空と無と仮と

教科書の集団自決と強制集団死と

 小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定


 文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で、沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかった。いずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ。 

 東京書籍(本社・東京)は「沖縄戦」についての写真説明で、「アメリカ軍の攻撃で追いつめられた住民には、集団で自決するなど、悲惨な事態が生じた」などとした。日本文教出版(文教、同大阪)は、「戦場となった沖縄」と題した章で「アメリカ軍の激しい攻撃」で追いつめられた住民の多くが、「集団自決」に及んだとし、教育出版(教育、同東京)は「沖縄戦」の写真説明で「多くの住民が集団で死に追いこまれるできごとが起こった」と記述。いずれも、「集団自決」について旧日本軍による「軍命」「軍関与」の記述はなく、検定意見は付かなかった。 

 本紙取材に3社は、「発達段階を踏まえた上で、学習内容と照らし合わせて適切なものとなるように編集委員会で検討した」(東京)、「小学生向けということで、事象をより掘り下げるべきかという判断があった」(文教)、「発達段階を踏まえて理解できるように記述する場合は、それなりの紙幅が必要になる。総合的に判断して記述を見送った」(教育)とそれぞれ回答した。 

 文科省は閣議決定などの「政府の統一的な見解」や、「最高裁判所の判例」に基づいた記述をすることなどを求めた検定基準に照らした審議が行われているとし、「申請社において著作編集された図書だ」と回答した。

 「集団自決」の「軍命」「軍関与」については、2011年4月に最高裁で判決が確定した、作家大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」での記述を巡り、旧日本兵の親族が出版差し止めなどを求めた訴訟の大阪地裁判決(08年3月)で認められている。同判決は「沖縄県で集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯」したとし、「集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当」と判示している。元沖縄キリスト教短期大学学長で、1945年3月に起きた渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りだった金城重明さんら、複数の証言も残っている。(安里洋輔、嘉数陽)

琉球新報デジタル 2023年3月28日 14:55


「軍命」や「軍関与」に関する教科書の記述について、
毎年の恒例行事というかなんというか、
あくまでも「軍命」や「軍関与」にこだわる姿勢を、
今年も崩さない琉球新報です。
これについては沖縄タイムスも同様です。

さてさて、特に目新しい主張でもありませんが、
かといって疑問点がないわけではなく、
いや、それどころか、
あからさまなミスリードをして、
読者を惑わせている箇所がございますので、
その点はキッチリ批判したいと思います。


「「軍命」「軍関与」に言及しておらず」

集団自決は軍によって強制させられた、
というスタンスが在沖マスメディアですから、
軍命にこだわるのは理解できます。
しかし「軍関与」については、
なぜそこまでこだわるのか理解できません。
軍が「関与」する意味が分からないのです。

集団自決が起こった時は戦争中でありますし、
しかも米軍との交戦中でもありました。
誰がどう考えても、
そのような状態で「軍が関与」しないはずがありません。

それなのにことさら「軍の関与」を強調するその意図は、
果たしてどのようなものなのでしょうか。

あくまでも個人的な考察ですが、
「軍命」という前提があってこそ、
この「軍関与」が強調されるのではないでしょうか。

そもそも「関与」という意味自体は、
非常に曖昧なものであります。

例えば「軍命」があったというのは、
「軍の関与」があったということにもなりますが、
同時に軍が「死ぬな」という指示や要請があったとしても、
軍が「関与」したことになることは、
「関与」という観点からすれば、
決して間違いではないと思われます。

しかしながら「軍命」が前提にあるということは、
集団自決が「軍命」によって強制させられたということであり、
「軍の関与」がそれを補完する意味合いを持つことになる、
というようなことに繋がるということになるでしょうから、
ひたすら「関与」を強調するのではないでしょうか。

ある意味、「軍命」へのイメージ操作の補完的な役割を、
陰に陽にしているのではないかと思われます。

「作家大江健三郎さんの著書」「大阪地裁判決」

ことさら言及するまでもありませんが、
歴史の事実認定はノーベル賞作家が決めるものではなく、
裁判所が決めるものではありません。
これもイメージ操作ですね。

ちなみにこの裁判について、
個人的に裁判所の判決は「妥当」だと思っています。
あくまでも「名誉棄損」だけについてですけどね。
ていうか、なぜ大江健三郎氏を訴えたのか未だに疑問ですし、
もし万が一自分が訴えるのであれば「鉄の暴風」と、
その出版元である沖縄タイムス社にしますけどね…

「金城重明さんら、複数の証言も残っている」

記者がどの程度の調査や考察、
あるいは理解しているのかは知りませんが、
「軍命」を証言したのは複数ではなく、
実はたった一人の証言なのです。

しかも金城重明氏ではありません。
当事者である金城氏は「軍命」を聞いていません。
そのことは既に20年以上前から自ら証言なさっています。

これはどういうことかというと、
極々簡単にわかりやすくいえば、
金城氏は集団自決の前に「軍命」を聞いたのではなく、
戦後数十年たってから「軍命があった」と聞いただけであり、
実際には聞いていないということになります。
繰り返しになりますが当のご本人が証言なさっております。
どうやら電話でその話を聞いたみたいですね。

しかし、どういうわけか金城氏が当時「軍命」を聞いたことになり、
それがどういうわけが既成事実となって、
現在に至っているというわけです。

結果的に「軍命」を聞いた当事者は、
元兵事主任の一人しかいないのです。
たった一人の当事者と、
たった一つの証言しかないのです。

それなのに「複数の証言も残っている」と、
明らかなミスリードをおこなっているこの記者の態度…

歴史の改竄はこうやって生まれてくるものだと、
甚だ遺憾で忸怩たる思いしかありません。

この件につきましては当ブログで再三考察しておりますので、
興味がある方は一読をお願い申し上げます。



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