休みで一日中寝てた。まだ家から一歩も出てない。
高円寺にでも遊びに行こうかな、と思いつつも、もう結構いい時間で、1日が始まりそうで終わらない感じの今日で、この感じが明日も続いて、あしたも昼過ぎにおきるんだろうなぁ。
さあさみんなきいとくれ、今の世の中に飽きたらず、めぐまれたウチを飛び出した、プータローが増えている。
高円寺にでも遊びに行こうかな、と思いつつも、もう結構いい時間で、1日が始まりそうで終わらない感じの今日で、この感じが明日も続いて、あしたも昼過ぎにおきるんだろうなぁ。
さあさみんなきいとくれ、今の世の中に飽きたらず、めぐまれたウチを飛び出した、プータローが増えている。
ま、ネットでいこう。今のところ、とくに感想はないが、これってリアルタイムで読みたいな、やっぱり。一気に読んだ方がいいんだろうけど…。
しかし、今は時間がない。
また、そのうち。
ところで、最近「はてな」で読めるNさんの日記に書かれていたことが頭から離れなかった。最近ていっても1ヵ月くらい前か。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20040926
どんなところがって気になっていたかというと、こんなところだ。
「人は決して自分が所有しているCDやレコードだけで音楽を聴くのではないし、音楽は一人で聴くだけのものでもない。ライブハウスやクラブだけでなく、ラジオやテレビだけでもなく、街中やお店の中や友だちの家のターンテーブルでも人は偶然に音楽に出会う。そのような音楽との出会いは、自分が持っているCDの音楽を聴くよりも本当はずっと大事なことだ。RCサクセションの「トランジスタラジオ」も、はじめは友だちから借りたレコードで聴いた。それは、その友だちのことがもっと知りたかったからだ。ターンテーブルに思い思いのレコードを乗っけて、友だちと延々とどうでもいい話をするのは、若いときの自分にとって、何にも替えがたい貴重な時間だった。その感覚は、いまインターネットを通して音楽をやりとりしている人のなかにも十分すぎるほどあるだろうし、CDをTSUTAYAで借りてダビングする人にだってあるだろう。彼らはなにも、ケチケチしたくてCDを買わないのではない。一人で音楽を聴くことの孤独に耐えられないのだと思う」
そうだ、たしかにそんなふうに音楽を聴いていた時期が僕にもあった。金はないけど、時間はたっぷりあった。体に染み入るように音楽を聴いた。
で、いつからそうでなくなったのだろう。
「かつて音楽を聴くということは、それを通じて友だちと出会うということでもあったし、まだ出会えないでいる友だちを想像することでもあった」
本当にバカみたいに1枚のCDを繰り返し聴いて、あーでもないこーでもないと、話したあの時間はどこにいったのだろう。あいつらは何してんだろうか。
ともかく、音楽のおかげで僕は今、場所っプを見ているのかもしれない、なんてな。このコメント、ヒカル君にしかわからんねー。