撮ることに気を回すと紅葉自体を楽しめないが、それでももったいないということで
光が出た瞬間スマホで撮影したのが

 
この写真ではわからないが、光の下では本当にきれいだった
この場所以外にも赤・緑のグラデーションが見られるところが何箇所かあり
つくづく京都の紅葉は別格の思いを強くした
(その紅葉自体の葉っぱの色と形、枝ぶりは、自然そのものというより
 どこか洗練された緊張感を感じ、その感覚は京都以外ではなかなか感じられない)

しかし、国宝展の立ちっぱなしのダメージは大きくて、この日の集中はあまり続かず
少しもったいない紅葉狩りとなったかもしれない
(昔みたいにあちこち歩きまわって、電車賃分だけは元をとろうなんてことはできなくなっている)
でもつくづく、本当に京都は、京都の紅葉は、、凄い
この紅葉を見ていた時、ふと藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」が浮かんだ
西行の深い「心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」と比べて
小林秀雄の評価は低いようだが、自分は藤原定家のちょっと人工的であっても
凄まじいイメージの展開とその効果が好きだな、、
(これはジョン・レノンの深さとポール・マッカートニーの心地よさと似ているような気がしてる)

ということで、恒例の京都の紅葉狩りは今年も行けた
おみやげは漬物で良いから、、という同居人のリクエストは錦市場でゲット
この日歩いた距離は14キロちょっと、疲れた、、、 

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ミニドライブ(龍潭寺、大河ドラマ館)

2017年02月26日 08時39分38秒 | 旅・旅行

今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の舞台となっている龍潭寺に家族で出かけた
小堀遠州が作庭した言われる趣のある庭 
庭の見方、象徴されているものの紹介の録音がある
なるほど、と思うが寺を出る頃には忘れている(少なくとも次に同じ話を聞いても新鮮に聞けそう)

龍潭寺はそれほど遠くのないこともあって、数回来ているが今回初めて脚を伸ばしたのが
 

NHKで何度か放送されている井伊家元祖共保出生の井戸
龍潭寺から近いのだが、今までは素通りどころか関心すらなかった
でも放送されたのを何回か目にすると、何はともあれ行かねば!という気分に

龍潭寺の前に気賀の関所の隣に設けられた「大河ドラマ館」にも立ち寄った
そこは歴史の勉強と言うよりはNHKのドラマの制作現場の紹介といったもの
3月から新城設楽原歴資料館でも「大河ドラマ館」のこじんまりしたものの企画展があるらしい
こちらを見た後ではがっかりするかもしれないが、自宅からは近いので見ることにしよう

帰りの車の中での会話
みんな歳を重ねて記憶力が自信がなくなってきている
ドラマの役の上での名前がどうも覚えられない(似たような名前が多いので)
直平とか直盛とか直満、南渓和尚よりは、
俳優の前田吟、杉本哲太、宇梶剛士、小林薫が
曾祖父、父、亀の父、そして重要なキーパーソンである和尚である
といったほうが覚えやすいね、、、、etc
このほうがすんなり頭に入っていくが、何度か見ていくうちにちゃんと
正確に覚えられるようになるかもしれないが、数年経ったら
俳優さんの名前と役の名前が一致するかは、、、、自信ない

ところで、この「おんな城主 直虎」
脚本が女性らしいが、なんとなく男の感覚とは違うと感じることがある
彼女は幼馴染の三角関係を元に感情の揺れを含めて描こうとしていると見えるが
男だったら多分もっと戦いをベースに選ぶべき道の損得、戦略的なこと書き込んでいくだろう
どちらがいいと言うわけではないが、男としてはセンチメンタルに流れるよりは
現実にどう向かい合ったかをより見たい気がする



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京都日帰り旅行(伏見稲荷、東福寺、清水寺ほか)

2017年02月09日 10時33分15秒 | 旅・旅行

スマホのアプリを見ると昨日歩いた距離は14.5キロとなっていた
勢いであれこれ歩き回ったが流石に疲れた
石畳の道はモロに身体に響いて腰と背中が痛い
若い時は屁でもなかったことが、、
と またもや凹むが、仕方ない

昨日、我慢に我慢を重ねていた(無理に我慢する必要はないのだが)京都日帰り旅行に出かけた
数日前にJR東海ツアーズで切符を購入したが
前回この切符を買ったときより随分安かった
たしか前回は1000円分のクーポンが付いて豊橋〜京都往復が11900円
それが今回は500円のクーポン、500円の飲み物クーポンがついて豊橋〜京都往復が9900円
随分安くなっていた  
冬の京都の販促のため京都から補助が出ていてこの時期安くなっているのか
理由は分からないが、ありがたいことこの上ない

今回の京都は、少し前に見た映画「本能寺ホテル」が影響して
東福寺付近を行くことにした
その近くには伏見稲荷もある

まずは奈良線に乗り換えて稲荷で下車
降りる人が多い
噂に違わず外国人が多い
特にアジア系のひと 言葉は中国語や韓国語だけでないような気がしたが よくわからない
伏見稲荷が外国人に有名になったのは千本鳥居のおかげ

ここで自撮りしている外国人を多く見かけた
しかし、こんな看板も見つけた

鳥居の価格だ
高いものは130万円 すごいな、自分は絶対奉納しない(出来ない)
写真的にはこんなのも面白い

伏見稲荷は以前にも来たことがある
千本鳥居の終点まで歩いてみようとトライしてひどい目にあった
いつまでたっても終点にならず結局は1時間半位歩くことになって
疲れた記憶があるので今回は入り口付近を少し歩いただけにした

2回目となると気になる点が少し変わっていた
少しばかり古事記にハマった時期もあり、神様の名前もうろ覚えだが
摂社の看板にはそうした御祭神の名といわれが書いてあり
面倒くさがらずに読んで、なるほど、、と思ったが、大半は
何処かに消えてしまった  (仕方ない)

伏見稲荷の次は近くの東福寺に向かった
紅葉の名所だが、それだけでなく重森三玲氏のつくった庭が有名なところだ
その庭のある本坊が映画「本能寺ホテル」に少しだけ使われている
冒頭の一瞬だけだが見た刹那「あれは東福寺だ」と記憶が蘇り
その確認をするために向かった

この庭が、映画に映っていた
でも映画の紹介のHPを見るとロケ地はあちこちで、姫路の方のお寺さんも
一緒くたになって使われているらしい
しかし、今回自分でも少し驚いたのは、この庭の反対側の方向にある市松模様の庭

これが思いの外、良きものとして感じられたことだ
前回来たときもこれは見ている
しかし、あまり感動はしなかった  
有名な人が作庭したと言っても自分には合わないな、、位で直ぐに忘れてしまう
存在だったのが、何故か昨日は すんなりと心のなかに入っていく
大概の場合は一度目の印象が強くて、二回目以降はがっかりすることが多いが
二回目のほうが良いと感じることもあるものだ
(そう言えば龍安寺の石庭も昔より最近見たほうがよく感じた)
時間の経過と言うか、人生経験が良し悪しの判断に影響するということかもしれない
(要は歳をとったということ)

東福寺は奈良の東大寺、興福寺から一字づつもらって名付けたお寺さんで
昔はすごく大きなものだったらしい
なるほど三門のスケールを見ると納得できる

このあと、京都旅行の定番 清水寺へ
あまりにも定番すぎて避けるようになっている清水さん
ただ修理が始まるとその姿が見えなくなる
との旅行の新聞広告に脅かされて、足を運んだ
でも感動したのはお寺さんではなく、その参道

あまり広くない道、大きすぎない店が並んでいる
そこをレンタルの着物を着た若い女性や年配の女性が嬉しそうに歩いている
道というのはあまり広すぎないほうが、程々の広さのほうが
そして整然としすぎていないほうがなにか楽しい気分だするものだ
と理由もなく思ったりする
そして暮らすには大変だが坂の存在
これがなかなか風情をつくる

この坂を下って八坂神社に向かう途中
ふとこんな路地が目に入った

なんと品のいい格好の良い路地だろう
どうも後で調べると「石塀小路」と名付けられているところらしい
この道はもう少し続いていて全体を見ればよかったのだが
その一部しか見なかった(しまったと後悔するのはいつものこと)

八坂神社に着いたことは、足腰背中に疲れが来ていた
硬い石畳の上を歩いたから、予想外にこたえたようだ
疲れとともに気力もダウンして、その後は休むことを考えた
それまでほとんど休み無しで歩きっぱなし

休むところは、まだ離れているが決めていた
そこは錦市場の「杵つき餅や」
ここで京都のお雑煮を食べようと、ずっと前から決めていた

念願の白味噌仕立てのお雑煮
出汁がよくきいていて里芋も美味しくてひとまず満足
しかしこの食事は中途半端な時間
晩御飯には早いし、、かと言って晩御飯を改めてとる気はないし、、

ということで14キロも歩いた京都
京都はいつも某らの発見がある
お寺さんを歩いている時にフイに聞こえる鳥の声
ハラハラと落ちる花びらや落ち葉
緊張感あふれる庭や建物の佇まい
和歌がごく自然に取り入れらている工芸物やお菓子
そして若い女性の品のいいワンポイントのおしゃれ

久しぶりの京都は、結局、今度はいつ、何処にしようか
と考えるきっかけをつくっただけかもしれない
(しかし、正直なところ疲れた)
 

  

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西洋美術館と鈴本演芸場

2016年10月10日 12時18分58秒 | 旅・旅行

ワルキューレ公演の翌日
東京滞在二日目、さて何をしようか?
とずっと前から考えていた
愛知県の片田舎の人間、聞いたことがある地名は少なからずあっても
それが具体的に何処にあるのか、見るべきものはそこにあるのか?
調べるのも面倒な横着者は天気が心配だったので屋根のある場所を選択した

選択肢したのは上野の西洋美術館
ちょっと前、ユネスコの 文化遺産に登録されたル・コルビュジエが設計したところだ
でも建物に興味があったのではなく、そこには屋根があったからだ(雨が降っていたし)

この西洋美術館、実は初めてではない
確か数回見ているはずなのだが、、
美術館で写真撮影が許されているとは知らなかった
(撮影禁止の作品もあったが)

そこでお言葉に甘えて、お気に入りの絵をパチリ、いやガシャっとスマホで

ミロの絵、ミロは好きなんだな何故か(ホッとするというか、優しい気持ちになれるというか)
この絵は図鑑か何かで見たことがある、でもこんなに大きいものとは思わなかった
落書きみたいな絵だけど、同じ落書きみたいなピカソは絵に緊張感が溢れていれるが
ここには張りつめたものはない(と感じてしまう)

確か以前何処かでクリアファイルになっていた絵がここにあった

モネの睡蓮 これも大きな絵だった
さすがに有名だけあってこの前で写真を撮ってる人が多かった

あとはルノワールの数点を記録に収めた

有名でなくても気に入る絵はあったが、それは誰も撮影していなかった
この西洋美術館の常設展は430円の入場料
この価格は助かる
でも展示場に座ってのんびりするところがなかった
一休みするところ、欲しいものだ

ざっと見終えたあと、すこし小降りとなった屋外に!
入口付近には「考える人」「カレーの市民」「地獄の門」の彫刻等が並んでいる
何かしら迫力があるのは「地獄の門」


 何か引っかかるが、それが何か分からない でも良い作品ということは分かる

真面目な屋根付きの会場のあとは、ゆるい屋根付きの会場へ移動

新宿末広亭と並ぶ落語の聖地(?)鈴本演芸場だ

自分が入ったときにはお弁当を食べてる人、一杯飲んで気持ちよくなってる人が少なからず見受けられた
(食事は末廣亭より食べやすい環境にあるみたい)
昼の部ということで一人約15分〜20分の持ち時間を
落語・手品・音楽を使ったパフォーマンス・漫才が 次々と演じられていく
落語家の名前は知らないが、自分の聴く方のコンディションが良かったせいか
(前日から続くコンディションの良さが続いて)
大いに楽しめた
馬鹿馬鹿しい笑いを、真剣になって取り組む、そして磨き上げる
そこを受け入れる人達がいる
文化などと大げさなことを言う気はないが本当に豊かな世界というのは
こういうものじゃないかと感慨にふける

ということで、久しぶり東京への旅の二日間は本当に充実したものだった
来年は「ジークフリート」も「神々の黄昏」もある
また予習しながら、いやぶっつけ本番で楽しむことになるのかな、、

最後に不満をひとつ
新幹線のこだま(豊橋はこだま利用なので)停車する度に何分か待って
抜かれていく
その頻度があまりにも多いので少し苛ついてしまう
もう少しなんとかならないものかな 

 

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芭蕉の句碑(元善光寺)

2016年08月10日 08時11分08秒 | 旅・旅行

家にいたらエアコンをつけっぱなしが予想された昨日
電気代を節約するために涼みにでかけた
(と言ってもガゾリン代を使うから元は取れないが〉

出かけた先は飯田
新城市から100キロちょっと
長野県は「さわやか信州」の言葉通り
光や空気が違う
確かに暑いのだが、暑さの質が違う

と言っても飯田市に何があるのか知らないから
つまりはいい加減なドライブと時間つぶしというわけだ

看板に「元善光寺」という文字を見つけて
そこに行くことにした

長野市の善光寺は知っているが、飯田市の寺に「元」の文字がつく理由がこの由来によるものとは、、

でも寺全体はこじんまりとしたもの、拝観もあっという間に済んでしまう
戒壇巡りも、真っ暗な何処まで続くか不安を覚えさせるということはなく
あっさりと終了してしまう

句碑が2つ建っていた 芭蕉の名が刻まれている

●淋しさは人にこそよれ鳴く蛙

●うらやまし浮世の北の山桜

さすが芭蕉  なんかよくわからないがいいぞ
何故ここに芭蕉の句碑があるのかなどは関心なし

昔の人は車があるわけでもなし、ひたすら歩いて移動したわけだが
とんでもなく根気と体力があったものだとつくづく感心する

ところで、自分の住んでいる新城市にも芭蕉の句碑がある

●こがらしに岩(いわ)吹きとがる杉間かな

●夜着(よぎ)ひとつ祈出(いのりいだ)して旅寝かな 

新城市の俳人 大田白雪に案内されて
鳳来寺山に来た際に読まれたものだという

これも、よくわからんがいいぞ

それにしても、暑い
年々夏が嫌いになっていく、、
 

 

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京都日帰りバス旅行(上賀茂神社)

2016年05月02日 08時48分49秒 | 旅・旅行

去年の龍安寺に訪れて以来の京都へ旅に出かけた
この賑やかなGWの最中、しかもバス旅行で

休み中はのんびりできるというのの
何処かへ行って賑やかなことを実感しないと寂しいような気がして
ついゴソゴソと計画した

思い立ったのは前日の30日
まずは天気が良さそうだったこと
バス旅行にしたのは料金が安いためと
前日のニュースで道路の混雑はなさそうな旨を予想していたから
(でも伊勢湾岸道の四日市・亀山間はいつも込んでいるので心配だったが)
それに前々から一度は試してみたいと思っていたこともある

で、バスの旅は、、、、やっぱり
懸念したとおりいつも渋滞の四日市・亀山間は行きも帰りもしっかり混んでいた
特に行きは事故もあって結局は予定の一時間遅れで到着
仕方ないと思いつつも、次もトライするかというと多少疑問
バスの中はイライラしても仕方ないので、景色を見ながらぼーっとしていたら
いつもの新幹線では感じない京都から他の地区の距離の近さを実感した
伊勢や信楽、甲賀は思いの外京都から近い
これなら朝廷との関係は深くてもさもありなん

今回の京都訪問の目的は葵祭の上賀茂神社
祇園祭が山鉾巡行に日だけでなく一ヶ月ほどの永きに
わたって行われるように、葵祭も15日の時代絵巻のような行進だけでなく
数日間の神事がある

5月1日は上賀茂神社で
競馬会足汰式(くらべまえあしぞろえしき)という儀式が行われることになっていた
と言っても、何のことかわからない
パンフレットを貰って場内アナウンスを聴いてわかった(?)気がするが
どうも5日に行われる競べ馬(こちらが本番)の予行演習のような神事のようだ

始まるのは一時から、少し早く着いたので境内を散策

この2つの三角形の山 どんな意味があったかな
聴いたことあったが、忘れてる


朱色がきれい 
神職の人の服装とマッチしている

ならのおがわ
百人一首の「風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける」
と歌われた川はこの川のことだそうだ
ならのおがわは「奈良の小川 」と勝手に想像したので意味が通じないと感じていたが
ならは「楢」と書いて楢が茂るところの川の意味らしい
以前、五山送り火の日にここ上賀茂神社に来た時は、ならのおがわで子どもたちが水遊びしてて
本当に気持ちよさそうだった
確かに、夏のイメージにぴったりり 

 若者が(今年は14歳から44歳までの乗尻【騎手】)乗って馬の歯を見せる(年齢を確認するため)儀式に
馬は興奮気味で素直に歩かない
嫌がっているようにも見える
若い馬の後ろ足の付け根の筋肉がすごい そして単純にきれいだと思う 
馬は嫌がりながらポトンポトンと自然現象で自己主張(?)
これはご愛嬌  馬を引っ張る人が踏まないか気になって仕方なかった

馬がスタート時点まで歩いて行く
まっすぐ歩くとつい走り出しそうなので、わざわざジグザグに歩かせるのだそうだ(九折南下)

いよいよ疾走開始
いつもは12頭で行われるが、昨年式年遷宮が行われたので 今年は特別に2頭追加の14頭
馬は各地の荘園から提供されることになっているらしい
(それぞれの地区の荘園名が アナウンスされた)
こんな時に「荘園」などという言葉を聞くとは思っていなかったので
歴史の教科書だけで覚えた荘園が妙にリアリティを持って感じられた
(やはり朝廷は大変な権力を持っていた) 

馬の疾走は目の前をあっという間
ドドッ、ドドッと結構重量感のある音で
パカッ、パカッといった軽やかな音ではない
力強さだけが印象に残る
騎手は足を鐙に乗せているだけ、外れないようにはなっていない
馬に乗ると騎手は高さを感じるから恐怖を覚えるだろうか
だからこそしょっちゅう練習をしているとアナウンスが有った

この競べ馬 本番は2頭で走るようだが
ずっと昔、西行が佐藤義清(さとうのりきよ)を名乗っていた時に 
騎手として参加したらしい 

結局、今回の京都旅行はこれだけ
定番の虎屋一条店で季節の和菓子を と思ったが
時間がなかった

出町柳から御所に向かう橋の上から、
下鴨神社を後ろに控える鴨川を撮影
水辺が心地よさそう
 

お土産は節約気味に七味屋さんの七味を3袋
それと笹屋伊織の夏向きのお菓子(有名などら焼きはこの日は売っていないので)
バス旅行で節約しているので家で待ってる人用に
もうすこし奮発しても良いのだが 

ところで京都旅行、次は将軍塚青蓮院の大舞台(のつもり)
とりあえず見なくては!


 

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昔の下宿先

2016年04月06日 20時25分57秒 | 旅・旅行

岐阜市に出かけた
個人的な思い出巡りの旅、見たかったのは2つだけ

昔一時期下宿した家 が今はどうなっているか確かめたかった
バス停の名は覚えている
一年ですぐ引っ越したが、その下宿は魚を扱う家の横手から入って
二階の6畳が自分の部屋だった
市電の音がうるさいかもしれないけど、すぐに慣れる
そんな話を思い出した

バス停を降りると当たり前だが記憶の中の風景と随分違う
だが、見つけた

ここに間違いないはずだと家の前にいた男性に話しかけたが 
その人の語るこの家の苗字も古い記憶を思い出させた 
ずい分前に無くなってしまった市電、バス停近くにあったうどん屋さん
そして今の話など知らず知らずハイテンションで会話したかも知れない

見たかったもの、そのふたつ目は歴史的な家が並ぶ通り(川原町)

 

先ほどの家からそんなに離れていない
先日の馬籠でも気持ちがしっくり来たが、こういう風景を見ると
本当の文化とは何なんだろうと思いとどまらずにはいられない

便利な方がいい
暮らしやすい方がいい
でもそれらを可能とした上で、統一された落ち着きもほしい 
商業施設ではなく人が住む建物、それが醸しだす雰囲気と空気感
あまり高すぎない町並みは空も大きく見える

豊かさってなんだろう
ちょっと考えさせられる 



 

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馬籠に行ってきた

2016年04月02日 08時38分32秒 | 旅・旅行

新東名のインターチェンジが自宅から5分
気候も良くなったせいで知らず知らず外出したくなってきて
先日(3月30日)馬籠に出かけた
所要時間は2時間ちょっと 

既に学校は春休みの最中で、それらしき子供も見られたが
圧倒的に多かったのは中国人の旅行客
バスツアーのコースに入っているようで、昼時は一気に人が消えた
お食事タイムとなっていたようだ

後で家に帰って撮影したものを見ると、なぜこんな写真を撮ったのかと思うことが少なくない 
我ながら美的センスは全く無いことを実感する 

馬籠の宿の距離はせいぜい新城の軽トラ市と同じくらい 
でも坂のおかげで(脚の弱い人には辛いが)風情がある

上り坂は次にどんなものが見られるか?
本能のように上に上に行きたくなってしまうし
下り坂は宿の全体像が見えるし、春霞のかかった遠くの山もなにか落ち着く

そう、確かに何か落ち着く
それが何のせいなのか
木の建物のせい?
同じような古い街でも、昨年の今頃出かけたドイツのローテンブルクは石の建物
すごいなとは思いつつも落ち着くというわけにはいかなかった
やっぱり日本人はヒューマンサイズの木の建物が抵抗感なく落ち着く

それにしても、どんなところにも人は住んでいるものだとつくづく感じる
(馬籠が不便だというわけでなないが)
いくら今の生活に不便でも原風景のように刷り込まれた風景を
あっさり捨て去ることは出来ない人の気持ちがなんとなく理解できる
そして、やはり変化の少なすぎる生活に焦りを感じる若者の気持ちも
(自分を振り返ると)やはり分からないでもない

この日はせっかくここまで来たが近くの妻籠まで足を延ばさなかった
見るべきものを少し残しておくというのも
旅が完結せず、再度訪問しようとする言い訳やきっかけになる
(自分のすることは全部やりかけばかりかもしれない)
 

 

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パリ祭

2015年07月14日 16時34分13秒 | 旅・旅行

7月14日 今日はパリ祭
知り合いの誕生日でもあるが、この日を特別に覚えているのは理由がある

1976年のこの日、自分はパリにいた

後先も考えず、感情に任せて旅にでて
横浜からウラジオストック、モスクワとそれまでは
とりあえず団体旅行ツアーの一員だったのが
パリでいきなり一人に放り出され一気に不安になって 
それでも何とか寝る場所の確保だけはできた翌日が
この日7月14日だった

上の写真は実際にはその日のものではないかもしれないが
シトロエン2CVが現役で活躍しているのが時代を感じさせる

40年近くも前のことになると断片的な印象しか覚えていない
そしてそれは、ほとんどどうでもいいようなこと

交差点を横断する時に右側通行のシステムに
何か感覚的に慣れないと思ってみたり
横断歩道の緑の信号が赤と比べて妙に小さかったり
メトロの入り口と出口のフランス語をなんとなく理解してみたり
メトロの乗り降りは自分でドアを開けるようになっているとか、、

本当に悲しくなる位情けない記憶力だ

他に覚えていることと言ったらシャンゼリゼの通りから
少し離れたところの地下のセルフサービスの食堂で
そこにいた多くの人が白いチーズらしきものとワインをとっていたので
自分も真似したが、その白いチーズの美味しかったこと
(それがカマンベールチーズと知ったのは2ヶ月ほど後のこと)
ワインは美味しいというより安いワインのせいか?悪酔いしてしまったこと
(もっともアルコールに強い方ではなかったが)

人並みに出かけたルーブルはあまりにも大きすぎて
途中で嫌になってしまったこと 
肝心のモナリザは見なかったが
サモトラケのニケがすごくきれいと思えたこと

でも、この日を覚えているのはパリ祭で賑わうシャンゼリゼ通りで
横浜から一緒にツアーをした女性とばったり出会ったから
彼女はヨーロッパで働くご主人とパリで待ち合わせたらしい
(ご主人はハンブルクで働いていた)
そのご主人が、ついでにいろんなところに連れていってくれた
夜のセーヌ川のクルージングもどのくらいの費用がかかったか知らないが
ちゃっかり図々しく楽しませていただいた

でもやっぱり覚えているのは、おごっておらったという事実だけ
あとは照明がきれいだったくらいしか、、 
そしてこの日、無闇矢鱈と車が騒がしかったが、何故?
と聞いた時に「パリ祭だから」と答えてくれたが
このパリ祭と言う言葉だけが深く記憶に刻まれた

年齢を重ねると、無理やり過去を振り返らないようにして
前だけを見ようとしてきた姿勢から
ようやく離れられる様になってきた 

ヘッセの言うように、振り返ってもよい年齢になってきたということ
良いにつけ悪いにつけ、望むものであったかそうでなかったか
いずれにしてもそうした時間の積み重ねが今の自分を作ってきた
と言う事実を、今になって少しの諦めももって受け入れることができる

自分にも若い時があった
後先を考えず、身近な人にも迷惑をかけることになっても
そのことに気づかない自分がいた

時折、こうした過去を振り返ることは
度胸がないと思い込んでいる自分を
本当はそうではないかもしれないと
思い込めるきっかけになっている 

しかし、それにしても覚えていないことと言ったら
悲しくなる
写真も少ないし、、、 

 

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