「時は流れるものだ」
実感として感じながら、私はアヴェニューの長い坂道を登った。
35年前、自転車に乗って行き返りしていた坂道が、何と長く感じられることか。
距離としては4キロメートルほどだが、単調な上りに疲労がたまる。
年は取りたくないものだ。
レトロがかった郵便ポストに自分の姿を重ねる。
明治時代に日本の郵便制度は英国から導入されたので、ポストの色も形も同形だ。
「こいつは変わっていないのだな」
ふと微笑ましくなる。
35年前と明らかに変わっているのは、バス停の表記だ。
以前は時刻表すらなかった。
驚いたことに、立派になった停留場には,デジタルの表示板までついている。
誰一人待ち人がいないバス停に、到着時刻を知らせる数値が妙にアンバランスだ。
坂道を登りきったところに大学がある。
以前、私がいた海洋学部は、今はウォーターフロントへ引っ越している。
さらに10分ほど進むと右に折れる。
少し道に迷いながら懐かしい門にたどり着く。
35年前、大きな荷物をかついでやってきた、大学の寮だ。
グレンエアーコンプレックス
2012年に車で来た時には、見落としてしまった看板だ。
中に入るとレンガ造りの建物と、コンクリートの建物とが一定の距離をとって配置されている。
入寮するときに
(1)とても騒がしい部屋
(2)騒がしい部屋
(3)普通の部屋
(4)静かな部屋
(5)とても静かな部屋
の5段階から選ぶことができた。
私は最初(3)の部屋を選んだのだが、早々に(5)へ変更する羽目となった。
日本人にとって「普通の部屋」は、イギリス人にとって「とても静かな部屋」に相当することを知った。
最終的に落ち着いたレンガ造りのフラットは、私の生活にあっていた。
こうして暮らした2年間は、多くの思い出にあふれている。
35年ぶりにたどり着いた記憶のつながりは、出会いの場所でもあった。
ここで初めてブライアンとも会った。
ワインレッドのジャガーで迎えに来てくれた中年のおじさんは、寮でも話題だった。
その彼は、今はいない。
次々と思い出が広がる。
35年ぶりのゲレンエアーは、ちっとも変わらずにあった。
時は流れるが、変わらないものもある。
この事実に、少しほっとした時間を過ごすことができた。