ヨハネによる福音書
2:1 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、
「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。
わたしの時はまだ来ていません。」
2:5 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、
そのとおりにしてください」と言った。
2:6 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
2:7 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、
召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
2:8 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ
持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
2:9 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。
このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、
世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、
酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、
その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
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日本のキリスト教会では、コロナ禍以降、
聖餐式のパンとブドウ酒(またはジュース)が、
小さなパッケージセットになり、
聖餐式がともかく味気ないものとなってしまいました。
以前、ドイツのマリア姉妹会で聖餐式に預かった時、
ぶどう酒が大きな盃に入れられ、回し飲みでしたが、
その空気が今思うとまことに最後の晩餐のような
霊的な厳粛さが忘れられません。
そしてイエスが今も私たちともに聖餐式に
まさにいのちの糧を与えてくださることを実感しました。
日本ではまだそこまでの厳粛な聖餐式をこの30年間、経験していません。
そこで私たちはイエスの食卓につき、その食卓に預かる喜びを
まず聖餐式で味わい、その次に教会の会食会で味わうようにしましょう。
教会ではイエスの食卓をいつも念頭においた配慮をすべきでしょう。
私たちもクリスチャン家庭、夫婦ならば、毎日の食卓についた時、
カナの婚礼のようにイエスをそこにお迎えし、何でもイエスに語り、
話す祈りを第一とていきましょう。
カナの婚礼はいつものあなたのすぐそばにあり、
そこにおられるイエスを中心にしていく食卓を形成していきましょう。