申命記
6:4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
6:5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
6:6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、
6:7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、
寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
6:8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、
6:9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2回ばかり本題からそれてしまいましたが、7節からみますと
1・家に座っているとき
2・道を歩くとき
3・寝ているとき
4・起きているとき
と4つの「〇〇とき」は全生活の意味ですから、全生活を用いて、
子供たちに繰り返し教えなさいということですが、
それは当然、大人たちにもおなじことです。
これは戒めのインカーネーションです。
全生活の中に戒めを刻み込み、守り抜けというのです。
それが神への愛であり、神から愛することを命じておられることなのです。
それは福音も同じで、イエスが多くの律法の中で
2つの戒めに尽きるといわれた戒め、
すなわち
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』
に生きることがクリスチャンなのです。
しかし、ユダヤ教はそれを形式的に文字的に捉えて、
死だ言葉にしてしまったのを
イエスが十字架の死と復活で生きた戒めとしてくださったのです。
それをキルケゴールは「愛の生命と支配」と
いう著述の中でこう書きました。
愛が命ぜられる時に愛は変わらない、
確乎たつものになるのです。