太った中年

日本男児たるもの

食のクオリア

2008-03-20 | weblog

「脳と仮想」 茂木健一郎著

数量化できない微妙な物質の質感=クオリアをキーワードとして、意識の問題に切り込み続ける気鋭の脳科学者が提示した新しい概念「仮想」。心とは何か。どこから生まれてくるのか。小林秀雄を出発点として、漱石、一葉、ワグナー、柳田国男、三木成夫…幾多の先人の痕跡を辿りながら、近代科学が置き捨ててきた「心」の解明へと迫る、脳科学の最到達点、画期的論考。

(アマゾンブックレビューより)

そんなワケで、昨日から引き続き、オツムの中身のこと。この文庫本を持ってフィリピンに来たけれど、まだ中沢新一のあとがきと小林秀雄のところしか読んでいない。今のところ、「あー小林秀雄ってそうだったんだ」っていう感想程度。

それから昨日のエントリーでJetさんのコメントにある「瀬名秀明のブレインバレー」。瀬名秀明はパラサイト・イヴの人ですね、ブレインバレーは読んでないから、これは帰国したら読もう。なかなかこういう機会がないと本を読まないからなぁ。

今日のテーマ「食のクオリア」は、つまり、食=味覚は数量化されない微細な脳の質感(クオリア)によって知覚されるんじゃないのかな、そう思いついて茂木さんの本を買って持ってきたけどね。

物質である脳の老化=劣化は免れようのないことで、その予防から身体によいとされるオプティマルな食事の自炊を始めた。従って、健康食は健康のための食事というより、あらゆる医療行為がそうであるように脳と身体の延命措置だ、そんな風に考えている。あと、料理しているとき、自分の脳が味覚の決定(美味しいと感じる感覚質の飽和点)がどうなされるのか興味があった。ボケたら知覚出来ない。

・・何かまとまりを欠いている、まあ、いいか、今日はこれで終わり。