食と世界

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戦う福音 イスラーム

2012-07-05 02:55:42 | 焚書/解体


欧州が地球上の「悪」の拠点と化していく事で、キリスト教を弾圧したローマ人がその賢明さを証明しつつあった時。

ローマ人キリスト教への防壁として下された天の啓示がイスラームであったと言っても、それに合理的疑念を挟ませない程の歴史的裏付けは取れない。7世紀の預言者は何を見て、イスラームを興したのだろうか。


*以下緑字『マホメットの生涯』(ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和男訳 河出書房新社)、白抜きは『燃えるイスラム史』から転載

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ (570年頃-632年)
イスラム教の開祖。アラビア半島メッカの支配部族・クライシュ族の名門ハーシム家に生まれる。モーセ、イエスその他に続く最後の預言者とされる。



洞窟の啓示(610年)

「そんなある日、ヒラー山でムハンマドは天使を見ました。天使を見るとは霊験あらかたでありがたい物ですが、そのお姿に恐れおののいたムハンマドは『偶像も崇拝する、占いも信じる、だから占い師にはなりたくない』と、ハディージャに相談したようです。彼女は『神は貴方を占い師にはしない。真実を伝えるのです』と励ましました」


光が降り注ぐ啓示にマホメットは狼狽し自身が悪魔にとり憑かれたようだと錯覚してしまう。その動揺を救ったのは15歳も年長の妻ハディージャの機知だった。

「私がひとりとなると、たちまち『おお、マホメット、おお、マホメット』と呼び掛ける声が聞こえた。私が天の光を見るのは、夢の中ではない、すっかり目覚めた時なのだ。眼に見えぬもの、やがて起きることを知っていると言い張るあの偶像や魔法使いどもを、私はこれまで嫌悪してきた。その私が、今、魔法使いになってしまったのか。私を呼ぶ者は悪魔ではないのか」(バラドゥリ『年代記』)

天使が姿を現したら、すぐ呼ぶようにとハディジャはマホメットにいう。マホメットは妻に叫んだ。天使が彼の側にいて、光り輝き、語りかけるのだ。ハディジャは、右膝の上に座るよう夫に命じた。彼は妻の右膝に腰をおろす。
「まだ天使が見えますか」とハディジャは問うた。「うん見える」とマホメットはいう。彼女は膝を変えるように命じ、「私の左膝にお座りなさい」彼は従う。
「やっぱり天使はいますか」「まだ見える」とマホメットは答えた。
ハディジャは衣服を脱ぎ捨て素裸になり、マホメットにも裸になるよういった。そして、彼女の体に腕を回し、力一杯抱き締めるようにいった。マホメットは従った。「これでも天使は見えますか」
「いや」と彼は答えた。「天使はいなくなった」

ハディジャは衣服をつけ、夫にいう。「あなたに語りかけたのは、やはり天使です。悪魔ではありません」 彼女の説明によると、それが悪魔だとすれば、裸の妻が夫を抱くのを見て、心を乱すことはない。一方、天使は内気で、みだらな光景には耐えられない。はにかんで、そっと姿を消したのを見ると、それはまさしく天使であり、悪魔ではないというのだ。これで証明された。



ハムザの改宗(615年)

天使の命を受けて始まったマホメットの宣教は困難の連続だった。親族は改宗に応じず、無視と嘲笑、次第にメッカの宗教を貶す説教には部族社会からの罵倒が強まり始めた。相次ぐ暗殺未遂事件でマホメットは血まみれになり、ハディージャの子ハリト(前夫との子)が最初の殉教者となった。

格闘家にして騎士、マホメットの叔父ハムザは或る日、預言者の敵アブー・ジャフルがマホメットを殴った話の顛末を聞かされた。宣教には反感を覚えていたハムザであったが、親しい甥が虐げられた事に激昂、カーバ神殿まで行き、座っていたジャフルの頭にいきなり弓を叩きつけて、こう言い放った。

「マホメットが一族から見棄てられるとでも思っているのか。よく聞け。今日からおれは、彼の宗教を受け入れたぞ! おれはイスラム教徒になる。もし、お前にしろ、他のやつらにしろ、イスラムを攻撃する勇気があるやつは、おれにかかってこい!」 この瞬間から、信徒の中に騎士が加わる。彼は、アリと共に戦場を駆けめぐり一騎打ちにたけ、恐れを知らぬ騎士として、アラーの栄光を地上にもたらすこととなる。


ウマルの改宗(615年)

「授業に入る前に、イスラームの、コーランの奇跡である話を一つしましょう。メッカには反イスラム反ムハンマドの急先鋒にして、血気盛んな若者がいました。

その名はウマル=ハッターブ

悪魔が恐れる男と呼ばれ、剛直で一本気、マジメで誠実ですが頑固な男です。ウマルはイスラム教を一族古来の教えを破壊する邪教だと信じ、ある日ムハンマドを暗殺しようと立った事がありました」


ウマル(オマル)は家に入るにも屈まねばならない、豪胆直情な大男。騒乱の種であるマホメットを始末するためムスリムの集合場所に向かっていた。途中の道で出会った男(ムスリム)が企てに気付き、ウマルに言った。

「最初に君の一族に異端者がいないか心配したらどうだい」 ウマルは尋ねた。「俺の一族とはどういう意味だ」 「君の妹ファーティマと夫のサイードがそうじゃないか」

怒り狂って踵を返したウマルが妹夫婦の家の前に着くと、ちょうど家の中からコーランを吟唱する声が聞こえてきた。これを耳にするとウマルは激怒して、家に入り2人が血だらけになるまで殴り続けた。

しかし妹ファーティマは殺されても棄教はしないと言う。いささか冷静さを取り戻したウマルは、その宗教心に打たれ、読んでいたものを自分にも聞かせるよう求めた。読誦されたのはコーランの20章であったと言われている。

「慈悲深く慈愛あつき神のみ名において! 我らが汝にコーランを下したのは、汝に苦労させるためではない。ただ畏れかしこむ者への訓戒として、大地と至高の天とを創造したもうたお方の啓示としてである。この慈悲深いお方は玉座に登っていたもう。天にあるもの、地にあるもの、その間にあるもの、また地下にあるもの、その全てはこのお方のものである。汝が声を張り上げるのもよいが、このお方は、秘密の事も、それ以上に隠されている事も、全て知りたもう」 「まことに私こそは神であり、私の他にはいかなる神もない。それゆえ、私を崇めよ」(『コーラン』)


「驚くべき崇高さだ!」
オマールは妹夫婦をかき抱き、赦しをこうた。そして直情怪行な彼らしく、ただちにイスラム教徒になると宣言するのだった。


コーランは無数の脚韻を踏み、文飾、詩的な趣が聴く者の心を惹きつける。彼は世界で四十番目のイスラム教徒に改宗した。悪魔も恐れおののく男ウマル=ハッターブ(後の2代目カリフ)の改宗により活気付いたムスリム達はカーバ神殿で堂々と礼拝を行うようになった。  
(以下続く)



マホメットが意図したのは新宗教の樹立ではなく、古き真の神に由来する宗教の復興、即ち一神教徒の怠慢によって舞い込んだ“加筆”の削除だった。

「預言者なんて嘘」 批判的な見方がキリスト教側には常にあるが、新生カトリックの粗末さゆえに宛がわれた兄弟としてのイスラム教の側面は小さくないのではないか。コーランの教説は旧約より新約聖書の方に土台を持っており、マホメットの信仰に影響を与えていたのはマリアの偶像化・聖人崇拝を嫌ってローマ帝国を追われた(431年)キリスト教ネストリウス派であった。

「純正なる人アブラハムの宗教をとる。彼は偶像崇拝者ではなかった」
(コーラン2:135-136)
「我はまた「キリスト教徒である」と言う者とも約束を結んだ。だが彼らも与えられた教訓の一部分を忘れた。… 啓典の民(キリスト教徒)よ、汝らの経典の秘密を明るみに出し、また明るみに出す必要のないものを、取り消すために、御使いがまさに汝らに来た」(コーラン5:14-15)



全世界の侵略と莫大な個人の富の夢に適した宗教にヨーロッパが包装し直された時、アラビアの部族を一つの信仰に団結させる砂漠の巨人が立ち現れ、東西に広く版図をとり白人種を長く欧州に押し込め続けたのは歴史の偶然として片付けられるのだろうか。


画像借用元: 世界史地図理解 宗教史授業シリーズ





コメント (10)
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