ベコが行く!涅槃な旅路

旅するベコのゆるみ系ブログ。

長崎紀行6 亀山社中は雨降りだべこ!

2024年06月09日 | ベコの長崎紀行2023

ベコの長崎紀行は2日目。

今日は朝から土砂降りの雨となりました。

残念ですが、雨降りの中やってきたのは龍馬通り

ベコ 「うーん、雨降りだべこ」

坂本龍馬が結成した亀山社中へと続く道なのです。

通りを進むと徐々に坂道になり、やがて階段になりました。

しかもこの階段が意外と長くて、気がつくとけっこうな高さに!

ありゃー!

長崎はホントどこに行っても坂の町なのですね。

そして、到着したのがこちら!

ベコ 「日本の夜明けだべこ!」

そう、ここが亀山社中

坂本龍馬が設立した日本初の貿易会社です。

坂本龍馬の前にはおもむろに日本刀がずしり。

そして、こちらがそのお庭。

うーむ、なるほど。

亀山社中は本当に小さな家屋。

5分もあれば見学完了です。

ちなみに、これは亀山社中の近くにある龍馬のブーツ像

なるほど、ここに立って日本の夜明けに思いを巡らせたのでしょうか。

ということで、あっという間に亀山社中の見学はおしまい。

そして、ますます雨が激しくなってきました!

そのため、龍馬像のある風頭公園のハイキングは断念。

代わりに、長崎奉行所を再現した長崎歴史文化博物館や・・・

小学校の敷地で発掘されたサント・ドミンゴ教会跡資料館を訪問。

しかも雨はひどくなる一方。

稲佐山から望む長崎の夜景も、大雨と寒さのために怒りのキャンセル。

代わりに新地中華街でちゃんぽんを食べたのでした。

ベコ 「怒りのちゃんぽんだべこ!」

長崎滞在2日目はがっかりな1日になってしまいました。

今日のところはゆっくり休むことにいたしましょう。

明日は心機一転、長崎市を離れてハウステンボスを目指します!

つづく

 

<ベコたびinformation>

亀山社中記念館

訪れてみると、あまりにあっけなくてビックリ。高知県のような立派な記念館で、豊富な資料や遺品が展示されているのかと思ったら期待はずれでした。

とはいえ、このようなこじんまりした場所で亀山社中を立ち上げたのは感慨深いところ。この場所で亀山社中のメンバーが熱い思いを語り合ったのかと、「龍馬伝」を思い出しました。

なお、少し離れた場所に「亀山社中資料展示場」というのがあります。てっきり、記念館の分館だと思ったら、実は地元の有志の方によるまったく別の施設だそうです。Google mapでどちらを目的地にセットすれば良いのか迷ったのですが、大変紛らわしいのでご注意下さい。

長崎の町

長崎は初訪問でしたが、意外とこじんまりした印象。港を囲むように町が広る様子は気持ちいい風景。そして周囲を小高い山に囲まれ、急な坂道に家々が立ち並ぶ地形はビックリ。足腰が鍛えられる土地です。

そんな長崎市内の交通手段は路面電車とバス。主要な観光スポットは路面電車でアクセス可能で、メインの路線は5分おきに来るのでバスより便利かも。

乗車料金は一回140円で、一日乗車券だと600円。5回乗ると元が取れる計算。ICカードも利用可。ただし、1両編成なので乗客が多いと鮨詰め状態に。

一方、観光地として有名な山手地区、新地中華街、亀山社中などは予想外にショボいのが残念。横浜や神戸に行けば十分かなという感じ。唯一あげるとすれば、山に囲まれた港町という点くらいかも。

期待が大きかっただけに、観光地としてそれほど魅力を感じなかったのが正直な感想でした。

新地中華街

横浜や神戸の中華街を想像していたら、あまりのギャップに度肝を抜かれました。かなり小さな中華街で、店舗数も極めて少ない。そのため夕飯時はどこも満席で大行列。

しかも夜8時過ぎには早くも閉店するなど、2度ビックリ。お店を探している間に、どんどん閉店していきます。中華街独特の華やかさや活気もなく、寂れた飲食店街にガッカリでした。


 


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長崎紀行5 孔子廟は豪華絢爛だべこ!

2024年06月02日 | ベコの長崎紀行2023

ベコの長崎紀行を楽しんでいるベコ。

東山手の洋館巡りをして、オランダ坂を歩き終えたところです。

さて、本日最後の訪問スポットはこちら!

ベコ 「おーっ、中華風だべこ!」

そう、ここはオランダ坂からほど近い長崎孔子廟

明治期の建立で、本格的な中国様式なのだそうです。

見るからに絢爛豪華な作りですが、町中に突如現れる中国建築にビックリです。

ふむふむ

ふむふむ

およよー

およよー

それほど大きくはないのですが、近くで見るとかなり手が込んだ作り。

調べてみると、中国の総本山並みに趣向を凝らした建築なのだそうです。

いやー、息を呑むとはこのことですね。

オランダ坂の洋館から打って変わって中華風です。

ちなみに、この孔子廟で感動するのは併設されている中国歴代博物館。

孔子廟のさらに奥に建っているのですが、その規模には驚きます。

ぜひ立ち寄って、孔子の教えや中国の歴史を勉強しましょう!

つづく

 

<ベコたびinformation>

長崎孔子廟

町中に忽然と現れてビックリするのが長崎孔子廟。中国建築はすごいのですが、周囲の町並みとそぐわないのが不思議です。

ご存知の通り孔子は中国の思想家で儒教の祖。仁と礼を重視し、その言葉をまとめた「論語」はよく知られるところ。世界史ではソクラテス、キリスト、釈迦とともに、「四聖」の一人でしたね。

そんな孔子を祀るのが孔子廟。明治に長崎の在日華僑によって建立されたそうで、中国にある本家・孔子廟の伝統美を備えた立派な建築だそうです。

そして何より感動したのは、孔子廟に併設されている「中国歴代博物館」。中国の故宮博物館の美術品や工芸品が展示されているそうで見応えあり。

外からは想像できないほど立派な施設で、中国の歴史や孔子コーナーなど展示内容も充実しており驚き。これは必見です!


 


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長崎紀行4 東山手洋館は異国情緒だべこ!

2024年05月26日 | ベコの長崎紀行2023

ベコの長崎紀行オランダ坂をお散歩中のベコです。

お天気も回復してきて気分もウキウキ。

あまり観光客もおらず、静かな雰囲気です。

てくてく坂を進みましょう。

さて、次にやってきたのは東山手十二番館

道沿いに建つ洋館の一つです。

瀟洒な木造の建物ですな。

訪れる人も少なく、ひっそり。

広いベランダにあるベンチは、なんだか古い駅舎のようですね。

建物の中もレトロな雰囲気。

木の廊下を進み、広間を拝見。

かつては領事館として使用されていたようです。

時間が止まったような部屋が印象的でした。

さあ、続いて坂道を歩きましょう。

徐々に下り坂になってきましたが、オランダ坂もそろそろおしまい。

そこに建っているのがこちらの洋館。

東山手甲十三番館です。

ちょうどオランダ坂の入口近くにあり目立ちます。

もともとは銀行のお偉いさんの住まいだったのだとか。

こちらも異国情緒豊かな洋館です。

バルコニーにはお洒落な椅子とテーブル。

午後のひととき、お茶を楽しめそうですね。

1階ホールでは演奏会が行われていたため2階へ。

木造の急な階段を上がって2階へ行くと、

これまたレトロな広間がありました。

ベランダに出ると、日差しがたっぷり。

写真には写っていませんが、お客さんもそこそこ来館中。

けっこう賑わっていました。

というわけで、オランダ坂の洋館巡りはここまで!

レトロな洋館を楽しめたのはラッキーでした。

ぼちぼち陽が傾いてきたので、本日最後のスポットへまいりましょう!

つづく

 

<ベコたびinformation>

オランダ坂と洋館(2)

続いて訪れたオランダ坂の洋館は「東山手十二番館」と「東山手甲十三番館」。一つ目の「十二番館」は東山手エリアでもっとも古い洋館だとか。外国の領事館や宣教師の居宅として使用された洋館で重要文化財。

訪れてみるとひっそりとした佇まいで、静かな邸宅でした。領事館の後は近くにある活水学院の所有になり、1970年代には長崎市に譲渡。現在はミッションスクールの歴史資料館として公開されています。

次に訪れた「甲十三番館」は、もともと香港上海銀行の支店長の住まいとのこと。その後は領事館として利用され、昭和に入ると下宿や喫茶店などとしても使われたのだとか。

紆余曲折があったようですが登録有形文化財です。現在は長崎市の所有で、市民ホールや喫茶スポットとして運営されています。訪問当日は1階のフロアで演奏会が行われており、観光客で賑わってました。

そんな二つの洋館はいずれも情緒のある洋風建築。横浜や神戸の異人館を思い起こしました。横浜や神戸などと比べてお客さんも少なめで、ゆっくり見学できるのはラッキー。

ただ、オランダ坂全体でそれほど洋館が多いわけでもなく、横浜や神戸の異人館と比べるとむしろあっさり気味。これならわざわざ長崎に来る必要はなさそうで、ちょっと肩透かしでした。


 


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長崎紀行3 オランダ坂の洋館でお天気回復だべこ!

2024年05月19日 | ベコの長崎紀行2023

ベコの長崎紀行でお散歩中のベコです。

グラバー園を出た後、やってきたのはオランダ坂

ベコ 「裏側からスタートだべこ!」

そう、有名なオランダ坂ですが、こちらはグラバー園側。

よく紹介されるオランダ坂の風景とは異なりますが、今回は裏側からです。

それでは坂道沿いに並ぶ洋館を見学いたしましょう!

お、細い路地で興味深いですな。

路地を進むとこんな感じ。

和風と洋風が混ざり合ってますね。

ちなみに、ついにお天気も回復!

ようやく日が照ってきました。

このあたりは、こうした洋館が7棟ほど並んでいるのです。

なるほど、まさに異人館です。

ベコ 「レトロだべこ!」

よく見ると、かなり古い建物だと分かります。

ふむふむ

 ふむふむ

ふむふむ

ちなみに、これがこのあたりの地図。

ちょうど今は地図右下の洋館住宅のあたり。

これから地図の左側に進むのです。

とはいうものの、そろそろ疲れてきたのでここで一服。

洋館の一つが喫茶店になっていました。

朝から歩きっぱなしでけっこうヘトヘト。

レトロな建物でひと休みしましょう。

いやー、元気回復ですね!

ちなみに、喫茶店の2階からは周囲の眺めも良好。

向かいにはやはり洋館が並び、、、

煙突の向こうには稲佐山です。

それでは、引き続きオランダ坂を進みましょう!

つづく

 

<ベコたびinformation>

オランダ坂と東山手洋館(1)

洋館の並ぶ東山手エリアに伸びる石畳の坂道がオランダ坂。グラバー園の山頂側の出口を出て、「グラバースカイロード」というエレベータで下山。そこからあらためて山の斜面を横切るようにオランダ坂を歩きます。

明治初期の長崎では、出島に滞在したのがオランダ人だったことから、居留地に住む西洋人はみなオランダさんと呼ばれたそうです。結果、西洋人が通る坂も「オランダ坂」と呼ばれるようになったのだとか。

そのため、長崎にはいくつもオランダ坂があったそうですが、現在ではこの通りがいわゆるオランダ坂。「日本の道100選」になっています。

今回はグラバー園側から歩き始めましたが、道沿いにあるお寺にちなんで「誠孝院の坂」とも呼ばれているそうです。

そして、その付近にあるのが「東山手洋風住宅群」という7棟の洋館。瓦屋根の和洋折衷の建築です。明治20年代に建てられたそうで、往時の雰囲気を味わうことができます。

中にはカフェや資料館として活用されている建物もあり、内部も体験可能。今回、カフェに立ち寄り一服できたのはラッキーでした。


 


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長崎紀行2 グラバー園にレトロな洋館だべこ!

2024年05月12日 | ベコの長崎紀行2023

ベコの長崎紀行グラバー園を訪れているベコ。

ドン曇りの中ゆっくりお散歩中です。

グラバー邸を見学した後は、てくてく歩いて次の洋館に到着。

ベコ 「ここも洋館だべこ!」

こちらはリンガー邸

もとはグラバーの弟の邸宅だったそうです。

それを、グラバー商会のフレデリック・リンガーが継承したのだとか。

リンガーは長崎で茶葉の生産と輸出を担当した商人。

後にリンガー商会を設立し、グラバー商会から茶葉貿易を引き継いだのだそうです。

そんな邸宅にはきれいな花が咲いていました。

お庭も広々としていて気持ちよさそう。

長崎港と周囲の山々が望める好立地なのです。

グラバー邸よりも少し高台にあるので眺めも良好。

長崎港を見下ろす庭園には、何種類ものバラも咲いていました。

色とりどりのバラもちょうど見頃。

うん、英国っぽい庭園ですね。

さて、

リンガー邸の次に訪れたのはウォーカー邸

おしゃれなベランダのある洋風建築です。

こちらは英国商人であるロバート・ウォーカー2世の邸宅。

和洋折衷というよりも、洋風建築の印象です。

テーブルの上のティーセットが優雅な感じ。

 ちなみに、このウォーカー邸はもともと大浦天主堂の近くにあったもの。

それをウォーカーの没後に移築したのだそうです。

さあ、それではさらに丘の上へ進みましょう。

グラバー園の最後に立ち寄ったのは、旧三菱造船第2ドッグハウス

長崎港にあった船員用の宿舎を移築したものだとか。

グラバー園の最上部に建ち、2階のベランダからは周囲の眺めも良好。

観光客も眺めを楽しんでいます。

ベコ 「やはりドン曇りだべこ!」

ほんとに残念ですが、最高地点だけあって眺めも上々。

あれは有名な稲佐山

明日はあそこに登る予定です。

観光客も港と山の見晴らしに感嘆です。

お、レトロな家族連れも絶景を堪能中。

いやー、異国情緒豊かなグラバー園でしたが、ゆっくり楽しめました。

それでは、グラバー園を後にして次のスポットへまいりましょう!

つづく

 

<ベコたびinformation>

グラバー園(2)

見応えのあるグラバー園でしたが、グラバーが日本に来たのはペリー来航から6年後。まだ21歳という若さだったそうです。日本が諸外国と修好通商条約を締結した翌年で、長崎の外国人居留地の造成が始まった頃だとか。

当初は貿易会社の社員として日本に赴任し、まもなくクラバー商会という貿易会社を設立。生糸やお茶などの輸出をしていたのですが、幕末の動乱で武器や弾薬などを取り扱うように。

大河ドラマ「龍馬伝」でも坂本龍馬から鉄砲や軍艦を依頼される場面が描かれていましたね。一方、鉄道や製茶、船の修繕所、炭鉱などの経営にも携わるなど、実業家として数々の実績を残したそうです。

ただ、明治維新後は武器の需要低下や、諸藩からの資金回収難もあって破産。その後は炭鉱経営やキリンビールの設立、三菱財閥の顧問を務めるなど、73歳で没するまで日本の近代化に尽力した人生だったそうです。

ちなみにグラバー邸は、息子の倉場富三郎氏によって三菱造船所に売却。戦後の一時期は進駐軍に接収されたものの、再び三菱造船所の所有になり、最終的に長崎市に寄贈されたそうです。


 


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