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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

偏屈者のつぶやき

2024年08月05日 09時26分57秒 | 徒然なるままに

少年時代にサッカーに夢を持ってクラブに入り
何年か過ごしたあと次の段階(大人の選手として認められること)に
進められない人がでてくる
スペインのバルセロナFCでも同じこと
このような場合、コーチたちは上に進めなくなった人に対して
「サッカーだけが人生ではない」と教えるのだそうだ

それまでサッカー一筋に生きてきた人に
こうした言葉をかけるのは非情なのか、それとも温かい目を持っているのか

オリンピックでもそうだ
金メダルを目指して努力する
それは多分、相手も同じこと
ちょっとした運と冷徹な実力差によって希望は叶えられないことは
少しも珍しいことではない
むしろ大半はそう言う人たちだ

次を目指す
リベンジする
それもいい
しかし、それだけが人生ではないのも事実

金メダル至上主義は、商業的な理由によって今は肥大化しているのではないか
ナショナリティを煽り、視聴率を稼ぎ、広告収入を得る
そうしたビジネスモデルに、あまりにも日本人は安易に取り込まれているのではないか

確かに勝ち負けがはっきりする勝負の世界は、見てる分には面白いのは認める
だが、それで瞬間的に興奮して、それが至上の価値かといえば
そんなものでは無いと思う

オリンピック騒ぎのせいで大谷の扱いも少なくなっている
オリンピックが終わればまた元に戻るのだろうが
なんだかなあ、、、こんなんで大丈夫かな、この国は

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熱中症の経験

2024年07月30日 09時25分08秒 | 徒然なるままに

暑いっ!
朝からあっという間に30℃超え
こんな日はエアコンの効いた部屋で大人しくしているのが良い

この炎天下の外出、二日前には無謀にも新城軽トラ市に出かけた
出かけたのは10時頃、駐車場はガラガラでいつもよりも混んでいない
ウォーキングがてら端から端まで歩いたが、これはまさに失敗だった
途中でなんか気持ちが悪くなってきた
「今日は来ちゃダメ!」出店者が言うとおりだ
この日はゆっくり見物はやめ、すぐさま家に帰ることにした

こんな暑い中、昔はよくやったものだ!ということがある
それは午前9時から12時までの少年サッカーの練習
練習場の総合公園のグランドは日陰がない
今ならきっと練習は暑さのため中止の判断がされただろう
(あの時、熱中症の子がでなかったのは本当に良かったと思う)

防災無線ではここ数日、熱中症予防のためグランドゴルフの大会、
ソフトテニの大会の中止との連絡が入ってる
そしてそれは、当然の判断と思う
昔も暑かったけど、こんなに暑かっただろうか、とフト思う

自分には、おそらく熱中症と思われる症状が出たことがある
一つは10年以上前のこと、豊橋祇園祭の花火大会の会場整理みたいなことを手伝った
確か4時くらい(?)から花火大会が終わるまで、水を飲みながら
団扇で風を当てながら、ひたすら早く終わることを望んでいた

体が変だと感じたのはすべてが終わって、家に帰ってお風呂に入って
脱衣場でパジャマに着替えようとした時のこと
急に体が寒くて寒くてガタガタと震えてきた
声もどこか震えている
気温は暑くてたまらないのに体は寒くて寒くてガタガタ震えている
結局、夏なのに布団をかぶって寝ることになった

これは熱中症なのかどうかは正確にはわからないが
自分では熱中症に違いないと勝手に思っている

もう一つ熱中症の記憶は子供の頃の出来事(小学生より小さい時か)
家族そろって豊橋で行われていたサーカスを見に行った
その帰り道、自分は暑さで気を失った
そのころは「男の子は弱いな」との声がよく出ていたが
姉とか妹と比べて自分はよく医者にかかっていた

ただ自分は街を歩いていて気を失う瞬間は覚えているような気がしている
そして、気がついたのは親戚の家で、変な支えをした氷嚢で頭を冷やしていた
このシーンは何故か自分が他人の目で自分を見たかのような映像
として記憶に残っている

いずれにせよ、こんな暑い日は外に出ないのが一番だ

それにしても、かなわんなあ、このクソ暑さ




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停電が怖い

2024年07月20日 08時51分45秒 | 徒然なるままに

暑いっ!
エアコンのない2階でのルーティン作業も我慢の限界は直ぐにやってくる

先日の知人との会話
「こんなに暑いからエアコンがない世界は考えられないね
 停電になったらと思うとゾッとするね」
「だから太陽光発電を考えなくてはいけないかも知れない」
「再生エネルギーとかを考えてのことではなくて
  停電対策としてだね
 確か車はハイブリッドのプリウスだったですよね」
「あれはプラグインハイブリッドでないと駄目」

本当に、エアコンのありがたみを実感するこの頃だが
その分、停電になったらどうしようと考えてしまう
そんな時は、エアコンの効いた喫茶店とかで停電が回復するまで
時間つぶしをしなければならないかもしれない

今日から4日間くらいは猛烈な熱さだとか
今も額から汗が出始めている
夏は面倒なことを考えるのは駄目だ

昔、子供の頃はお昼寝タイムがあったが
お昼寝タイムというのは実は合理的なものかも知れない
と思ったりする
なんだか眠たくなってきてしまった
(5時半起きは、日課が一段落すると眠くなってしまうようだ)


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撮影したい気持ちはわからないではないが

2024年06月14日 09時17分50秒 | 徒然なるままに

富士山が帽子のように見えるコンビニが絶好の写真スポットになって
地域の人の迷惑になって、ついにはそれが見えないように看板を自治体が建てた

人はそこまでして(迷惑をかけてまで)写真を撮りたいか、と思ったっりするが
思い出してみると人のことは言えないかもしれない

その場所に行った人は必ず撮影する写真
それを自分もしていた(ただし、迷惑はかけていないと思う)

ディズニーランドのお城のモデルとなったドイツのノイシュヴァンシュタイン城がそれだ
この写真撮影の場所(マリエン橋)の混雑状況はこんなだ

ご覧のようにすごく混んでいる
だが、それを承知の上で撮影する気持ちはわかる
そこからのノイシュファンシュタインの美しいこと

正直なところ、それを見るまでは少し馬鹿にしていた
通俗的な観光スポット、、まあ、せっかくだから見てみるかくらいの気持ちだった
それでも出かけたのはこの城を計画したのがヴァーグナーの魔力に囚われてしまったルードヴィッヒ2世で
城にはヴァーグナーの楽劇やオペラの場面を彷彿とする部屋があると聞いていたからだ
つまりはヴァーグナーへの興味から訪れたのだった

だが、橋から眺めた城は本当に綺麗だった
ルードヴィッヒ2世は夢のような城を建てたかった気持ちがわかる気がした
そしてこの美しさを求める感性は、きっと孤独ものにならざるを得ない気もした
そして実際のところ、彼はそのような人だった

この橋からの撮影は春・夏・秋・冬 いずれも味があって良いようで
許されるものならトライしてみたいと思う人がいても不思議ではないと思われる

ということで、今日も昔の出来事の振り返り
11年前の6月14日は、フュッセンのノイシュファンシュタインに行った
この日の出費は、ノイシュヴァンシュタイン見学バスツアー、
城内見学料、お土産、昼食、晩ごはんなど(ホテル代抜き)で75.4€だった
(出費記録をつけていた)
浪費家なのか、ケチなのか、、、どうなんだろう


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公共心それとも美意識

2024年06月11日 09時20分10秒 | 徒然なるままに

靴はちゃんと揃えて!
薬はラベルが見えるようにして置くように!
ハンガーに掛ける時はきちんと、、
いつも叱られながら聞くことになるのだが
だらしないことに、なかなか修正できていない

あれ見に行って!
月木の可燃ごみの収集に来た後のネットの様子をチェックするように言われる
カラスがゴミをぶちまけないようにネットでカバーするようになっているが
収集が終わると、ネットはだらしなく広がったままだ

それを我慢できない同居人は、自分で直しに行ったり
このように命令したりしてきれいに畳まれている状態にする

同居人は他の家と道路の境にたくましく咲いている雑草が気になって仕方ない
気にならないのかしら、、、と何回かつぶやいて、そのうちにとうとう草刈りに出かける
道沿いなので交通事故に遭わないか心配だが、暇を見つけてコツコツと行う

〇〇さんの家の雑草もきれいになっていた
と知り合いの家のことを話しかけて来る
〇〇さんも見苦しい雑草状態を我慢できない人だから本当によく働く
そして自分の守備範囲以外も、、、

我慢できなくなってよその場所も手をいれるのはご苦労さんと思うし
それが自然にできる人たちはエライな、、と思う
だがこれは公共心というより、彼女らの美意識のなせる技のように思える

大上段に構えた公共心より、周りに見えるものはスッキリしている方が良い
ただそれだけのような気がする

世の中には同居人と同じようなことをする人が多くいる
結果的に公共的な行為になっているが、その人達もだらしない環境は
我慢出来ないのだろう、、と想像してしまう

ということで、きれいに感じるという感覚は公共的な行為に繋がりそう
と思うこの頃

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ご近所さん

2024年06月05日 08時59分22秒 | 徒然なるままに

田舎はご近所付き合いがたいへん!のイメージがある
地域の役の割当、神社のお掃除、お祭り、子ども会
その他、地元の人なら恒例になっているいろんなものがあるが
新しく引っ越して来た人は慣れるまで時間がかかるかもしれない

「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がある
我が家では幸い遠くにいる親戚も冷たいってことはなく
いろいろ気を使って連絡なり贈り物をしてくれている

ただ毎日の生活の中では、ご近所さんはとてもありがたい
タラの芽の天ぷらを揚げたので!
と季節になればおすそ分けをもってきてくれたり
たくさんもらい過ぎたので!と余ったお菓子をもってきてくれたり
月に一度以上何かを頂いていいる

こちらももらい過ぎが気になって仕方ないが、あげるものがない
だから「切らしてしまったので、ちょっと醤油をかして!」とか
「プランターに植わっているネギをもらって良い?」
とお隣さんから聞かれると、何かお返しができるきっかけと思えてホッとする

田舎の人はかたい!
これは、受けた恩は必ず返すという意味で、本当によく実感する
高齢になったので免許返納した人のアッシー君になって
彼が行きたい場所に同行したりすると、その日のうちにとか数日後には
ガソリン代以上の何かをいただく

別の人も自分と一緒に所要で岡崎まで車で行ったりすると
ガソリン代、駐車場代、高速代などの負担分として
必ずと言っていいほどそれ以上のものをもってきてくれる
先日は「友だちが鯛を釣ったのをもらったので 
店でさばいて、喜んでもらえると思ってもってきました」
と優勝した大の里が手にした鯛と同じくらいの大きなものを持ってきてくれた

その他にも、誰か彼かが季節の旬のものを持ってきてくれる
何か魂胆があってこうするのではなく、ごく自然にこうしたことが繰り返される

ちょっとばかり不便で退屈することはあるかもしれないが
田舎は人間らしい感情生活ができる場所だと実感するこの頃

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徒然なるままに思うこと

2024年05月28日 09時07分25秒 | 徒然なるままに

枕草子も外国語に翻訳されているそうだ
ところが「枕」とつくのが「ピロートーク」を連想させるようで
ポルノっぽい内容と勘違いする人も少なくないらしい

前回の「光る君へ」では枕草子が生まれるきっかけが
感動的に展開されたが、史実とはだいぶ違うので批判的な声も多い
大河ドラマはフィクションとして余裕をもって愉しめば良い
とする声もあるが、そもそも歴史に詳しくない人は
これをきっかけに覚えていくので多少の混乱は生まれるかもしれない

ドラマでは文字が書かれるシーンが多いが、いつも不思議に思うのは
縦に書かれた文字が左右にそれていないことだ
自分が試みたら下の方はどちらかに曲がってしまいそうだ
慣れれば真っ直ぐに書けるのだろうか?
それともまっすぐ書けるようなサイン、印がどこかにあるのだろうか

それにしても昔は中国が、今のアメリカだった
文明とか文化の進んだ国で、日本はそれを身につけるために人を送り
向こうからも人を招いた
そしてその根本となる文化は実用的なものだけでなく、生き様をも
指し示すようなものが多かった

まひろが誰でも役人になれる可能性があると憧れた公務員の選抜試験「科挙」は
実はとんでもなく難しい試験で、これにトライできる家庭は現実には限られていたようだ
どうやら科挙の試験内容は実学だけでなく、今でいうリベラルアーツっぽいものも
重要視されていたそうだ

日本でも上位にいる人々はこうした教養をベースに
そしてノブレス・オブリージュの精神でことに当たるようしていたようだ
知識人・教養人の支配は目先の損得に支配される政治形態よりはましなのか
人はそこまで善人になりきれないから、それよりは多数の意見の集約が可能な
一種の民主主義的な方法が良いのか、、は今も答えのないように思えるが
それでも程々の感情とか懐の深さをもった人が上の立場にはいて欲しい

ホントかどうかはわからないが、最近の国語では小説よりも契約書を読みこなす
勉強が優先されるかもしれない、、との情報を耳にした
馬鹿なことを、、と単純に思うが、過度な実学優先の社会は
いつか大きな間違いを起こしそうな気がしてならない

ということで、例のごとく話はあっちこっちに逸れてしまった
締めを想定せずに進めたからだが、どう進むか考えながら行っているのは
実は作家さんのストーリー展開を工夫しているのと同じなのだろうか
(そんなことあるはずないか!)

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親切な人に会った

2024年05月18日 08時57分39秒 | 徒然なるままに

少しいい話を!

先日、久しぶりに名古屋に出かけた年寄二人(72歳と80歳)
一人はトイカで切符なし、もう一人は現金で切符を購入して地下鉄に乗った

金山駅で降りる人が多かったのか、座席は2人分は空いていた
ただし離れた席で、二人は一人を挟んで座ることになった
その時、真ん中にいた人が二人が仲間連れと感じて
「かわりましょうか?」と言って、席を譲ってくれた
お陰で二人は隣同士で座ることができた
「ありがとうございます」
とお礼を言ったが、とてもいい気になれた

これと同じことが昨日もあった
予約した病院に出かけた我が家の二人
一緒に聞きたいことがあったので、中の待合室で待つことになった
この時も空いた席はあったが、二人は人を挟んで離れて座ることになった
この時も「かわりましょうか?」
との声で二人は並んで座ることができたし、おしゃべりもできた

こういうのは本当に良いな!と思う
ごく自然に当たり前のようにできる
それがとても嬉しくて、気持ちが軽くなる

こういう人が多くなれば、街頭演説に大音響で妨害をして
それを表現の自由などという人はいなくなると思う
つまりは、権利云々の問題ではなく品性とか自己コントロールの問題

自然発生的な親切ができない都会(?)は、どこかおかしいと
都会人自体が感じたほうが良いと思うこの頃

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浦島太郎状態

2024年05月13日 09時37分53秒 | 徒然なるままに

今年は機械ものが連続して調子が悪い
オーディオのアンプの左右の音の出力の違いから始まって
車検で見つかった水漏れとそれから発生した機械のダメージ
洗濯機が途中で運転をストップしてしまう井戸のポンプのエア漏れ
そして車のショックの大きい変速機の異常
これだけ続くと室内のエアコンも不安なので新型を購入することにした
(つまりは予定外の出費が多い)

昨日の日曜日、変速機の部分の交換のためにディーラーに行った
交換に要する時間は不確定だが、すぐにはできないので
その間のための代車を準備してもらった

その車の取り扱いを聞く
車検のときの代車はボタンを押してスタートだったが今回の車もそうだった
当然ながらエンジンキーを差し込む場所などない
近くにキーがあればいろんなボタンが機能するようだ
だが、なんとなくエンジンをかけるという達成感がない
なんか不安だ
シフトレバーも小さくなっていて小物を置くスペースが以前より大きくなっている
ハンドブレーキもボタンを押すだけになっている
これもどうも達成感がない
ハンドブレーキを引くことなど少しも苦痛ではない
むしろ、物理的な作業をさせている実感すら感じる

今はそういう時代なんだろう
そんなことをしなくても良いと思えることまで親切にいろいろ簡単になっている
これも慣れてしまうと当たり前で、今感じていることなどすぐに忘れてしまうだろう
でも、なんだかな、、、

車は今年で9年になる
その間にこれだけの変化があったわけだが、なんだか浦島太郎状態だな!
と自虐的に思う
姉の車もボタンスタートで「あんたの車はそうじゃないの?」
と言われた時には、少し残念な気もしたが
それでもエンジンキーを回して起動させる方が自分は好きだな



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「いちご白書」を思い出した人がいた

2024年05月02日 09時47分30秒 | 徒然なるままに

アメリカのコロンビア大学ではイスラエルのやり過ぎに対する学生のデモが
起きてそれを鎮圧するために警官が突入したニュースがテレビ・新聞に
報道されている

デモが学生の自然発生的なものか、それとも良からぬ人たちの仕業なのか
不明らしいが、心情的には若い人が社会的な不公平感に対し声を挙げるのは
理解できるし、デモが前者の結果であったならばアメリカは
日本と比べるとまだまともかもしれないと思う
(日本はパレスチナの人々の悲惨な状況を見聞きして、何故か行動まで起こす人は
 あまり見かけない)

アメリカはイスラエル出身者のロビー活動が功を奏して親イスラエル政策をとる
ドイツはホロコーストの歴史があるのでイスラエルに対してものを言えない立場だ
だが、この2つの国はそれでも「許されないことは許されない」
との態度を表明する人が少なくない
そして今回はそれがデモの形をとっているとしたら、、、

この報道を見たある人が「いちご白書」の映画を思い出したと口にした
「いちご白書」は映画そのものよりも松任谷由実のつくった歌
「いちご白書をもう一度」のほうが有名かもしれない

自分は学生時代この映画を見た
内容はさっぱり覚えていないが、見終わった後は怒りがふつふつと湧いてきた
のは覚えている
そしてもう一つ覚えているのは「サークルゲーム」という歌
「いちご白書をもう一度」のような切なさを覚えさせる歌ではない
松任谷由実は「いちご白書」を見て情緒的な「いちご白書をもう一度」をつくったのは
いかにも日本人的な感覚だなと思う

物事を感情的に捉えるということ
良い悪いは感情に支配されがちで、感情に訴える技術に優れているということ
どうやらそのような傾向がありがちということ

もしかしたら「いちご白書をもう一度」は今の時代に必要かもしれないと思う
それは歌ではなくて、本当に映画を見ようとの意味で
歌の世界で切なさを感じるためよりも
映画の訴える不条理な社会に対するプロテスト的な意味を感じるために

チャーチルの言葉にこんなのがあるらしい
「20歳の時にリベラルでないのなら情熱が足りない。
 40歳のときに保守主義者でないのなら、思慮が足りない」

そうかもしれない!と経験を踏まえてそう思う
願わくば今の若い人には「いちご白書をう一度」の歌に感傷的になる前に
情熱を持ってほしいと思う

例のごとく、まとまらない話

ところでサークルゲームはこんな曲
「いちご白書」 サークル・ゲーム (訳詞付き) Buffy Sainte-Marie - The Circle Game

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