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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

キリストの食卓 11 レビの家での食卓 01 徴税人レビ 01 汚れた者・罪人とみなされていた

2024-05-31 04:00:00 | キリストの食卓
マルコによる福音書
◆レビを弟子にする
 2:13 イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。

群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。

 2:14 そして通りがかりに、アルファイの子レビが

収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。

彼は立ち上がってイエスに従った。

 2:15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。

多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。

実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。

 2:16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と

一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、

「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

 2:17 イエスはこれを聞いて言われた。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

ルカ5:27-32、マタイ9:9-13

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イエスの公の活動の初期に起こった弟子たちの召命記事の一つが

ガリラヤ湖畔であるカファルナルム(注・01)付近の

徴税人であったレビの家で起こりました。

この当時はローマ帝国の支配下にあり、

ここに住む人たちは支配者の異なる領地を横切る時には

通行税が必要でした。

その税の徴収は徴税人(注・02)たちでした


カファルナルム(注・01)
ガリラヤ湖の北西岸にある町のことである。今日のイスラエルのテル・フームにあった。口語訳聖書ではカペナウムと表記。新共同訳聖書ではカファルナウムと表記。日本正教会訳聖書ではカペルナウムと表記される。地名は「Kfar Nahum」、「ナフームの村」を意味する。イエス・キリストの公生涯の宣教のうちもっとも重要なガリラヤ伝道の本拠地になった。聖書では、旧約聖書には登場せず、福音書にのみ登場する。故にバビロン捕囚以降に建設されたと言われる。ローマ帝国の属州だったユダヤのローマ軍の駐屯地として栄え、収税所があった。イエスにとって自分の町であったと述べている。イエスはここで、中風にかかった百人隊長のしもべや、熱病で寝ていたペテロのしゅうとめ、汚れた霊に疲れた人、4人のものに運ばれてきた中風の男、などを癒した。また、カペナウムの役人の息子の病を癒した。五千人の給食やいのちのパンの説教はカペナウム会堂でなされたと言われる。また、マタイの福音書を記した、元収税人マタイの召命もカペナウムで行われた。イエスのこれらの活動にもかかわらず、カペナウムの人たちは悔い改めなかったので、この町は「ハデスに落とされる」と滅びることを預言した。現在は廃墟になっているが、正教会の七使徒聖堂が1931年に建設されている。(ウィキ)


徴税人(注・02)
福音書に記されている取税人はおもにローマ帝国の税金(租税や関税)を取り立てる徴税請負人や集金に当る下級税吏(役人)のことです。新約聖書の時代、地方の租税や関税はローマ帝国によって直接徴収されず、徴税請負人に請け負われていました。この請負人はさらに下級官吏(たいていの場合、被征服民族から採用)に税金を徴収させていました。こうすることによりローマ帝国は危険や損失なしに確実に収入を得ることができたのです。こういう徴税システムの中で、徴税請負人と集金人はできるかぎり金儲けをしようと試みました。ローマ政府は税額の査定をするだけで、その取り立ては取税人に任せたので、取税人は相当の利幅をとって私腹を肥やすことができました。民がこうしたことを訴えても、ローマ政府は確かな収入源を失いたくないので耳を貸しませんでした(ルカ 3:12~13、19:8)。このことのゆえに取税人はローマの属州の至る所で同胞に憎まれ、ここユダヤにおいても例外ではありませんでした。取税人は「強奪者」と目され、嫌悪の的となっていました。特に厳格なユダヤ人は、取税人が常に異邦人と接触していたことから「汚れた者」罪人と見なしていました。(牧師の書斎から引用)

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