パスカルは罪の本質を見抜いていました。
人間は人間にとって狼である
パスカルのパンセはその罪の根を見ている恐るべき書なのです。
まさに今日の甘いヒューマニズや近代で唱えられている
安価な平和主義など一瞬にして吹き飛んでしまうものです。
最近、県立図書館で借りた
「ヒトラーとナチスドイツ」を一晩で読みましたが、
なぜあのドイツが詐欺師的なヒトラーに巻き込まれていったのか、
著者の石田さんは書いていませんが、この書を通して、
ドイツを支配していた「安価な恵み」に安住していた
ドイツ人のキリスト信仰を操ったからだと思いました。
それを見抜いていたのは、ボンヘッファーとK・バルトなど
極めて少数の神学者だけでした。
パスカルも同様にフランスを覆っていた安価な平和主義、
安価な甘いヒューマニズを吹き飛ばす罪の根源を知っていたのです。
パスカルは科学者として若き日から注目を浴び続ける反面、
どうすることもできない病に弱り果て、
相当衰弱している中でもがいて戦おうとしますが、
ボロボロに敗れ果てます。
この苦闘の中で妹ジャックリーナは修道院で
兄よりも更に深く信仰の道を究めていきます。
そして妹はポール=ロワイヤル修道院に入ることを決意していきます。
パスカルは妹は真逆の道を進んでいこうとします。
そのようになってしまったのは、
パスカルの深刻な罪との格闘を理解できない指導司祭が原因でした。
病気が一層、悪化していくパスカルの担当する医師たちは、深刻に考えず、
遊べ、気張らせと勧めたのです。
そしてパスカルの社交生活が始まります。
この様子を姉は次のように語ります。
弟は初めからずっと今まで宮廷内で育ってきたいみたいに
実に愉快そうな様子を示し、
実に楽しそうにふるまうさまがよくわかるのでした。
これまで物言わない計算機発明の機械など物質とだけ対応し、
自分の頭の中で数式や理論を扱うだけの20代。
しかし、30歳になってそれとは全く異質な、
生きて働く科学者では泊できないフランスならではの
貴族のサロンという派手やかな社交界に遭遇し、
接触し様々な発見をしていきます。
パンセの中でこういいます。
私は抽象的な学問の研究に長く携わってきた。
そしてそういう研究から得られる交わりが、
あまりにも少ないのがつくづく嫌になった。
人間の研究を始めた時、私は
こういう抽象的な学問は私には向いていないこと、
それを知らない人たちよりも、
それを深く極めている私の方が自分自身の条件について、
迷っているところが多いことに気がついていた・・・