アホみたいに具志川と具志頭をよく間違えました。
「あれ?どっちが“ぐしちゃん”だっけ?」ってな感じ。
ま、それはさておき、
上記の画像は具志川城址の入り口というか、正面というか、
奥の本丸へと続く石垣の前です。
アホみたいにアホなポーズで記念撮影…
たしか1990年代後半でしたから、
まともな整備がされていない状態だったと思います。
今となっては立派な遊歩道や階段が設置されているみたいですね。
そうはいっても、なにしろ沖縄本島最南端ですから、
本丸から眺望する東シナ海は絶景です。
それよりもなにも、
よくもまぁ、こんな場所に城を建てたのかと感心いたします。
断崖絶壁といっても過言ではないほど、
海岸に接していますからね、
景色が悪いなんてありえない!
ただ、自分が思うに、断崖に城を建てたとはいえ、
ここで実際に生活していたのかについては、
ちょっと疑問に感じるところです。
居住空間としては不便なほうが多いような気がします。
台風といった、沖縄特有の気候も考え合わせるとなおさらです。
湧水があったのかな?それがあれば何とか生活できそうですが…
実際に足を運んだ方々にはわかるとは思いますが、
喜屋武の集落から具志川城までは畑だらけです。
つまりは平地が広くなっているということです。
あくまで個人的な感想ですが、
普段の生活は平地のどこかに屋敷を建て、
敵が攻め込んできた時に具志川城に立てこもるといった、
砦みたいな感じの城だったのではないでしょうか?
「琉球王国は平和国家だった」
ということを喧伝する人たちにとっては、
不都合な解釈かもしれませんがね。
平和なのに、敵が攻めるという発想自体あり得ませんからね。
とにもかくにも独特な城です。
本丸から名城方面を撮りました。
これも1990年代後半ですが、
この風景は現在でも変わっていないと思います。
遠くに渡嘉敷島が見えました。
たしか本丸ではなく、
二の丸あたりの石垣を登った時に撮ったと思います。
あるいは物見台かな?ちょっと記憶が曖昧です。
次は喜屋武岬方面です。
この風景も変わっていないでしょうね。
相変わらず海もキレイでしたよ。
ついでに喜屋武岬も。
青い色に塗り替えたばかりのピカピカ状態と、
塗り替え前の画像を載せときます。
まだ鉄柵がなかった頃です。
膝上あたりの塀をまたいで、
真下を覗き込んでいました。
ハッキリ言って恐怖を感じましたね。
絶対にお勧めできない行為ですけど…