食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

 全てを捨て.....

2006-04-25 01:26:56 | Weblog



全てを捨ててキリストに付いて行くとは一休宗純がそうしたように高い位を捨ててまで貧困者に尽くす道を選ぶという事ではないか。大塩平八郎も自分の蔵書を売り払って窮民へ散財した。今いるキリスト教徒も自分の財産を売り払い弱者へ分け与えるならそれは恐らく神に喜ばれる事です。新約聖書には
全てを捨ててキリストに付いて行く事ができなかった人の話が載っているので良く読んで戴きたいと思います。


甘党の宗教は盲目
あなたは胎にいる頃より愛されている」 これは世界で餓死していく人々も同じであろうし食卓に並ぶ米一粒一粒も、豚達も先祖代々全能の神に知られている。飢餓に苦しむ者達の死を見届けている神が飽食に明け暮れる我々を見た時、どのような感情を持つだろうか。想像すらしていない事が問題です。

イエス・キリストが神の意思を遂行し苦難の末に天国へ至ったという話を信じ天国を求めるのなら、快楽を避け
苦と迫害の道を選択して下さい。広き門に囲まれれば囲まれるほど命の門を見出す事は困難、大半の者は滅びに至る時代です。肉食・飽食し環境は汚染、止められた疫病・飢餓・テロを止めず世界を荒廃させる「世直し教」、世界の害毒です。


人類は太陽系すら出られない存在。仮に神が○○教の人間しか救わないというのなら宇宙の広大さに比べその心の狭さは何なんだと誰もがいぶかる処です。既に二通りの人間に分けられていると思います。気付いた者とそうでない者、物分かりの良い者と悪い者です。


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