食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

原始キリスト信仰を生んだもの

2012-05-26 01:41:53 | 焚書/解体


原始教会ないしエビオン派のパウロへの反発は
"「復活」がイエス信仰の発端ではない"事実を逆説的に浮かび上がらせている。「神の子」としても「メシア(ユダヤの王)」としても発生したとは思えないイエスへの信仰は、何故ユダヤの地で発祥していたのだろうか。その原初の姿を追ってみたい。
 


紀元後1世紀、パレスチナの村落共同体は、新たな支配者のローマ帝国に組み込まれ、政治、経済、宗教、文化のグローバリズムに晒されて困窮化の一途を辿った。重税で借金漬けになった農民は土地を取り上げられ、家族も解体して流浪化し、「ローマの平和」は実に過酷で、…
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/7330/1/20110428-4-5.pdf


2千年前のユダヤ世界では新たに流入したローマの支配体制の下で
貧困律法(宗教的戒律)によって苦しむ人々が増え続けていた。

野蛮なローマ帝国(共和国)は植民地に飢えており、巨大な軍事・官僚機構を抱え重税が基本。その重圧が上流階級(サドカイ派)でも中流階級(パリサイ派)でもないユダヤ教徒貧民層に時代の要請に応じた救世主(み言葉)への需要の手を呼び起こしていたのではないか― イエスの実像をある程度そこに洞察することができると思う。

世界史講義録 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-18.html
極端に言えば救われるのは金で戒律を守ることのできる人だけになる。そして、ローマの支配下で重税をかけられて、貧しい人々がどんどん増えていたのが当時のパレスチナ地方です。
こういう状況の中で、イエスが登場して民衆の支持を得る。イエスが何を言ったか、もう想像つくでしょ。かれは、最も貧しい人々、戒律を破らなければ生きていけない人々、その為に差別され虐げられた人々の立場に立って説教をするんですね。戒律なんて気にしなくてよい。あなた方は救われる、と言い続ける、それがイエスです。





パレスチナの混乱
紀元前4年 ヘロデ王の死を契機に反ローマの内乱状態に突入、… この鎮圧で2000人が十字架刑によって処刑された。
紀元6年 ガリラヤでのユダの反乱・・・ユダヤがローマ直轄の属州になった時、ユダ(ヒゼキアの息子と言われる)という人物が、ローマによる徴税に対する反対闘争を開始する。彼は「土地の収穫はすべてヤハウェの神ひとりのもの。税金を納めることは第一戒に対する違犯だ」と主張して農民を扇動するが、結局鎮圧され多くの犠牲者を出す。
紀元28年 ユダヤ総督となったピラトは皇帝の軍旗をエルサレム神殿に持込み大騒動となり、暴動寸前でピラトが折れる形で沈静。
紀元44年 ヨルダン川東のペレアで、狂信的な農民の反乱
紀元51年 サマリアで1人のユダヤ人が殺害された事に端を発した、サマリア人とユダヤ人が衝突する事件が起こり、混乱の中で多数の犠牲者を出し、皇帝の採決にまでに及ぶほどで、以降パレスティナの混乱始まる。
紀元54~
55年
エジプト人の乱・・・総督フェリクッスの時に起きたエジプト生まれのユダヤ人預言者の反乱事件。4000人(ヨセフスによれば3万人)の暗殺者を荒れ野に集め、オリーブ山に集結させてエルサレムになだれ込もうと計画するが、ローマの守備兵に蹴散らされて一部は殺害され、首謀者は逃走して行方不明。


1世紀には
熱狂的なユダヤ原理主義(ユダヤ・ナショナリズム)が吹き荒れていた。伝統的戒律を乱す異端的集団への厳しい追及が必然的に起こり、迫害はやがてユダヤ教とキリスト教の分離を決定的にするのだった。

その過程の中ですべてが既存の
異教神話が混入したと私は推定している。エジプトの有名な神を拾い上げている点でも(母イシスは2世紀以降ローマ全土で信仰された)初めから実在した神話としての実現は想定しておらず、それよりは早くユダヤ教の亜種を始めたい人々がいた事情を窺わせる。

イエス派ユダヤ教がローマ帝国内で睨まれるキリスト教運動の段階に引き上げられた頃には、宣教者達は原始福音に背を向けていたのだ。

http://www31.ocn.ne.jp/~fellowship/act_08.htm
ステパノの殉教から始まった教会への迫害は、宣教を拡大させるものとなった。… 宣教の舞台はエルサレムとユダヤを離れて、異邦人世界へと大きく展開していく。



・膨大になった律法と教条主義の行き詰まり
・憐れみ・善意を疎かにした宗教エリートによる「差別」
・ヤハウェ=家父長的な原理への追従の限界


イエスの説教から幾つかの方向性を導き出せば、2千年前のユダヤ世界の諸問題に対応している事が分かる。イエスは或いは厳罰で共同体を支配する父性の神に抱き合わされた花嫁的存在でもあったのではないだろうか。

現在のキリスト教はパウロによる所が大きいが、初めの数百年間、救いの為には
ユダヤ教徒でいる事を求めた"ユダヤ教内イエス信仰"がなお存続し、原初の光を放ちながら歴史の表舞台から姿を消して行った事は注目に値する。「イエスが架空の存在であれそんな事では揺るぎもしない」 それが最古のキリスト信仰であったろう。

画像借用元: The Roman Empire The World's Best Photos 

関連記事: 誰がキリスト教を始めたのか  





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初期キリスト教の多様性

2012-05-06 21:52:06 | 焚書/解体


数多の偽書を生んだキリスト教の初期にはより多くのキリスト教分派が存在した事が知られている。

乱立するキリスト教集団は自身の教義に沿う正典を独自に護持していた。パウロを"無知"と断じたクレメンス文書も信奉され、パウロの名声も一様ではなかった。初期キリスト教はどんな集団だったのだろうか。



    グノーシス派
グノーシス運動は1~3世紀に東地中海地域で進展した複雑な宗教思想の総体。人間は血肉のみから成る存在ではなく、神と宇宙に関する正しいグノーシス(知識 gnosis:ギリシャ語)を認識する事で天に源がある霊/神性の閃きを呼び覚まされるとする教説。

キリスト教神話を独特の多神教的解釈によって取り込んだため異端とされた。グノーシス的宇宙観によれば旧約の神は破滅的なこの物質世界を創った失敗の神
(悪神)に過ぎず、善なる絶対神・天上界は物質世界の外部に存在すると考えられた。

グノーシス派は
『アダムの黙示録』、『セトの書』、『フィリポ福音書』など多数の偽書を作成した事が報告され(多くは破壊され現存していない)キリスト教集団の正典編纂作業を激化させたと言われている。1945年に46の書から成るグノーシス派のナグ・ハマディ文書が出土して大きなニュースになった。

    マルキオン派
144年頃発生した純パウロ的集団。マルキオンは著書『対立論』の中で残忍な旧約の神とパウロが説くイエスを派遣した慈愛の神は別個の神という考えに帰結した。

聖書(旧約)を破棄、純粋にパウロ化した独自の正典を持ち、大きな勢力となった。新約の文書群が主張をたがえたまま一つに統合された契機は、異端マルキオン派への対抗上と推定されている。四福音書に『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』の名が付されたのも恐らくは2世紀後半のことである。

十字架~復活の場面はイエスが苦しんだかどうか(仮現説 - Wikipedia)を巡り異端(マルキオン派やグノーシス派)との論争の場になり、異端対処に苦心した2世紀の正統派教父パピアス、エイレナイオスは興味深い話を残している。彼らの支持する伝承によれば、イエスは30代で若死にせず、初老まで生き人生を全うしたという。

    エビオン派
モーセ律法の施行に拘り、マルキオン派と対照的にパウロを使徒と認めなかったユダヤ律法主義的集団。

原始教会との共通性が多いこの集団をユダヤ戦争(66-70年)後行方をくらましたエルサレム教団の系譜を引く集団だと考える学者もいる。エビオンとはヘブライ語で「貧しい」を意味し、パウロは原始教会を貧しい者達と呼んでいる。死海文書を記したクムラン宗団も自らを貧しい者と称していた。
「ただ、私達が貧しい人達のことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうど私も心掛けてきた点です」(ガラテヤ2:10)
イエス派ユダヤ人と消えた「エルサレム教団」


多派に分岐するエビオン派の大まかな教義は
・割礼などモーセ律法の遵守 ・菜食主義 ・財産の共有 ・禁欲主義 ・イエスは人間(模範的ユダヤ教徒)として扱う ・パウロへの拒絶

ほぼユダヤ教徒といえる彼らの正典は主に
『ヘブライ語聖書』、『マタイ福音書』(1~2章(処女降誕伝承)はカットした)、『エビオン人福音書』、『ナザレ人福音書』、『ヘブライ人福音書』

エビオン人福音書のイエスは「過越の子羊をあなた方と食べる気はない」と菜食主義を貫き、洗礼者ヨハネの食事もイナゴ(マルコ1:6)が削除された。この集団は多数派にはならず、4世紀を過ぎる頃には消滅してしまったらしい。


    原始正統派
最終的に新約聖書を構成したのは、競争に勝った一派の文書だった。この宗派の系譜に名を連ねる教父はユスティノス、オリゲネス、エイレナイオス、クレメンス、エウセビオスらである。

現在のキリスト教に繋がったこの一派は、覇権を握るなり自身がキリスト教の誕生時から正統だったと主張した。しかし古い史料を辿れば、この"正統信仰"なるものは必ずしも初期の多数派ではなかった事実が浮かび上がる。教義も論争の末に生まれた、イエスや使徒が語っていない後世の産物を多く抱えているのである。 アタナシオス信条 - Wikipedia

彼らの信仰は必ずしもキリスト教の原型とは言えず、熾烈な戦いの末に、勝利を勝ち取ったに過ぎない。


異端とされたグノーシス派でも、今日のキリスト教の様な低俗な思想ではなかった。キリスト教グノーシスでは復活信仰では救われず、イエスが語る神智を自力で解明する者だけが救済に与ることができる。



“カトリック”(普遍)としてローマ帝国に認められた一派は、ローマ周辺で勢力を保っていた集団だった。またユダヤ的要素を(旧約聖書ですら)廃していたマルキオン派も同じく、西側のローマ周辺で勢力を築いた一派だった。

考えてもみていただきたい。開放的なラテン人に、ユダヤ人の緻密で地下的な世界が理解しうるものだろうかと。
宗教熱心な今の米国人には
モーセ五書十戒はおろか、四福音書さえも言えない人が少なくない。大味な西洋人の民族性に合うのは、叡智と実践を犠牲にしながら一般化されたパウロ思想だけであったのかもしれない。


最近千年間のキリスト教が1億人以上を殺害・奴隷化した事実に鑑みる時、皇帝権威/公会議によって一掃された宗派こそ本物のキリスト教であり、現代まで君臨したのがローマの男神崇拝、女神崇拝の換骨奪胎でしかなかったという結論に異論を差し挟める人はいないだろう。



画像借用元: 聖書の民 横浜金沢みてあるき 白地図、世界地図、日本地図が無料
参考文献: 『キリスト教成立の謎を解く』 バート.D.アーマン著 津守京子訳 柏書房 
 

関連記事: 異端問題と新約聖書  





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