blog Beatific

What one likes, one will do best.

82年は昭和57年

2006-02-26 17:47:15 | concert review
82年3月、めでたく高校を卒業し
翌4月 進学のためついに上京、東京暮らしスタート!
 (ちなみに入学式は残念ながら武道館ではありませんでしたが
日比谷公会堂でした。)
 早速5月、もちろん東大生であるはずもないのでしたが
行って来ました“東京大学五月祭 怒りの逆噴射ロックフェス”!!
 出演バンドがすごかった
ジョニー・ルイス&チャー改めピンククラウド、シーナ&ザ・ロケット
ARB,パンタ、カルメンマキ、…etc…
 もうキリストと悟空が一緒に天竺を目指すくらいの豪華さ
 ピンクラ、シナロケ目当ての僕、パンタ好き小学校以来のダチ マー君
マー君の友人でARB派のもう一人、怖いものなしの18歳トリオ
どんな行動に出たかとゆーと
午後の開演と知って 朝一で会場に到着し もうすでに組まれてた
屋外ステージの床下に忍び込んだのでした。
 まんまと侵入に成功したものの サインをもらいまくるぞ と用意した
サインペンがうつらないことに気付き 買いに行かなくちゃと
ノコノコとステージ下から出てったとこを主催者側のスタッフに見つかり
「おまえたち、ここでなにしてるんだ!」と とっつかまった。
「ゴ、ゴメンナサイっ、チャーのサインが欲しくて隠れてました。
ただで良いですから働かせてください、ここに居させて下さい。」と
土下座(おおげさ)したら なんと
「じゃぁ 会場警備やってくれたら」とのお言葉 ヤッター(言ってみるもんだ)
しかも 会場警備といったら開場しなくちゃ仕事がない
それまで バックステージでうろうろ
続々と楽屋入りするミュージシャンたちを接待しよう、そうしよう。
パンタはグローブ持参、ピンクラは家族同伴、シーナは夫連れ(当たり前だ)
キャッチボールしたり お話させていただいたり サインもらったりV



↑用意周到 LPジャケット持参


 開演したらフェンス際で警備する約束だったが 責任者の
粋な計らいで ひいきのバンドが演奏するときは代わりばんこに休憩して
いいという。
 お言葉に甘えて シナロケなんてステージの袖に
上がって見ちゃったもんね。ステージを終えて
スタッフと抱き合うシーナに、どさくさに紛れて抱きついちゃおうと
近づいていったら 鮎川ににらまれて断念、残念。

余談ですが この年から翌年にかけて ピンククラウドは都内各地の
学園祭に出まくり。ただみたいな値段で交通費も余りかからず
何度も見に行くことができました。ツイてたとしかいいようがありません。
 新宿ロフトでの 誠&ロケッツも見ることができました。
至福のひと時でした。

 例によって ステージそのものの感想の無いコンサートレビューでございました、
悪しからず。
 

ジョニー・ルイス&チャー@野音

2006-02-23 17:24:56 | concert review
81年と言えばなんと言っても
『8181 SHOCK FES.』!
ロックのメッカが武道館であるなら
ガンダーラは日比谷野音か

何しろ野音といえばあの「フリースピリット・コンサート」が
行われた場所であるし、
そこでジョニー・ルイス&チャーが見れるということは
X’MASと正月が一緒に来ちゃった位の慶事。
しかし そんなチケットが割りと簡単に手に入ったんだから
なんと良い時代だったのだろう。
 
話がちょっと反れるが
伝説の銀座NOW時代、つまりアイドル・チャーの全盛期の代表作、
「気絶するほど悩ましい」
『そのアルバムバージョンこそ、アンプラグドの元祖である』
が持論であるのだが
当時 そのアルバム「CharⅡ have a wine」を買った同じクラスの女の子、
「だまされた~、リューベンの名前が入ってない~」と
嘆いていたのが忘れられない。

話がもどって81年8月1日、場所は日比谷野音
今にして思えば 「ショック・フェス」と銘打ってたんだから
いろんなバンドのジョイントライブの形を取ってたんだろか
でも目当てはJ.L&Cしかないんだからそれ以外のバンドは
前座としか見てなかったのだが
僕の記憶では まず、TENSAWが出て、
その次、「今、チャーが最も注目しているグループを紹介します」
とか何とかのアナウンスがあり みんな注目の中
ギターを抱えて登場したのが 「ヒップ・アップ」!
  これは うけた。間違いなく一番受けてた。
モチロン、本命J.L&Cも良かったのは間違いなし
チャーと加部さんが ベースとギターのダブルネックをお互いに
駆使して ギターとベースを入れ替えながら続いたバトルなんて
かっこよすぎてマジでちびった。

以上
文章中、全く非常にお恥ずかしい間違いがありましたので
こっそり訂正しました。指摘してくださったてつ様ありがとう

初武道館

2006-02-18 17:34:41 | concert review
翌’80年は私の記念すべき武道館デビュー



 確かこの時は ウドー音楽事務所(青山チケットセンターだったかな?)に
電話してチケット手配したのだったか
 前年クラプトンを一緒に見に行った例の先輩はすでに高校卒業して上京、
ベックも一緒に見に行くことにしたんだが現地集合とゆーことに。
「歯医者に行く」とお決まりの嘘をついて高校を早退し
東京の右も左もわからない田舎者の少年がなんとか辿り着いた
九段下、地上に出て見上げた空には金色のたまねぎ、感激
先輩と合流後案内に従いいよいよ武道館内部へ
するとなんとなんとそこはステージの隣ってゆーか
はっきり云うとステージの後ろ。
 その時初めてチケットに書かれた「北西スタンド」の
場所がわかったのでした。
 目の前には 高~く積み上げられたPAスピーカーの山の後ろ側
よく見ると その隙間からかろうじてステージが見える。
 周りの席には ポツン、ポツンと観客が。おそらく 隙間から
ステージがかろうじて覗ける席のみ売り出されたのでしょう。
 
 気を取り直して さぁ、いよいよステージが開幕!
んっ、このイントロは 『スターサイクル』だ!!!
ステージ中央にスポットライトがバ~ン
「出たッ ジェフベック!」(の背中) 
すぐ近くに彼は居るのに 顔も見えないし肝心の指先も見えない。
しかもステージ上を動くもんだから 見えなくなることも多し。
「何だこの席は」 (ショボ~ン
 だが 捨てる神あれば拾う神。
そう、その席はからは ドラムセットが丸見え
丁度、ドラマーの右斜め後ろから手元を覗き込む角度。
 そしてそのドラムを叩くのは
『サ・イ・モ・ン・フィ・リッ・プ・スゥ~~~~!!!!!』
 その時初めて この人の事を知ったのですが
もう、目が釘付けでした。
 そんな訳で 私にとっての初武道館は 
ジェフ・ベックを見に行ったつもりが
サイモンフィリップスの方が強烈に印象に残ってる次第。
 ベックについて一番印象に残ってるのは
テレキャスタイプのミニギターを弾きながら
「ゴーイングダウン」を歌った事。
 今にして思うのは 「ベックがもし歌が上手だったら
今とは全然違う展開になってたかもしれないな」 と、
つまり 歌が下手だったからこそ 今でも「ギター殺人者」として
活躍し続けてるんだな と。
 クラプトンが音痴だったらどうなってたかな?
 ジミー・ペイジが歌を唄えてたらどうかな?

 その後 終電にぎりぎり間に合い地元駅に辿り着いた僕は 
おまわりさんに職務質問を受け
あやうくパトカーに連れ込まれそうになりました。
 当時こんな田舎では深夜(と言ってもまだ12時前)に
未成年がフラフラしてるのは犯罪だったのか? 
 
・・・・こんなのちっともコンサートレビューじゃないな。
これでいいのだ。

クラプトン・ライブ・アット茨城県民文化センター

2006-02-14 11:22:03 | concert review
私の記念すべき外タレコンサート初体験は
1979年11月23日 
 コンニチでは信じられないことですが
あの「エリック・クラプトン」が 我が茨城県にやってきたのです。



当時私は高校1年生、
先輩に薦められて聴いた『Live CREAM vol.2』によって
ハードロックに目覚めた私は
まずクリームにハマり、レイラにしびれつつも
ソロ活動に入ってからの所謂「レイドバックサウンド」に
物足りなさを感じてましたが
でもしかしライブでは「EC was here」のような
けだるさの中にもスリリングなプレイが展開されるとゆーような
コンサートを期待して チケットを取ったのでした。
 これまた、今では信じられないことですが
当時のチケットの入手方法は
私の場合、 校内には公衆電話が一つしかありませんでしたから
昼休みに学校を抜け出し 近くの電話ボックスから
会場である 茨城県民文化センターに直接電話して
いとも簡単にチケットをゲットしたのですが
当日会場に行ってみてビックリ!
前から18列目ど真ん中、隣はなんとサウンドボードにツアースタッフ
なんせ座席数1800弱のホールですから 私より前で
見てた人なんて小学校の体育館でクラプトンのステージを
見てるようなもんだったのではないでしょうか。
 この年のジャパンツアーの様子は
アルバム「ジャスト・ワン・ナイト」としてリリースされましたから
お聞きになった人も多いと思います。
 前述のように 歪んでサスティーンの効いたギターサウンドを
期待していた私は(それを勝手に期待していた私が世間知らず)
その、クリアーでブライトな音に実はがっかりしたのでしたが
ビデオも無い時代 動く実物のクラプトンを生で見れただけで
幸せでした。
 ギターの神様の指先を見逃すまいと、
歌ってる間は手拍子してても ギターソロに入ると
持参した双眼鏡を覗くために手拍子をやめざるを得ないために
場内が逆に静かになるとゆー現象が印象的でした。
(もちろん僕もでっかい双眼鏡持参)
ただ、立ち上がるって事は無かったな。
 この公演はツアー初日だった為か、観客がおとなしかった為か
「コカイン」の大合唱もなく、今でもお約束の
最後の『コケイ~ン!!』の一言が観客だけのアカペラになる
あの演奏が不発に終わり、ただ手拍子だけが虚しくリズムを
刻み続けてたのが今でもクラプトンに申し訳なくて・・・って私も
「ジャスト・ワン・ナイト」を聴くまでは
「何であそこで演奏をやめちゃったんだろう」と思ってましたが。

なにはともあれ 
このコンサートレビューは
今後も『俺はこんなコンサートを見たんだぜ』
ってゆー自慢話になってしまう予感。

ファーストコンサート

2006-02-11 02:45:25 | concert review
U2 グラミー賞受賞おめでとうございます。
 しかし、4月の来日公演日産スタジアム指定席15000円!
これまたやっぱり行けませんが 行けないライブばっか
嘆いてても仕方がありません。
 私おずびーが過去の記憶を遡りまして
印象に残ってるライブのレビューを書き残しておきたいと思います。

 生まれて初めてのコンサート体験は
「寺内タケシとブルージーンズ」 
確か、中学2年 ’77の出来事だったかな。
先日ちらっと書きましたが その頃の私はバリバリのフォーク少年
 かぐや姫やらアリスやらのコピーにいそしんで
アルペジオ、スリーフィンガーの毎日でした。
「22才の別れ」のイントロのリードギターを覚えて
悦に入ってる少年がいきなり体験したロックコンサート(?)
衝撃的でした。
「デイ・トリッパー」のイントロですら神業に聞こえてた位ですから
寺内タケシが世界で一番ギターが上手とすら思ってしまいました。
 興奮覚めやらぬ僕が 当時高校1年の2つ年上の
先輩にその話を聞いてもらったところ
「ふん」と鼻で笑ったその先輩、
「これを聴いてみろ」と2本のカセットテープを下さったとさ。
 それが 「ライブ クリーム vol.2」
      「ディープ・パープル ライブイン ジャパン」
これが 『ブリティッシュロック』との出会いでした。
 で、実はここからが本題 本当に書き残しておきたい記憶。
この出会いから2年後、1979年
初めて 「エリック・クラプトン」のコンサートに足を運ぶことに
なるのでした。
 その時の感想は 次回書く予定。
今日はとりあえずプロローグ