2年降りに府中刑務所の文化祭に行って来た。目当ての麦飯のムショメシを食べ刑務所内で食べられてるコッペパンを購入。コッペパンは大きくて2個入り百円。安い!もっちりして甘味はない。これが本来のパンの味♪カレーは家庭でよく食べる味。受刑者には懐かしく感じる味なのかも。(食事マニア矢部)
@stepner0410 ステップさーん!女学院大学でダダオが再現したアトム書房の前でステップさんと一緒に撮った写真送ってもらえませんか?
船田玉樹 @akio_nagai: 昭和6(1931)年の全関西第五回洋画展に出品、この頃より広島洋画研究所に入って二科展などに作品を発表していた山路商に兄事している。山路はダダイストの詩人でもあり、彼のもとには新しい表現を求める画家、文学者、音楽家などが多く出入りしていた。”
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船田玉樹が長く住んだ呉の家にほど近い小川のほとりに、形のよい黒松が一本だけ取り残されたように立っていた。きっと玉樹もこの道を歩いてたんだろうな。だいたいいつもほろ酔い気分で…
呉で作品を見させていただいたお宅では、ご高齢で車椅子を使っておられるおばあさまが、「玉樹先生との交流がいろいろと思い出されます」と涙ぐまれました。玉樹はお漬物(特にたくわん)が苦手だったなんて、初めて知りました!
広島県内数か所で船田玉樹の作品調査。今回は行く先々で大きな収穫が。特に最初の訪問先で出てきた梅の屏風には息をのみました!蔵の2階からなんとか運び出して作品を開いた瞬間、内心うわ~っと心が騒いだのであります。 pic.twitter.com/6reuGYJR
アトム書房の調査で気になったのは、広島のダダイスト画家の山路商。比治山で画材屋を営みながら、そこには丸木位里、船田玉樹や色んなわけわかんない奴らが集まっていたらしい。その感じは素人の乱みたいだったんじゃないだろうか?そこにアトム書房の店主も居たんじゃないか?
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1944年に山路商が亡くなり、原爆で無茶苦茶になった広島。その後アトム書房が出来る。何か何か繫がっていると、今も思っています。船田玉樹の展覧会は圧倒的な絵がドカドカと迫ってくるので、スゲーなーと思うんですが、この船田玉樹の絵は一ヶ所にあったわけじゃない。
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アトム書房の調査を一緒にやってる広島在住のダダオ。ダダオがQ次元というグループをやっていて、五反田 @filmout3000 君の小学校の時の校長先生は靉光の妹の息子だった。原爆くそったれ!だけど、きちんと今と昔をばっちり繋げるから、もうメソメソすんな広島!
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船田玉樹の息子さんがコチラ→ @Kishin_F 広島美術館の 船田玉樹の調査をされてる方がコチラ→@akio_nagai山路商の弟子、船田玉樹!と思ってたら、息子さんがいる。【船田玉樹】が【船田玉樹さん】に変わるんすよ。超立体になってきてる。
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船田玉樹が広島の呉で展覧会をやってる。圧倒的に圧倒的に凄すぎる絵だらけだと思います。呉はアトム書房調査を一緒にやった大将やステップナーさんが住んでる街。もうたまらんよ!大将兄は行友太郎!船田玉樹が1952年に描いた原爆ドームの絵がある。
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1952年の原爆ドームには吉川清の原爆ドーム一号の店があった。そこでは、かつて産業奨励館で展覧会をやった丸木位里のポストカードが売られていた。吉川清の店には全身芸術家、末川凡夫人が来ていた。着物か洋服かわからないような変な格好で、原爆ドームによじ登って、をんをん泣いていた。
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