中国の都市化率が急速に進み、中国国家統計局発表(2009.9)によると最近は45.7%に達したという。その結果起きている問題に、大量の生活ゴミや汚水(汚水の発生は汚泥の発生でもある)の発生がある。
汚水量については、『中国環境統計年鑑』によって政府の推計数字は知ることができるが、生活ゴミは公共サービスの収集から漏れる量がどのくらいなのか分からないので、正確な数字は不明である。ただし、政府の推計では全国655都市合計の年間の発生量が1.8億トン(2008年)で、毎年8~10%の勢いで増加しているという。現在の国民1人当たりゴミの量は約130キログラムだ。
日本全体のゴミの量は年間4680万トン、1人当たりでは約370キログラム。国民1人当たりでみると日本の方が約3倍多いが、国全体では中国が約4倍の量だ。しかも日本のゴミは減少する傾向にあり、実際、年間10%ぐらい減少している。一方中国は、逆に毎年10%程度増加している。このままいけば、中国のゴミの量はますます増え、1人当たりでみても、日本に近づく恐れが否定できない。
生活ゴミは都市における大衆消費社会の誕生と普遍化、生活様式の洋風化などと無縁ではない。旺盛な消費欲に牽引された物質主義の蔓延、住宅建築や電化製品の購入などに付随するかのように買われるさまざまな小物や装飾品、食生活の変化による大量の生ゴミや生活雑排水の発生が都市の隅々に浸透している。
中国の商店街にはあらゆる日用雑貨や鞄、靴、衣類、電化製品を売る店がところ狭しと並んで競い合っているし、そういうところには、必ずと言っていいほど、油条を揚げたり串差しの羊肉や鶏の足とか胸肉を網焼きして売る個人営業店がみられる。
これらのうち非食品のある部分は、数週間から数カ月後には生活ゴミに名称を変え、路上で売られる食べ物のために解体された畜産物の屑や血液は都市下水に流れ込んでいくか、ゴミとして捨てられていく。
このようにして生まれる生活ゴミの処理はどのようになっているのか、といえば、相当の部分が農村の土地に掘った巨大な穴に埋められていく。そのような実際の光景を、筆者は中国の農村の至るところで目撃した経験がある。その穴は、高さ10メートル、直径200メートルはあろうと思われる巨大な容積のものだ。
この穴に、都会からトラックが運んできた鼻をつくゴミが捨てられ、さらに捨てられるゴミの量が少しでも増えるように、それをブルドーザーが固めていく。
そのゴミを覗くと、ビニール屑、腐った生ゴミや空き缶、木くずや壊れた煉瓦など、無数の廃棄物が混ざったものだ。ある程度の高さまでゴミの量が嵩むと、その上に土をかぶせ、苗木を植える。そこはもう立派な植林地帯に生まれ変わる。
しかし表面は林に生まれ変わったにしても、見えない土の中はゴミのかたまりであり、底には溶け出した有害な液体が溜まりだし、やがて、地中にしみ込んでいく恐れが消えない。ゴミを使った埋め立て地の造成は日本でも見られるが、将来に起きるかもしれない環境問題を考えると、非常に危険な方法であることに変わりはない。
ゴミの処理はそれが発生した場所自身が責任を持つべきであり、この原則にしたがえば、都市のゴミを農村に持ち込むことではなく、中国で必要なことは都市内部で安全な処理を行うことである。それには、焼却炉の建設や、市民が責任をもって分別処理をする制度の採用が喫緊の課題である。生活汚水についても浄水場を増やすことで、河川や湖沼に流れ込み、やがて農業用水の地表水や地下水を汚すことのないようにしなければならない。
執筆者:高橋五郎 愛知大学教授 国際中国学研究センター所長 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
想定内ですな
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