DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

生きる(35)

2015-05-12 10:03:56 | ButsuButsu


昨日は、私の誕生日だった。

快晴の朝、大学への道が気持ちが良かった。

ただ、午前中はNHKとの会議、新幹線で東京へ移動、午後は学会の会議。

あとは友人との飲み会。

それらはちっとも誕生日らしくなくて、本人も今朝まで忘れていた。

携帯には、娘二人からお祝いメールが届いていた。

息子は、自分の用だけ伝えてきた。

そんなものかな、と妙に納得する。

今週は、東京での仕事だ。

することがたくさんあるのだが、年相応の速さでしか進まない。

焦らない、急がない、休まない、をモットーに、自分らしくこなしていく。

うまくできたら、ありがとうと感謝し、

失敗したら、申し訳ないと謝る。

それ以上でも、それ以下でもない。

今の私にとって、生きるとは、そんな自然の営みの一部でしかない。

生きる(34)

2015-05-11 01:52:12 | ButsuButsu


人生の長い道というが、私の通勤路も結構長い。

ただ、私はこの道が好きだ。

考え事をしながら歩くので、時間がたつのも気にならない。

今日は、やっと本の初稿を完成させた。

面白い内容になったと思う。

これから編集者とのやり取りが始まる。

さて、どのようなコメントが返ってくるやら。

いろいろ悩んだけれども、タイトルは

「琵琶湖から学ぶ地球サバイバルへの道標」

とした。

なんだかよくわからないタイトルだが、一般の人の興味を引くのではと思っている。

この本がたくさん売れたら、モンゴルの少年の手術費にしたい。

ぜひ、買ってほしい。

そんな期待もある。

これも私なりの努力だ。

この年になって生きるということは、結構、しんどいことだ。

生きる(33)

2015-05-09 21:15:08 | ButsuButsu


タホ湖環境科学センター(アメリカ)

琵琶湖を守っていくための行政の責任は言うまでもないが、不況によって公的な研究体制が世界中で衰退していく中で、私が提案したいのは自立型の研究所の設置である。

複数の州や大学が共同管理しているタホ湖環境研究センターも参考にしたい。

欧米では浄財に対する免税措置が発達し、こうした施設の運営は個人や企業からの寄付金を基本としている。

行政による情報統制や一方的なアナウンスによらない、琵琶湖の自由な研究機関を作ることが私の夢でもある。

自然には数多くの事実がある。環境問題は、そのような事実の寄せ集めから、より良い回答を導き出すことではないかと思う。

そのことが、真実の探求につながり、ひいては地球のサバイバルを実現するのではないかと考える。

タホ湖環境科学センターは、2006年10月14日に設立された。

先住民族であるアメリカインディアンのワショ族との協調を計りながら、タホ湖の環境研究と情報提供や交流を目的として設置されたセンターである。

長い年月にわたってこのセンターの実現を支えてきたのは、アメリカにおける陸水学研究の父とも言われる、チャールズ・R・ゴールドマン博士である。

博士は、多額の私費を寄付するだけでなく、関係者からの浄財を募って回った。

彼一人で1億円を集めたという。今でも数多くの彼の弟子がこのセンターの運営に貢献している。

この施設の維持については、ネバダ州、カリフォルニア州、シエラネバダ大学、カリフォルニア大学デービス校、ネバダ州砂漠研究所、ネバダ大学などが共同で行っている。

こんな施設が、琵琶湖にも欲しいものだ。



ちなみに、ゴールドマン博士は、私の親しい友人でもある。

生きる(32)

2015-05-07 00:45:10 | ButsuButsu


森でも多くの生物が生きている。

今日は、トチノキの話をしよう。

***

古木の伐採

琵琶湖の西に位置する高島市朽木では、2008年の秋ころからトチノキが買い付けされ始め、2012年までには60本ものトチノキが伐採さ れヘリコプターによって搬出された。

これらの多くは、樹齢が300年以上の巨木で あった。

なぜこのような古い樹木がこれまで選択的に残ってきたのだろうか。

朽木において森林の保全活動を行っている青木繁は次のように指摘している。

「樹齢数百年を経た安曇川源流に広がるトチノキ巨木林は、かけがえの ない価値と大きな存在感を持ち続けながら、現在まで生育しつづけてきた。

常食であり、また、ある時は非常食として大きな存在を保ち続けて きたトチノキも、時代とともに人々の関心も薄らいでしまった。

そんな中、トチノキ伐採は起こった。」

早速、地元住民や森林所有者、研究者、行政者によって森林地域の保全が開始され、巨木と水源の森を守る会や日本熊森協会などの諸団体が連携 して、売却されたトチノキの買戻しを行った。

ところが、2014年には、琵琶湖の東北部に位置する木 之本において、あらたにトチノキの伐採計画が起こった。

行政にとっても盲点としていた場所だった。

このことは、森林にしても琵琶湖にして も、常に関心をもって接しなければ、急激に環境が破壊されることを如実に示している。

こうした反省から、認定NPO法人びわ湖トラストは、親子を招待して湖上学習貝やトチノキ観察会などを行ってい る。

こうした市民レベルでの地道な取り組みが、環境保全に関する世代間の対話を促進し、未来において豊かな社会基盤を創生することを忘れ てはならない。

***

こうして、木之本のトチノキ伐採を阻止する取り組みも、大詰めを迎えた。

森の木の多くは、いずれかは切られる運命にある。

しかし、長年、森の主のように保護されてきた古木の伐採は、慎重にすべきだろう。

日本の民は、そうした古来からの知恵の中で生きてきた。

戦争中に禿山となった森の中でも生き抜いてきた、数百年もの古木の伐採には、それなりの理由が必要だ。

単なる人間のエゴだけで壊してはいけない。

生きる(31)

2015-05-05 08:33:52 | ButsuButsu


突然の訃報だった。

大学の先輩であり、人生の先達であり、びわ湖の友人だった、武田和忠さんがなくなった。

武田さんは京都大学理学部を卒業したのち、サンヨー電気に勤めた。

その後、退社して、武田技術士事務所を立ち上げた。

学生時代にはカヌーを趣味とし、カヌーでびわ湖一周を成し遂げた。

続いて、瀬戸内海横断も行った。

1993年に、びわ湖で新しい遊びを見つけようとして「遊湖の会」を一緒に立ち上げた。

1997年には、無人ソーラーボート大会を組織し、審判委員長として参加してきた。

2008年に、NPO法人びわ湖トラストを結成したときにも、発起人・会員として加わった。

新しいことが大好きで、何事にも興味を持って取り組んでいた。

古い地図を集めることも好きで、新しい地図が手に入る度に、電子コピーを持参してくれた。

この写真に映っている板倉先生もすでに他界された。

長年の友人が次々と亡くなる。

残念なことだ。

悲しくてやりきれない。

びわ湖を大切に思い、びわ湖で遊んできた人々がいなくなることは、この湖の未来に不安が生まれる。

私にできることで、何か貢献したいと、改めて思う。


生きる(30)

2015-05-05 06:26:33 | ButsuButsu


人間は、何のために生きるのだろうか。

みどりの日の昨日、1年ぶりのパーティに参加した。

大学の先生のお宅だ。

食事の後に、サプライズがあった。

父娘のダンスだ。

エネルギッシュに躍る娘さんの後ろで、汗をかきながら懸命に手足を振るお父さん。

生き生きとした二人を見ていると、生きる意味の一つが見えてくる。

私たちは無限に生きれるわけではない。

その瞬間を、悔いなく、楽しく生きることに徹する方がよい。

辛いことがあるかもしれないけれども、後悔しない方がよい。

今日はこどもの日だ。

この国の、そして地球上の子供たちが、元気で健康であってほしいと思う。

生きる(29)

2015-05-04 14:16:39 | ButsuButsu


久しぶりに蛇の散歩を見た。

本土ではあまり見かけない種類だ。

図鑑で見るとスジオナメラに近いのかもしれない。

とすると沖縄あたりの産なのか。

気温が上昇すると、このような暖かい地方の動物が増えるだろうな。

そう言えば、NHKからの取材が入ってきた。

琵琶湖の環流を撮影しようと持ちかけられた。

気温が急上昇しているから、そろそろ形成されつつあるのかもしれない。

一般には8-9月がもっとも美しいはずだが。

5-6月の撮影もありかな。

やってみるか。

何をするにも、逡巡する年代になってきた。

生きる(28)

2015-05-03 13:46:58 | ButsuButsu


通りのそこかしこには、ツツジの花が盛りだ。

ツツジの漢字は「躑躅」と書くそうだ。

もとの読みは「てきちょく」で、躊躇(ちゅうちょ)と同じ意味を持つのだそうだ。

立ち去るのを躊躇するくらい美しいのだろうか。

ただ、こんな難しい字、とても書ける気がしない。

ツツジは万葉集の中でも歌われているので、古くからあった木なのだろう。

花言葉は「自制心」「節制」という。

つい数日前に地震があったネパールの国花だそうだ。

まだ、消息がつかめない友人も数名いる。

早く災害から復旧できればよいのだが。

今日は憲法記念日だ。

改憲とか護憲とかの議論がやかましいが、戦後70年間、曲りなりにも戦争に巻き込まれなくて生きてこれたことに感謝したい。

憲法改正の議論は、「躑躅」くらいの調子でよいのではないだろうか。

拙速に変えても、過去70年より良い世界が訪れるとは考えにくい。

ただひたすら平和な世界を望むだけだ。

生きる(27)

2015-05-01 08:09:48 | ButsuButsu


ついに5月だ。

私の大好きな季節がやってきた。

空も青い。

心も軽い。

この1か月、懸命に頑張ろう。

そうすれば、何か良いことがありそうだ。

今日は、論語 学而第一より

***

曾子曰、吾日三省吾身、為人謀而忠乎、与朋友交言而不信乎、伝不習乎。

曾子曰く、吾、日に三たび吾が身を省みる。
人の為に謀(はか)りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝えしか。


曾子が次のようにおっしゃた。
私は1日に3回、我が身を反省します。
人のために何かをするとき、相手に誠実だったろうか。
親友と交わるとき、信頼が十分だったろうか。
習熟していないことを、伝えたりしなかったろうか。

***

反省は大事だ。

ちなみに、出版で有名な三省堂の名前の由来は、ここから来ている。

「不忠、不信、不習」が社訓だそうだ。

1881年に創業だというから驚く。