太った中年

日本男児たるもの

コーヒーカップ

2008-03-08 | weblog

ミシュラン・マニラで三ツ星をプレゼントしたガリレオ・エノテカ。ここは本店と支店があり、初めて行ったのは借りているアパート近くの支店だった。ここでコーヒーをオーダーしたワケだが、実はこのとき、思いもよらぬカルチャーショックを受けた。

それは、運ばれてきたコーヒーの味ではなくて、コーヒーカップのデザイン、正確にはコーヒーカップのソーサーのデザインに強烈なインパクトを覚えた。

そのソーサーは中心からカップを端にズラされていて、まず見た目の驚きがあった。そして、ソーサーに置かれたティースプーンには小さなチーズが添えてあった。デザインの機能を最大限に利用して、遊び心の面白さと楽しさが同居していた。

塩気の強いチーズを食べてコーヒーを飲み始めるとBGMに映画音楽ゴッド・ファーザーのテーマ曲が流れはじめた。ニーノ・ロータの名曲だ。壁に飾ってあるイタリア農村をモチーフにした素朴な絵画も素晴らしく、全てがイタリーの雰囲気だった。

いつも写真を撮るけれどそれを忘れ、コーヒーの味さえも覚えていない。その後、数回足を運んだけれど、喜ばしき忘我の体験が写真とコーヒーの味を忘れさせる。

40も半ばを過ぎて、もう欲しいモノなどこの世に存在しないと思っていた。しかし、このコーヒーカップは我を忘れ、お店のスタッフに身振り手振りで「いくらでもいいからこのコーヒーカップを売って欲しい」と頼んでみたが、結局、ダメだった。

諦めきれず、日本語がわかる現地ドライバーと本店へ行ってオーナーの奥さんに直談判したけれどダメだった。益々欲しくなり、帰国してからも手を尽くして探した。

ジャスコのなかにある輸入調理器具を扱うテナントに中心のズレたコーヒーカップがあった。しかし、それはミニチュアで話にならない。いつもコーヒーはストレートで飲む。ティースプーンは使わないから、そこに何を置くか考えることに一番の価値がある。実用でないと意味がないからミニチュアを見たときはガッカリした。

ネットでいくら探してもナイものはナイ。半ば忘れかけていたところ先般のミシュラン・トーキョーで行った春秋では、なんと、中心のズレたコーヒーカップが使われていた。

「さすがオーナーの杉本氏は唯一イタリアで認められた日本人のインテリア・デザイナーだ」と、言いたいところだけれど、ソーサーがステンレスでカップが白い陶製だった。日比谷店は「ツギハギ」がコンセプトだけど、これはいただけない。しかもスプーンの上には何もない。ミニチュアのときよりも落胆してしまった。

そうこうして比国珈琲事情をエントリーしたとき、またガリレオ・エノテカのコーヒーカップを思い出だした。このとき、何気なくネットで検索したら、呆気なく見つかった。

おお、あった、コレだ

無欲で勝ち得たこのソーサーとコーヒーカップは既に手元にある。格別のコーヒーを飲みながらこのエントリー記事を書いている。普段なら購入先をリンクするけれど、その気になれない。欲しかったもの手に入れた充実感がそうさせる。幸せな気分だ。