私がパスカルに出会い、啓発されたのは2007年でした。
パスカル著作集を一人で翻訳された田辺保(注・01)の書かれた
「パスカルの信仰」を名古屋聖文舎で購入したのです。
この年に数回も読んで赤線が引かれているこの本を何と今年、
自分の本棚でみつけて読み直しました。
田辺先生はその翌年、天に召されましたがその前年に書かれた
「パスカルの信仰」に自分自身がパスカルとともに歩んで来られた
人生の総括をされておられ、自ら真のパスカルが
経験した回心とその後を書かれている田辺先生の信仰告白となっています。
私も聖霊(神)を韓国で1993年に受けて、献身することに方向転換しました。
そして断食祈祷院を運営するようになり、
牧師として歩み始めて14年経過していた時に出会った本でした。
毎日、聖書のメッセージをしていても、何かもの足らず、
心の飢え渇きを覚えていた時に出会ったのです。
サブタイトルは、「パスカルとわたし」とあり、田辺先生も死を前にして、
多くのパスカルに関する著作を公にしておられるにも関わらず、
神体験の少なさを告白しておられる赤裸々な文に私も感動したのです。
私もその後、パスカルの話を何度も断食祈祷院での
毎朝のメッセージで語っていたのですが、
それも2,3年でしなくなりました。
今思うと何と内容がピンボケしていたと恥ずかしくなりますが、
それから15年以上も近く、パスカルから離れていました。
しかし、福井県立図書館の「哲学」コーナでパスカルの本と出会って
私の本棚を見たら「パスカルの信仰-パスカルとわたし」があり、
読み始めました。
読み進めていくと2007年になぜ私が何度もこの本を読み直していたか、
思い出しました。
それはパスカルの回心記にあったのです。
そこで田辺先生の(パスカルの)「最初の回心」について書いておられ、
それを紹介しつつ、私の今の感想も含めて、書いていきたいと思います。
それと最近、福井県立図書館で出会った竹下節子さんの新書版
1・キリスト教は「宗教」ではない
2・キリスト教の真実
に出会い、この書を通して、私は新ためて
フランスをはじめヨーロッパの根底に
十字架の福音が力強くあることを知りました。
竹下さんは東大教養学部で比較文学を徹底的に学ばれ、
パリ大学でカトリック史を専攻し、パリに在住の比較史・評論家として
活躍されておられる方です。
田辺さんの本もそうですが、竹下さんの指摘のように日本がまったく
キリスト教の本質を見ていない国であり、
それがこれからの国家運営をも大きく狂わすことになるという危機感です。
日本の無宗教という真の神を求めない国民性は、国家だけではなく、
企業もそして日本国民も聖書が語っているように
神が導くという、羅針盤なきゆえに
とんでもないところに再び導かれていくような気がしてなりません。
私たちが先にイエスに贖い出された者の責任として
どんなに小さくても防波堤にならなければならないと思います。
パスカルもそのような自覚があって「パンセ」を書いていたのですから、
私も細々とこのようなブログを書き綴っていく決意です。
田辺保(注・01)
1930年9月26日 - 2008年3月18日
京都府生まれ。1951年大阪外事専門学校卒業、1953年大阪外国語大学卒業、1959年京都大学大学院仏文科博士課程単位取得中退、1960年大阪外大助手、1961年講師、1961 - 1962年パリ大学へ留学、1965年大阪外国語大学助教授、1972年教授、同年岡山大学法文学部教授、1976年「パスカルの世界像」で京都大学より文学博士の学位を取得、1985年大阪市立大学教授、1993年定年となり名誉教授、神戸海星女子学院大学教授、2001年定年。 1974年フランスより教育功労章シュヴァリエ受章(「田辺保教授の経歴と業績」『神戸海星女子学院大学研究紀要』2000)。パスカルとキリスト教文学を研究し、多量の著作と翻訳をおこなった。