バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

神を愛するとは 02

2023-12-10 04:00:00 | 聖書の中なかの聖書 申命記
申命記
6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。

 6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、

あなたの神、主を愛しなさい。

 6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、

 6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、

寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。

 6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、

 6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

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神を愛するために神は様々な方法で介入されます。

私の証から述べます。

まず、第一段階は、最愛の妻を失ということが起こりました。

それまでの結婚生活は17年間です。

その間、人間的には、妻を熱愛していましたが、

真に主の前に彼女を愛していたかを神の前に問われると

人間的な愛の方が優っていたのです。

本当に妻の喜ぶことなら何でもするということを優先させてしまいました。

しかし、結婚と同時に家庭の事情で莫大な負債返済のために

多大な犠牲を妻に強いてしまったことに対して、

私自身が妻への罪滅ぼしという強い思いがあって、

ともかく仕事に邁進していきました。

本来ならば、家の莫大な借金を返済した段階で


1・ただちに同居の家から出て、夫婦だけの生活を立て直し、

信仰中心の家庭を建設すべきであった。


2・保険営業を捨てて、夫婦で最初のビジョンに向けて

歩みを開始すべきであった。


3・十字架の信仰をまずすべてに優先すべきであった。


これらをせずに人間的に妻に申し訳ないし、

恩返しをするという人間的な方法で成功する道を歩んでしまったことです。

このチャンスは結婚してから保険営業が成功し、

数年の予定がわずか3年で返済してしまったので、

その時に決断すべきでした。

それをしなかったのは、真に十字架を見上げていなかった

実に愚かな人間優先と日本教、そして世間教にほかなりません。

それは世間様から後ろ指を刺されないようにを優先させて

走り抜いてしまったのです。

私たち夫婦に第三子として長男が与えられましたので、

保険営業を法人化して、長男に継承させようとしましたが、

これは大きな選択の間違いでした。

ちょうどバブル経済にも便乗して、会社はとんでもない利益が出て、

従業員も多く採用し、保険代理店だけではなく、

経営コンサルティングやFPビジネスへと多角化していきました。

そこで一番、苦労を掛けていたのが妻でした。

その上に長女が不登校、後継者として期待していた長男が

言葉の発達の遅れなどで増々、妻に負担をかけていったのです。

それが分からずに十字架を真に仰がない愚かな歩みであったのです。

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