「径寸十枚これ国の宝にあらず一隅を照らす、これ則国の宝なり」
この一節をリフレットに掲げてありますが、「径寸」がどうも調べても出てこないとご指摘を受けました。
※径寸十枚・・・「けいすん」と読みます。財宝のことですね
寸もある大きな宝石(財宝)より、自分のあるべきところを照らす存在の方が社会(国)のためになるという意味だと教わりました。
この一節は書家の父から聞かされたり、近くの笠森寺に大きな看板で掲示されていたことを覚えています。
そんな訳で皆さんが一隅を照らせば世の中がどんどん明るくなるということですね(^^♪
昨日、今日と後援会活動を行っていると良いニュースを一つずつ聞きました。
一つ目はお孫さんが長生高校に合格したそうで、それも次席だそうです。
この子の将来に期待して「万歳!万歳!」しました。
そして、今日聞いたのは40を過ぎたお子さんがもうすぐ結婚するそうです。
これまた「万歳!万歳!」…そばにいたご両親ともう一人、合計4人で万歳です。
長南町に人口が増えるのです。(TT)・・・目出度いですよね!二人とも町の宝です。
良いことはお祝いする、そんな風習のある町でいたいですね(^^♪
※yhooブログより一部引用
「一隅を照らす」という教えは、最澄上人の根本の教えとして説かれていますが、もともとこれは、昔から中国にあった、二つの国の王様が宝物の話をしたという故事からでてきたものです。一方の小さな王が「わたしの国には直径一寸の宝石で、車の前後それぞれ十二乗を照らすものが十個あります」と言うと、大きな国の王は「わたしが宝とするのは・・」と、国の大事を任せている、四人の部下と、それぞれが自分のポジションをしっかり守っているから国が磐石であるという功績を紹介し「この四つの宝は、千里をも照らしましょう。車十二乗ぐらいのものでしょうか」と答えたところ、小さな国の王は恥ずかしい思いをして帰ったと言うことです。この話を最澄上人は引用し、「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」と教えています。また「一隅を照らすもの千里を照らす」とも言い換え、比叡山はこの一隅を照らす人を育成するために作ったとも書かれています。