食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

米大使館のエルサレム移転 死者60人以上 (5月)

2018-06-04 22:14:34 | 聖書

















米大使館移転:ガザ衝突、死者62人に 
安保理が緊急会合
パレスチナ自治区ガザでは15日、米国が在イスラエル大使館をエルサレムに移転したことに抗議するデモ隊とイスラエル軍の衝突が続いた。ガザの保健当局によると、イスラエル軍の発砲で新たに1人が死亡。14日と合わせた衝突の死者は62人に達した。

 

ガザ保健省によると、大使館移転の14日以降、抗議デモで67人が死亡、
3500人超が負傷した。
第三次中東戦争開始から51年となる6月5日にも、再び大規模デモが
呼び掛けられている。


トランプ大統領の米大使館移転、イラン核合意破棄などの乱暴な中東政策は『イスラエルのためのキリスト教徒連合』ら、聖書を狂信する5千万人プロテスタント福音派の支持をとりつけるためのもの。

陶酔感のうちに上の空で殺人させる卑怯極まりない極悪態・極悪業の
反平和の催眠装置が今なお害悪を放っている事は、平和と人類存続のリスク
として人々に凝視されなければならない現実である。

軍事力を持つ大国が専横的に実力行使を行うこの機会に、私達は
世界がどこまで酷くなるのかの根源・『新約聖書の世界』にマクドナルド、
ハーゲンダッツ、アマゾン等を通して投資させられていないか―
改めて見直す契機にしたい。

外部サイト 


 

微塵も神に相手にされない精神異常の進行を後押しする実質的要因となった甘えと腐敗の教理を糾弾しないならば、人類の残り時間は少ない危惧すら覚えるのは私だけではないだろう。

「ヨーロッパは、神の、あるいはキリスト教の精神を代表していない、むしろ
サタンの精神を表している、というのは私の堅い信念である。そしてサタンの成功が最大
のものとなるのは、その口に神の名をのせて現れるときである」 ガンジー











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イエスは史上実在したのか

2011-12-20 07:52:25 | 聖書


西暦はご存知の通りイエス・キリストの誕生年を紀元にしている。しかしキリストの生年は計算と微妙にずれておりBCかACかはっきりしない。生まれた年も月も分からない。その事自体が神話の世界の住人である事を象徴している。

近代に入りイエスの歴史性を確保しようとする運動が広まると、神学界はたちまち迷宮に入り込んでしまった。イエスの実在を示す史料が(新約以外に)見付からなかったのである。1世紀近辺の文献は豊富にありシリアの総督がBC9からサトゥリヌス、AC6から『ルカ』にも記載のあるキリニウスに替わった事は複数の史料から確認できる程なのに、イエスに関しては歴史的実像を映す瑣末な伝承さえ出て来なかった。 
史的イエス - goo Wikipedia


飢えたる者数千人へ給食、死者の蘇生まで行い熱狂を集めた人物が? 民間伝承一つ残っていないとは如何なることか? しかしキリストの行った奇跡のうち先行する異教のミトスに記されていない物は無かったのである。イエスという名称自体、旧約のホセア書、ヨシュア記にも共通するありふれたヘブライ人の原型的英雄の名だった。 YHVShVa (主は救い:イェシュア=ヨシュア=ホセア)

僅かな史料
タキトゥス(55-?)
 「それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストス信奉者」 と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストスなる者は、 ティベリウスの治世下に、元首属史ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。」 (『年代記(下)』 国原吉之助訳)
ローマ初見の史料。又聞きの形で信頼性は薄い。先輩歴史家によるイエスの同時代史料は存在しない。

ヨセフス(37-100) 「彼は奇跡を行う者であり、… 多くのユダヤ人と少なからざるギリシャ人とを帰依させた。 彼こそはクリストスだったのである。 … すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者達は、これらのことや、 … それが実現したのである。」 (『ユダヤ古代誌六』 秦剛平訳)
ヨセフスはユダヤ戦争にも参加したユダヤ教パリサイ派の歴史家。1世紀末に激しく対立していたキリスト教への好意的な文章を書くとは考えづらく、聖書の横領集団に「神の預言者」とお墨付きを与えている表現も不自然で当該部分は"後世キリスト教徒の改竄・加筆"が通説になっている。

処刑人ピラト
ピラトに関する様々な伝承が伝えているのは、彼が福音書の姿とは異なる悪政を欲しいままにする冷酷な反ユダヤ主義者であったことだ。イエスの死後もピラトは暴れ続け殺人事件を契機にユダヤ人の直訴で解任されているが、彼が神の子の処刑について記憶していた節を示す物は何もない。

十字架刑
ローマ法に抵触していないイエスが最も残酷な十字架刑を課せられたのは少し不自然な感を抱かせる。十字架刑は通常数日間掛けて殺し死後4日程は見せしめにされる国事犯向けの刑だがイエスは数時間で死に磔台から降ろされている。 刑罰の一覧 - Wikipedia

原罪救済論
パウロの唱える"
原罪"はユダヤ教の概念とは少し異なる。原罪とは人間の努力で動かせない性質の本質的規定でありそれで人間的向上を諦めろという話でもなければ、神が処方箋を充てて解決する問題でもない。事実イエスの血が流れてもキリスト教徒は考えられない腐敗・悪徳に浸かりながら今日まで生き延びて来た。イエスの死が人類史上役立った事など一度としてない。

捧げ物(生贄)だけで契約が完全になる論理も持たないユダヤ教では
原罪に応じて救世主を派遣した神は聖書の神ではあり得ないとする(2体目の神)。ユダヤ教徒のイエスに問い合わせてもキリスト教神学は詭弁・意味不明の塊だろう。

ガリラヤの説教団
パレスチナ周辺を記録していた約40人の著述家は最低1年以上活動していた筈の13人の集団、その大評判のリーダーが無実の罪で処刑される一大イベントも全く記録していない。

12人を連れながらの奇跡・説教はミトラス神話との完全な相似があった。実はキリストの生誕時に贈与される
東方の3賢者による黄金・乳香・没薬(『マタイ』のみの記述)。これらはミトラスの神話と完全に一致している。もし現在までキリスト教とミトラス教が共存していたら?酷い宗教性脳炎が世界を覆うこともなかっただろう。

死海文書
死海文書は戦後イスラエルで発見されたクムラン宗団の巻物群。この前1世紀頃の古文書から、新約聖書の教義、イエスの説教が発見された。エッセネ派との類似項が多いこのユダヤ人一宗団の文書はキリスト教の誕生に幻惑的な光を当てている。 死海文書

イエス自然死説
イエス自宅で死亡説は複数の証言がある。初期の教団にとってオマケでなければならなかった復活話(当時の教会はキリスト教と多神教との接点の多さを知っていた)は世界を霊・肉の二元に分け「霊の肉体からの解放」を喜ぶグノーシス派(異端)に好まれむしろ厄介な代物になっていた。異端問題に手を焼き『異端反駁』の著作がある2世紀の正統派教父エイレナイオスは遂に告白している。
「イエスは自宅で老衰して死んだ」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


全ての証拠を考慮すれば、現代に語られるイエス・キリストとみなしうる人物は歴史上一度たりとも存在し得なかった。十字架、埋葬、復活を始めとしたナザレのイエスを囲む歴史のイベントは過去に存在した神話達と何ら変わりない。

50年代のパウロ書簡に呼応するように帝国の大規模弾圧は現れ、以降の福音書・手紙は吹けば消えるキリスト教存亡の危機感を基に作成されている。宣教のキリストという生存に有利なイエスの形態も強めて行くべき背景はあった。

「人の子は三日の後に甦ります」(マルコ10:34)とあれば現実世界の正しいイエスの言行録ではなく神話とアニミズムを混合した小説(宣教用)として書かれている。イエスは死後ローマの神群入りを果たしたと考えれば、1世紀に誰一人イエスを知る者がいなかった事態はあまりに自然な状況なのである。





キリスト紀元後の世界
最初期において人間だったイエスの半神的側面は多くが後付けの虚構だろう。西暦30年代のユダヤ世界では「ユダヤ人殺しのピラト」は問題になっていたが 「神の子殺しのユダヤ人」騒動が起きていた気配はない。

ユダヤ人はキリストを虐めて殺していない可能性があるのだ。欧州で幾たびのホロコーストの片棒を担ぎ続けた処刑物語が「実はウソでした」などと、今更誰がどの面下げて言えるのだろう?



無制限の肉身の快楽(物質欲、食欲)、無制限大量殺戮、無期限の搾取と飢餓 キリスト教徒半狂乱の歴史は人間の責任を減少させ差別心を育む新薬聖書というドラッグ+人間性を壊す肉食の所産だというのは個人的な信念である。

霊・天使・奇跡とまるで精神分裂病の世界を鵜呑みにする事が、一つの宗教に肩入れした神という危険な幻覚を起こし世界は排他的に集束された僅か一本の真理の道を握る選民達のやりたい放題の地上地獄に陥れられた。

人類が救いどころか余計に苦しんだ現実は救い主がでっち上げだった事実を証明する。今イエスから歴史の鎧を外してやることが大切だ。それは絶えざる紛争の種、地球上の誰も見ていない一地点で何のニュースにもなっていない一人の男の処刑を“神の愛”などと言い張る奇態な苦行から人類を解放するだろう。

  「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」 ジョン・レノン

画像出典:Church of the Flying Spaghetti Monster







 
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肉食とセシウム被害

2011-12-07 23:57:10 | 聖書


感染症情報センターに掲載されている幾つかの疾患で、今年の5~6月以降大幅な患者数増加(例年比)を示す感染症が目立っている。
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/


夏季に流行するウイルス性疾患。報告数の90%前後を5歳以下の乳幼児が占める。


RSウイルス感染症、今冬に大流行の恐れ 患者数が最多 - asahi.com


ウイルス性疾患が増えた理由は放射能によるウイルス、バクテリアの生態系が破壊されたこと(加えて免疫異常)と考えられチェルノブイリより早い異変の進展が起きているという。
放射能で微生物生態系が「沸騰」し、B・C型肝炎も劇症化へ - 阿修羅
放射能が降り注ぐことで微生物が住む土壌生態系が沸騰・活性化し、凶悪なウイルス次々と生まれる一方で良性のバクテリアが死滅することが分かる-福島を中心として放射能土壌生態系(=腐海)が出現した。


セシウムは筋肉部に入り込むとの事で今後日本人の心臓、胃、腸、眼、肝臓、腎臓への被害はじわりと顕在化して来るのかもしれない。全身を放射能の格好の標的にしないために、この機にさっぱりと臓器を傷害する西洋的食習慣と縁を切ってみては如何だろうか。
(以下
青字は下記サイトからの転載)
チェルノブイリ事故発生から25年間の健康被害まとめ
●2000年(14年後)
・ベラルーシでは1990-2000年の癌患率が40%増加した。最も汚染の強かったゴメリ州で52%と最も高かく、汚染の少なかったブレストとモギリョフ州で33.32%の増加だった。



肉類
るの字は"臓腑に肉"の意から取られたという。腐敗細菌と毒素で体を満たす内部被曝も同然の行為が肉食である。英国の調査()では菜食で胃、腸、肺、膀胱、リンパの癌までリスクが大きく低減する可能性が示唆されている。
●1995年(9年後)
・1976年と1995年のベラルーシの比較。悪性の腎臓腫瘍 男4倍以上、女2.8倍以上。悪性膀胱腫瘍 男2倍以上、女1.9倍以上。悪性甲状線腫瘍 男3.4倍以上 女5.6倍以上。悪性結腸腫瘍 男女とも2.1倍以上。放射線管理区域のゴメリ州では、腎臓ガン 男5倍、女3.76倍。甲状線ガン 男5倍、女10倍。(ゴメリ医大、バンダジェフスキー博士)


乳製品・動物性脂肪

疫学的に乳製品摂取が心臓疾患と相関することは有名だが白内障、前立腺ガン、骨粗鬆症のリスクも報告されている。ヨーグルト習慣で動物性乳酸菌の摂取が増えても胃腸病、大腸ガンはむしろ増加を続けている。ヨーグルトは本当に健康に役立つのだろうか?・・・
ヨーグルトとチーズを摂ると白内障になる・・『最新医学大事典』/前立腺ガンリスク高める
●1996年(10年後)
・ベラルーシの事故現場から200キロ以上離れた村で、子供達の23%が白内障にかかったり、失明したりしている。その村では84%以上の子どもたちに不整脈。多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況。80%の子どもが、胃炎や潰瘍を患っている。特にひどいのは12歳から15歳の子供達。胃の粘膜が萎縮し、70過ぎの老人のよう。(原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ)


パン・砂糖

図=食育大辞典より パンは吸収が早く
強い血糖抑制反応(インスリン分泌)が糖尿病・膵炎・肥満を誘発する擁護できない諸悪の根源である。主食にはより硬い物が勧められる(米、パスタ、そば…)。砂糖は免疫力にも影響するのでブドウ糖や麦芽糖(甘酒、みりん、水飴)、又は人工甘味料で代用すると良い。
●2000年(14年後)
・2000年までにロシアでは270万人が事故の影響を受け、カルーガで行われた検診では癌の症例が著しく増加していた。乳癌が121%、肺癌が58%、食道癌が112%、子宮癌が88%、リンパ腺と造血組織で59%の増加。(Wikipedia)




児童相談所における虐待相談の処理件数(全国)
'91  1171件 '01 23274件
'95  4102件 '05 34472件
'99 11631件 '09 44210件
         '10 55152件


米国の児童虐待通報件数はこれだけ増えた日本のなお50倍以上もある。食事を自由にできない最大の理由は健康以前に大脳の機能が壊されるからである。



「右のほほを打たれたら相手が死ぬまで殴り続ける」キリスト教国の伝統的な愛の無さは中心的な掟が食事に関してであるユダヤ教から離れ過ぎた事と無縁ではない。

何故キリスト教=肉食か
キリスト教の肉食主義は“イエス=律法からの解放者”とする誤ったパウロの定義が原拠なのだろうが、これも1世紀当時から支持された考え方ではなかった。

福音書のイエスと弟子達が
新しい宗教を創っている意識のないユダヤ教徒として描き出されている通り、初期キリスト教も旧約聖書を崇めるユダヤ教そっくりの集団であらねばならなかった。イエスも当然食物禁忌に従うユダヤ教徒である。

「牛や豚は人間様に食べられるため神様がお創り賜うたものだから」というキリスト教の常識は新しい約束の提唱者であるパウロ(或いはローマ皇帝)から発せられたもので、明らかに後世キリスト教の世俗主義の産物なのだ。そもそもあまりに広大なローマ帝国全土で割礼、食物禁忌が施行できるはずもなく、帝国の国教に採用された時点でキリスト教は単純化された俗悪な宗教へ変容せざるを得なかった。

神ではないものを「神」、「主」と呼びながら神の名で血生臭い行為を正当化する飯事が続く限り、キリストと接点のない“新厄時代”が終わる事はない。


ミトラ教.天使七星学.ミトラの秘教占星術.


関連記事: 放射線対策 2 スパゲティモンスター養生法
画像出典:Technical Translation Services







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パウロ教

2011-12-02 05:24:52 | 聖書


キリスト教の歴史はほぼ5世紀を境に旧約時代/新約時代に大別することができる。

「神との古い約束(旧約)は無効になりイエスを信じるのみで良くなった」とする現在の一般認識は正確にはローマ帝国が行った線引きであり4世紀以前の教会にとっての聖典は間違いなく旧約聖書だった聖書は全て神の霊感で書かれており…」とあればほぼ旧約聖書のことである。そして"契約"と"神"を作り変えた張本人であるパウロが初めから現在の名声を得ていたと考えるのは、現実からかけ離れている。




「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」 「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」
(コロンブス)

コロンブスが上陸した時に約800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかった。


日本は略奪国家アメリカを棄てよ コロンブスに見る「悪魔の精神」 - 株式日記




キリスト教は何故史上最多の人間を殺しイエスに反する暴虐行為を繰り返したのか。

―パウロ教だから

何故キリスト教徒は黒人奴隷をコーヒー農園・製糖工場で使役し優雅にコーヒータイムに浸っていたのか。
―マルキオン教だから



キリスト教は良くパウロ教だと揶揄される。イエスと面識がなくかつてそれのみでは異端視された男の書簡への聖書の比重の重さからそれは納得できるだろう。

パウロとは何だったのか
考察価値もないパウロ書簡の概要はイエスの言動に一切触れないまま、著述家パウロも承知していたローマ周辺世界では珍しくなかった復活神話を何やら迫真の演技で語っている。その救済論がユダヤ人相手に通用しない内容である点、煩雑なユダヤの規則を一掃して入信のハードルを下げている点、以上から無知
な異邦人を対象とした宣教文書である事が推察できる。

「そして、キリストが復活されなかったなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなた方の信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証した者ということになります。なぜなら、もしも仮に、死者の復活はないとしたら、神はキリストを甦らせなかったはずですが、私たちは、神がキリストを甦らせた、と言って神に逆らう証言をしたからです」 (第一コリント15:14-15)


当時のローマ帝国は多神教で、ローマ・ギリシャ・エジプト・オリエントの神々が縁日の屋台のごとく出店していた。その中で改宗者を得ようと思えば、強引に神を独占する一神教的教義、力作を捻り出して行かねばならなかった状況も想像できる。

キリスト教がご都合主義の解釈しかできず矢鱈と“唯一の真実”を他へ投げつけたがるのも
神の独り子という神の愛を限定する排他思想に傾倒するゆえなのだろうが、これはまるでローマの多神教に向けたアンチテーゼのような発想なのである。(ユダヤ教の許諾も得ず聖書を使い回している不正集団が「唯一の正統な子」を主張するとは何とも笑止な話だが)

興味深い事にパウロの真正書簡を時系列で並べると初めの2つ(『テサロニケ人への手紙一』『ガラテヤ人への手紙』)にはあのくどい
原罪思想(イエスを信じない者は地獄へ落ちる)が全く登場しない。この例からも“キリスト教理”は原始教会の了承を得ないまま、ギリシャ語を母語とする者達の無用な対外宣教の過程で膨張した可能性が高い(当時の帝国は西側がラテン語圏、東側がギリシャ語圏だった)。

元々のイエスとはユダヤ教の一派(エッセネ派の特徴が見られた)に対する限定的救世主に過ぎず救済範囲を取り替えながら布教されるべき対象ではなかったのだ。そして1世紀の大地に人類の救世主が来現した形跡は全くない。
キリスト教の歴史 - Wikipedia
アンティオキア教会の後援で宣教活動をしたパウロは、異邦人改宗者に対して割礼、食物禁忌、律法遵守を免除したため、エルサレム教会から猛反発を受け、各地のキリスト教共同体で論争や分裂が起きた。



世界の言語地図にはかつて吹き荒れた問答無用の異教文化破壊の傷跡がくっきりと映し出されている。

布教を伴う異教徒殺戮で数千万人という世界大戦級の死者が出ていようとも、
「結果的にキリスト教の大地になったのだから良かったではないかと擁護するキリスト教徒も実は少なくない。このアルコール以上に善心と人間性を麻痺させ容易に犯罪者の壁を乗り越えさせる独善キリスト教の麻薬的一面は、いくら強調してもし過ぎることはない。キリスト教の形をしたパウロ教団の特徴の最たる物は、イエスと何の関連性も持っていない点である。


「ユダヤ教はなぜ真の救世主を受け入れないのか」
キリストの正統性を否定するユダヤ教の姿勢が理解できなかった中世以降のキリスト教徒は、事あるごとにユダヤ教徒も迫害・虐殺した。しかし中立の立場からつぶさに事を検証すれば、実際はユダヤ教に分があったと考えざるを得ない。

キリスト教がイスラエルを崇め、聖書に触りたいのであれば、先ずユダヤ教の了承を取り付ける必要があるだろう。彼らは2千年間神の流用者、旧約聖書泥棒を追う原告だ。新約聖書の方も異教の神々の為の著作権である可能性がある。

以上の問題を解消できないのであれば、キリスト教は長年のペテン、裸の王様、違法かつ空虚な伝道の非の謗りを免れまい。

画像出典:Technical Translation Services






 
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異端問題と新約聖書

2011-11-19 13:26:20 | 聖書


既述の通り、イエスの誕生譚が歴史的事実とは関係がない"空想小説"のジャンルに入る創作話と判断できる以上「腐乱死体から甦ったイエス」を安易に信じる事はできない。

夏から6ヶ月間降下を続け12月22日付近に最低ラインに達する太陽高度が再度北へ上り始める様を、古代人は神話上の「死と3日後の復活」へ訳したのだという。面白い事に世界の何処でも夏至・冬至期の太陽は3日間の停止を見せる。北半球の神々は冬至に"生まれ変わり"、太陽神ミトラスはまさに死後3日で蘇る。
南中高度のデータ


クリスマス、イースター、黄道12星座…
(黄道:太陽の通り道) 実にキリスト教の諸要素は古代人の崇拝の主題でありローマ世界の土着信仰とも言えた太陽崇拝の概念で埋め尽くされている。自然崇拝を全身で体現しているような宗教が、他宗教を偶像崇拝・アニミズムだと揶揄している異物感にも自然と目が向けられよう。


イエスの扱いに関する正統・異端問題
福音書が当時としては珍しくない救世主神話の核(処女懐胎、神の子、奇跡....)を現実風の物語に書き直しただけの寓話であることはもはや反論の余地がないほどだ。奇怪にもイエスという人物には、一世紀のどんな歴史的証拠も存在していない。

それが“太陽と12の衛星”を適用したに過ぎない象徴物なのであれば、
イエスと弟子達は教会制度・教義の直接的な創設契機というよりはむしろマスコット的な側面があったのではないだろうか。「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」構図とは裏腹に2世紀に入ってからも 「12使徒の教え」 「著者イエス」の文書が続々と刊行されている。それら全てはイエスと弟子の使った日常語(アラム語)ではなくギリシャ語で書かれていた。(イエスの実在を示唆する文献はキリスト教徒が書いた文書以外には残っていない)


多種の手紙・福音書が相互に矛盾を含んだまま最大公約的に一つの書にまとめられた経緯は、二世紀の異端・マルキオン派に対する処遇上であったと推定されている。それまでの教会は旧約聖書のみを正典とし、キリスト教文書の整理の必要性を感じていなかったらしい。

マルキオンの考えは旧約聖書の神を不完全で偏狭な怒りの神と見做し、彼が心酔するパウロの説く神とは別物だとした。ユダヤの律法にもはや効力はなく、旧約聖書を排除しパウロ書簡と『ルカ』のみを正典としていた。『ルカ』はパウロの同行者ルカの名を冠しているようにパウロ寄りの福音書である。
マルキオン派 - Wikipedia

ユダヤ教に対し破壊的だったパウロの主張はイエスを立てた原始教会(ユダヤ教ナザレ派)からは断固拒絶され、異邦人教会の中でもパウロ書簡は未だサブの扱いだったようだ。それはそうだろう。当時ありふれていた古い他の宗教に属する復活信仰のみで神に認められようとする浅薄な信仰が完全である筈がない!


言及するまでもなくこの旧約排除+パウロ崇拝という異端的な信仰が今日のキリスト教では正統・標準的な思想に取って代えられている。あくまでユダヤ教を導く改革者・一預言者として現れ、後にローマ帝国を束ねる神へと加工されたイエスから見た教団史への感想は、如何なるものなのだろうか。








 
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神々のブレンド

2011-11-10 23:58:24 | 聖書


新約聖書『ヨハネの黙示録』のキリスト像にはミトラス教経典とのビジョンの一致が見られるという。終末にキリストは白馬の騎手として来臨し(黙示録19章)、ミトラスもまた最終戦争に白馬に跨った姿でやって来る。

ミトラ教祈祷書
「神が見えるだろう。すさまじい力を持った、
輝く顔を持ち、若く、金髪で、白い服を着て、黄金の王冠をかぶり、幅の広いズボンをはき、右手には、若い雄牛の金色の肩をつかんでいる。これこそが熊座という星座(7つの星からなる)であり、…」
ヨハネの黙示録(1:16)
右手には7つの星を持っていた。口からは、両刃の剣が突き出ており、(ミトラスは手に剣と火を持っていた)顔は、強く照り輝く太陽のようであった
(14:14)見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、
頭には黄金の王冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。」


キリスト教に見るその他の様々な異教的痕跡を挙げてみよう。

クリスマス
クリスマスはローマ帝国の祭日、不敗の太陽神の誕生祭(ナタリス・ソリス・インウィクティ)が由来と言われている。"不敗の太陽神"の称号は4世紀初頭ミトラスに付与されていた。

12月25日は他にも太陽神ソル、農神サチュルヌス、アッティス、ディオニュソス、女神ストレニアらの誕生祭が目白押しで、帝国はこの風習をなくす訳にはいかなかった。キリストの生誕日は国教化を計画した政治的事由から定められ4世紀中頃にはクリスマスが祝われるようになった。

イースター(復活祭)
春分も「昼の長さが夜を超える日」として大々的に祝われておりミトラスら神々の祝祭がキリスト教に引き継がれた。イースターの名称自体、異教(ゲルマン神話)の春の女神に由来すると言われる。

マリア崇拝は偶像崇拝ではないのか
4~5世紀のローマ全域に根付いていた地母神崇拝(アルテミス、イシス、キュベレ....)に応じて聖母信仰を認めざるを得ない背景があったと考えられる。純粋にキリスト教側から見れば、マリア崇拝もローマ帝国との妥協物と言えるだろう。「マリアは人である」と真っ当に主張したネストリウス派は「異端」
の烙印を押され退けられてしまった(エフェソス公会議 431年)。



鍵となる性格、その基盤の多くをキリスト教はミトラス教や他宗教から継承している事が分かる。

12月25日の誕生、3月25日の復活、3日後の復活、12使徒 これらは全て天体運行を模型にした神話のため「主がイエス様の物語を古代人に見せて下さったのだ」というキリスト教脳的な思考は残念ながら通用しない。独特の何も持たないものが、“唯一の真実”を掲げながら異文化を駆逐して行ったやり切れない荒唐無稽の暗黒史に思いを馳せていただきたい。


その生まれから2000年前の1人のユダヤ人を盲目崇拝する集団ではなかったキリスト教の変節は、ローマ周辺の宗教に影響された側面が非常に大きい。キリストを神格化し異邦人へ売り出したパウロは原始教会にとって破門すべき異端でしかなかったが、誇張と競合の流れは次第に収拾が付けられない状態になって行った。その痕跡は神話で潤色された齟齬の多い福音書にも見られる。

異教的素材を吸収し肥大化した像が人類の歴史へと転換される頃には、キリスト教は無知なる大衆を欺く人間性への犯罪に変貌していた。今日までキリスト教と呼ばれてきた物は、紛れもなく西洋でこね回され・箱詰めされた製品なのである。

画像借用元 THE SUN in your horoscope






 
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福音書の神話的アイデア

2011-11-01 02:51:12 | 聖書

イエスの誕生 - マタイ福音書 ルカ福音書
イエスの生誕祝いに3人の賢者が黄金・乳香・没薬を携えてやって来た。未来の王の誕生を恐れたヘロデ王は、ベツレヘム周辺の二歳以下の幼児を皆殺しにする。しかし先に天使のお告げを受けていたヨセフは妻子を連れてエジプトへ逃れた。ヘロデ王の死後ユダヤの地へ戻ろうとするが、ヘロデ王の息子が即位していたためガリラヤ地方ナザレに向かい、イエスはそこで育つ。 天使はナザレにいるマリアに現れる。ヨセフは身重のマリアを伴って、皇帝が発した住民登録令のためナザレからベツレヘムへ上った。宿屋に泊まる所がなくマリアは厩で出産しイエスは飼葉桶に寝かされた。誕生は羊飼い達が目撃する。エルサレムで律法通りに儀式を終え、一家はナザレへ帰っていく。

両者の最も大きな相違は、イエス誕生後の一家の行動である。『マタイ』ではヘロデによる殺害を逃れてベツレヘム→エジプトに向かう。『ルカ』では一家はナザレ⇔ベツレヘムを往復する。イエスが一人だとすると、この相違は説明が付かない。

イエスの生年も『マタイ』を参照すればBC4(ヘロデの没年)以前、『ルカ』ならAC6か7(2章2節の記述から)と10年もの開きが生じる。『ルカ』の住民登録は居住地ではなく出身地で行うものらしい。それこそ宿が確保できなくなる世界的大混乱の原因だが、これ程の税金の無駄遣いがローマ帝国全土で施行された記録はない。『ルカ』がこの頓珍漢な話を用意したのは、イエスをベツレヘム生まれにする工夫と考えられる。(ベツレヘムはユダヤ人の誇る先祖ダビデ王の出生地)

ベツレヘムで「泊まる宿がなかった」としているが、『マタイ』では一家は普通にベツレヘムに住んでいる(エジプトからも"ユダヤの地"へ帰還しようとした)。ベツレヘムからエジプトまでは350kmある大移動なのに『ルカ』には何の記述もなく、逆に『ルカ』にある出来事は『マタイ』にはことごとく書かれていないのだ。



既に自明の通り、福音書に描かれる形でナザレのイエスなるものが存在した事は史上一度たりともなかった。

ヘロデ王の幼児虐殺も史料には一切残っていない。(軍隊が幼児を大虐殺する悪逆無道を事件として誰一人書き残していないなんて?) しかし誕生時の死の危険は大昔のペルセウス、クリシュナ、ヘラクレスら英雄的神人の誕生譚には決して珍しくない宿命であったし、
聖母と人間の大工の子供という設定も霊的叡智の表現としてか古代宗教の救世主神話(アグニ、クリシュナ、サリバナ....)の中核に既に埋め込まれていた。

水をぶどう酒に変えるという、12月25日に聖処女から生まれた、この世で苦難を受けた後に天へと帰還する、神の独り子でありアルファとオメガと呼ばれた古代ローマ・ギリシャで絶大な人気を誇った酒神の秘儀をキリストが堂々と剽窃しているのを知る時、キリスト教が神学界に寄与した新しい要素は何一つないことが明らかになって来る。特にミトラスとの相似は単なる偶然の一致であるにはあまりに似過ぎていて、偏屈な者でない限り両者に同一の源を否定することは難しいだろう。
(バッカスのレリーフ)




「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」という一般的理解に反して、実態は後の信者がイエス像を好きなように捏ね繰り回した図式が聖書の上にも疑うべからざる論拠として存在している。

「聖書は正しい」 「キリストが再臨する」 
そう言いたければ、事物を検証し、責任を持て。
借り物の神話を「歴史」として誤読し、古代人とユダヤの崇高な表象・寓話・暗喩を投げ捨てた退廃的解釈に溺れた姿こそユダヤ教聖書を愛する元型イエスに対する侮辱に他ならないだろう。






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戦神ミトラス

2011-10-26 00:10:20 | 聖書


1~4世紀にヘレニズム世界でキリスト教と並存していたミトラス教の見過ごせない多くの共有特徴を取り上げてみよう。

参考元: ミトラ教と神智学 図: 大英博物館
ミトラ= ローマ名:ミトラス
・ ペルシャに起源を持つ戦神・太陽神・契約神。
・ 天の創造主アフラ=マズダーの子。
・ 贈り物を運ぶ3人の賢人によって生誕が祝われた。
・ 12月25日に洞窟で誕生する。(初期キリスト教もイエスは洞窟で誕生したと主張した)
・ ミトラスは光、良き羊飼い、救世主と呼ばれ病気を癒し、盲人に光を与えた。
・ ミトラスは12星座を象徴する12人の友を従える。
・ ミトラスは死の前日に12人の友と最後の聖餐(夕食)をとった。
・ 「太陽の大きな雄牛」として、ミトラスは世界平和のために犠牲になった。
・ 彼は墓に葬られて、3日後に再び起きた。
・ 審判の日に死者は現れてミトラスの裁きを受ける。
・ ワイン(または牛の血)は彼の血として、パンは体として、崇拝者によって拝領された。
・ ミトラスは聖三位一体の一部分。(父・子・精霊)


心を開いた人にはキリスト教がミトラスに倣って作られた詐欺と思わせる程、両者は気味悪く類似していた。4世紀にローマ帝国内でキリスト教が公認されると、困った事にキリスト教徒は度々ミトラス教への弾圧行為に及んだ。キリスト教は悲しいかなこのような自身が“唯一の真実”でなければ気が済まない異教アレルギー&近親嫌悪者だったのである。宗教に寛容なローマ帝国で唯一平和的統治の敵として禁教されたのも無理のない事だった。


紀元後全ローマ的に信仰された農業神アッティスも同じ筋書きを共有する。

参考元: アッティス - バルバロイ! 図: 大英博物館
・ 小アジアフリギュアの青年神・植物神。
・ 12月25日に聖母から生まれた。(処女懐胎)
・ 山に捨てられるが、ヤギによって育てられ、美少年へと成長する。
・ 浮気が発覚して熱愛者の呪いを受け、"過ちの元" =男根を自ら去勢する。
・ 「不吉の金曜日」に松の木の十字架にかけられ、聖職者が墓が空であると分かった3日目に「最も高い神」として復活する。(3月25日)
・ アッティスの流した血は豊穣と罪の赦しとして地上を清めた。
・ 彼の体を象徴するパンが崇拝者に食べられた。
・ 信仰者は去勢して男性器を神に差し出すことで救済者に続くことができた。


人々の救済を達成する犠牲という特徴において、上記2つの神は遥か古代から後に現れる良きガリラヤ人の男を完全に先取りしていた。


同時代の宗教を調べると、キリスト教が地中海周辺を回っていた以前の宗教から作り上げられた二番煎じである疑惑が明らかになって来る。それらは「神の作り変えは無効」「唯一神YHWHは救世主など派遣していない」とするユダヤ教では当たり前の言説に力を与えている点も重要である。



牛を殺すミトラス
Fresque Mithraeum Marino

キリスト教の祭司やミサ、水の洗礼、聖餐式なども、ミトラス教に起源があるという。ここ数百年、暴徒が異邦の地を蹂躙し虐殺を行いわが物顔に振る舞って良い根拠が、実は古代から続いてきた異教の原型的神話のコピーに過ぎなかった薄ら寒さを少しでも脳裏に想像してみていただきたい。

疑う余地なく類似しているものの、男根を失う犠牲を払う事もなく、暴力の渦に呑み込まれて行く人類を見過ごしながら「ただ信じていれば救われる」-そんな馬鹿な物があってたまるか。上記の申し立てられた類似点はここ1500年間の廃物キリスト教に試みるものとして見られなければならないのである。


 




 
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FSM

2011-10-16 03:32:04 | 聖書







空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(FSMism)は主に米国のネット上で信徒を増やしている預言者ボビー・ヘンダーソンが2005年に立ち上げた新興宗教。教義の概要は

* 宇宙は空飛ぶスパゲッティ・モンスターによって創造された。
* 最初に創造したものは山、木々、小人一人だった。
* ID論(高度な知性による創造論)における何らかの知性とはスパゲッティ・モンスターを指す。
* ブッシュ元大統領を始めとしたID論推進者は我々の代弁者だ。
* 現代人の背が昔より伸びているのも空飛ぶスパゲッティ・モンスターが一人一人を押さえつけるヌードル触手の数が人口増のために足りなくなった事が原因だった。このように、空飛ぶスパゲッティ・モンスターの存在によって世の中で起こる様々な現象の説明がつくのである。
* 地球温暖化、大地震、ハリケーンや他の自然災害は1800年代に始まる海賊の数の減少の直接的な結果である。
* 信者は海賊の衣装を着る事が好ましい。
* 宗教的な祭日は金曜日。
* 麺類(ヌードル)はスパゲッティ・モンスターの触手を象徴する神聖な食物。
* 教義に固執はしない。
* 入信・退会は自由。
* 天国にはストリッパー工場とビール火山が約束されている。
* 祈るときは「ラーメン」と言う。
* 学校教育では進化論のみならずスパゲッティ・モンスター創造説を教えるべきだ。


スパゲッティ・モンスター アンサイクロペディア



 


グッズ


空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書


シンボルマーク


信者獲得ゲーム


リンク集 
フランス イタリア スペイン スウェーデン ロシア インド ギリシャ ブラジル
動画  米国 ドイツ パリ


スパゲッティ・モンスター教は「
“何らかの高度な知性”による創造を認めても良いが、それは不完全な極悪のペテンと嘘に彩られているキリスト教のGodとは全く違う存在だという主張を共有したい人に勧められる宗教である。(教会が進化論に噛み付くのは人類の祖アダムに入った罪をキリストの死が贖った点に対応している。









神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 (創世記1:29)

キリスト教の奉じる神とは何者であろうか?―
一般的には唯一神YHWHと思われている。しかしYHWHは人間に規律と奉仕を要求し、その対価として、ユダヤ民族の庇護を約束した存在である。神への犠牲として一人の男を捧げる事で救済が全てなされる発想はユダヤの論理にもない
「キリスト教は聖書を持ち逃げし勝手に神を作り変えた」 ユダヤ教の告訴はキリスト教勢力が拡大し尽くした今も正当性を失っていないだろう。(ユダヤ教は新約聖書を聖書とは認めていない)

キリスト教の神はいわばイスラエルにいる2体目の、子ヤーウェとでも言うべき不完全な神なのであろう。上記のユダヤ教の準菜食行為をすべからく正当化する聖句も律法も人間性ごと解除し、外面的行動は一切問われない奇妙奇天烈な教義の信仰者がおこがましくも旧約聖書に触り、創世記を得意げに語っている様は何よりもまた嘆かわしい実情と言わなければなるまい。



15世紀にオスマントルコの侵攻で東ローマ(ビザンツ)帝国は滅亡した。この時にローマの統治道具として始まった
新約聖書は消滅しローマ統治機構のキリスト教も店を畳まなければならなかった。だが"原罪"を持っていたのがローマ領民だけだと分からなかった教会は、世界征服事業と結合したありがた迷惑な布教活動を続け世界を席巻して来たのである。
ニャンで植民地政策とキリスト教が関係あったかニャン?


虐殺、占領、奴隷制、人口爆発、飢餓、世界大戦― 悪の版図を世界的に広めていく有様を教会は眼前に眺めながらも、後ろで手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのは甚だ寒心に堪えないことであった。

ローマの迫害にあっても霊の炎を燃えたぎらせ、帝国を十字架の前に屈服させた初代教会の精神の光も、時の流れと共にいつしか失ってしまい、今や金銭を必要とする無意味なローマ皇帝賛美機関としてのかすかな残光のみが、先達の残骸を見苦しく照らしているに過ぎないのである。

肉食教の氾濫が高じて年間全穀物生産量23億トンの内、60%以上が世界人口の2割に満たない先進国によって独占利用される事態が生じている。真の福音にとっての最大の障害は聖書を触らせるに足りない詐欺的宗教だと考える人も、FSMイズムに浸ってみては如何だろうか。



画像提供 Church of the Flying Spaghetti Monster








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新約聖書

2011-10-06 00:19:18 | 聖書


今から2千年前、ユダヤ教が“子羊”を殺して神に捧げる供犠を“イエス・キリストの犠牲”に置き換えて新興宗教キリスト教は始まった。十字架にはオシャレなアクセサリーのイメージがあるものの、実際は薄暗い一面血だらけの神殿祭儀の象徴である。

「この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。」 ヘブライ人への手紙(10:10)




人間がどこまで駄目になるのかの標本としては貴重なキリスト教史を裏で支えた新約聖書は、初期教団においては重要視される物ではなかった。彼らの正典はあくまでユダヤ教聖書であり、それが“旧約聖書”と呼ばれるようになるのは4世紀以後のことである。

「これは神が与え賜うた」と思わせたい作為が生んだ書物に独善排他性の強いキリスト教文書が加えられた事は人類史にとっての一大悲劇になった。
以降聖書は人間(主に異教徒)をいくらはたき殺し・奴隷化しても裁かれない神の兵器と化してしまうのである。





 成立時期 =真正文書 =偽名文書  (推定)
ローマ人への手紙 50年代   ガラテヤ人への手紙 50年代
コリント人への手紙 I 50年代   コリント人への手紙 II 50年代
テサロニケ人への手紙 I 50年代   テサロニケ人への手紙 II 90年代
コロサイ人への手紙 80年代   エフェソ人への手紙 100年代
テモテへの手紙 I II 2世紀   テトスへの手紙 2世紀
マタイによる福音書 80年代   マルコによる福音書 70年代
ルカによる福音書 90年代   ヨハネによる福音書 90年代


あらゆる犯罪行為に手を染めた宗教が課されるべき高等批評の成果で、福音書がイエスの弟子達の著作ではない事、数点のパウロ書簡を除いた約20書が偽名文書(著者不詳)である不吉な事象も欧米の教役者の前では警戒心を持って聞かれる事柄ではなくなっている。(但し、聖書の全容を教え込まれる神学生は牧師など聖職位に就くなり、不思議な程これらの事実を信徒へ語りたがらなくなるとか…)
擬似パウロ書簡 wikipedia

■イエスの最後の言葉
マルコによる福音書
15:34
ルカによる福音書
23:46
ヨハネによる福音書
19:30
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 「父よ。わが霊を御手にゆだねます」 「成し遂げられた」

事実を書き取ったものだとするなら、無謬どころか上記の内2つ以上が間違い(又は創作)になる可能性は100%だろう。しかしこれらが文芸作だと考えると『マルコ』は迫害を受ける信者の苦悩を、マルコの数十年後に出来た『ヨハネ』は高度に完成したキリスト教神学を十字架上に描き出したものであると理解できる。

他書とは別物語の『ヨハネ』福音書はイエスが奇跡を行い過ぎてユダヤ人に命を狙われ始める(11章)。
話が他の福音書と全く整合しないではないか、と難癖がつけられるが、これは「我は世の光」としてイエスが盲人に光を与え、「我は死と甦り」の存在として死者を甦らせる象徴的物語なのである。全ては現実に起きた事ではなく寓話・霊的洞察・発想の材料として右脳的に蓄えられなければならない。

■一緒に処刑された強盗たち
マタイによる福音書
27:42-
ルカによる福音書
23:39-
「今十字架から降りてみよ。そうしたら信じよう」。「彼は神に頼っているが、神の思し召しがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。
一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神を恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいる」。

現場に同行していない者が聞き間違いのレベルではないこの書き加えをした以上話の信憑性は失われるが、ルカの主張が字面の外に隠されている箇所と考えられる。歴史ではないものを字義通りの説明的表現として捉えても大切なものは殆ど残らない。



『マタイ』⇔『ルカ』でイエスの血筋が異なるのも、両者が別々の場所で発生したためであった。初期キリスト教は統制の取れない種類多岐なグループだった事が知られており、ローマ帝国の迫害の中でも正統として生き残るため教義の正当化・信者獲得等の要で100を超える文書が生み出されている。(福音書・パウロ書簡共約20種)
新約聖書正典・外典・教父文書一覧


「聖書は神が与え賜うた」
それらは全て神の力で書かれたのだろうか?雑多な書物を“聖書”として纏め上げたのはキリスト教の政治利用を考えたローマの便宜主義だった。新約聖書の記者たちは当然、自著が数百年の後肩を並べて聖書に組み入れられようなどとは知る由もなかったのだ。

聖書の肝要は記述内容よりも"如何なる"書物であるか。大した検証もなく肝心な所は神だの霊だのと誤魔化し、思考停止に陥った様は不名誉な暗黒に暗黒を上塗りした人類史を築いた過去のキリスト教徒と変わりが無い。

ある段階でキリスト教の語る「神」「主」は「ローマ帝国に、「父」とは新約聖書の生みの親である「ローマ皇帝」にある程度置き換えられた事実を知る必要があるだろう。





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聖書の起こり

2011-09-27 00:29:24 | 聖書


“聖書”は紀元前10世紀前後からヘブライ民族が600年以上の歳月を掛けて書き足し完成させた書物である。紀元前7~6世紀、新バビロニアの侵攻(ユダヤ王国滅亡、エルサレム神殿の破壊、バビロン捕囚)によるユダヤ民族の逼迫した危機感が聖典とユダヤ教を性急に纏め上げる契機になった(聖書における"バビロン"とは象徴的な悪や退廃の都を指す)。





多人数の著者による異なる出典を組み合わせた文書には初っ端から齟齬が見られる。

冒頭『創世記』には異なる2つの創造物語があり1章は植物→動物→人間・男女(最終日);、2章は人間・男から始まり→木→動物→人間・女の順序で生物が創造される。明快でリズミカルな1章は2章以降とは神の呼称、語彙が異なる点から後代に付加された文章と推定されている。6章でも神の呼称が変わる9節(「これはノアの歴史である…」)以降が後の挿入文と見られ、6章9節~終わりまでを除外すると、重複記述と矛盾を解消する事ができる。
6:18 あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻と一緒に箱舟に入りなさい。
7:1 あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。
6:19 全ての生き物、全ての肉なるものの中から、それぞれ2匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたと一緒に生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地を這うもの全てのうち、それぞれ2匹ずつが、生き残るために、あなたの所に来なければならない。
7:2 あなたは、全ての清い動物の中から雄と雌、七つがいずつ、清くない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。
6:22 ノアは、全て神が命じられた通りにし、そのように行った。
7:5 ノアは、全て主が命じられた通りにした。


前3世紀に翻訳された七十人訳聖書(ギリシャ語圏に離散したユダヤ人向けに翻訳されたギリシャ語聖書)ではアダムとその子孫が子を成した年齢が改ざんされており、アダムを千年以上古い時代に送り込む事に成功している。
世界創造紀元 70人訳 旧約聖書直訳
 
出産時年齢 原典 七十人訳
アダム 130 230
セツ 105 205
エノシュ 90 190
アルパクシャデ 35 135
シェラフ 30 130
エベル 34 134

七十人訳聖書にまつわる話に「72人を別個の個室で翻訳作業に当たらせたら訳が見事に一致して出て来た」という伝説的逸話がある。 …しかし72人全員がこのような意訳をしたのでは、聖書の神が如何に科学の追跡の手を恐れているかの味わい深い証明にしかならないであろう。

人間の複雑な思いと動機を出自とした書物である以上、聖書とて当然食い違い、矛盾、人為的見解、誤った神の観念という人為の所作を免れることはできない。
ヨアブは民の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が80万、ユダには50万であった。 (サムエル記下24:9)
ヨアブは民の登録人数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を使う者が110万人、ユダには剣を使う者が47万人であった。 (歴代誌上21:5)
アハズヤは22歳で王となり、… (列王記下8:26)
アハズヤは42歳で王となり、… (歴代誌下22:2)









アダムとイブの失楽園の意味は? バベルの塔の意味は?
十字架と復活の意味は? 桃太郎、花咲か爺さんの意味は?


「歴史」でも「神の権威」でもない聖書の面白さは神学的主張の解釈や整合性無視の多義性を求める所にあり、決して左脳人間の好む知識、文面、歴史の物証ではない。

聖書が永遠の真実性を持った知恵の宝庫となるも精神を薬殺するカルトの読み物となるも、手法次第。読み方を誤っていては聖書は何年読んでも益にはならないのである。


聖書の内容を見るとどんな困難に面しても同じ民族の者として一つであり続け、団結心を育む掟と価値観や、先祖の偉業に思いを馳せ自信を確立させる民族意識を高揚させるものとして、各自の拠り所としての聖書が浮かび上がって来ることだろう。ユダヤ民族には自身を選んで護ってくれる神と、護られている証拠が必要だったのである。









 
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左脳人間と聖書

2011-09-18 03:19:48 | 聖書




上記画像の見え方から右脳思考・左脳思考の傾向を判別できるというサイト
Right Brain vs Left Brain | The Daily Telegraph から要約
もし右回りに見えたなら、あなたは右の脳をより使っています。逆なら左の脳です。殆どの方は、このダンサーが反時計周りにまわっているように見えたのではないでしょうか。もっとも、じっと見ていて回転の方向を変えることも出来ます。やってみて下さい。
解析サイト: 3秒でわかる右脳左脳トリックのウソ


左脳 右脳
論理 直感
詳細・局所的指向 大局的指向
物証主義
想像主義
「知っている」 「わかる」
現実的 空想的
実用的 衝動的
パターン認識 空間認識
安全志向 冒険指向

               
真偽の程はさて置き腕、指の組み方も確認してみよう。
指組み:脳への情報入力
      左指が下:左脳派(論理的に理解)
      右指が下:右脳派(直感的に理解)
腕組み:脳からの情報出力
      左腕が下:左脳派(論理的に表現)
      右腕が下:右脳派(直感的に表現)

腕組みで判定する有名人
野村克也監督 左脳派  長嶋茂雄監督 右脳派  イチロー 左脳派
新庄剛志 右脳派  木村拓哉 右脳派  中居正広 左脳派
石原慎太郎 左脳派  タモリ 右脳派  舛添要一 左脳派



私の周りにいる左脳的傾向の人物(一般的に 理論派・完璧主義者・几帳面・努力家・できない自分が大嫌いですぐに意地を張る・縄張り意識が強い)も判定は見事に左脳派だった。理屈をこね自分用の論理でしか物事を見られない、理論から外れてしまうとパニック状態になる。「どうしようもない」 周りにそんな人を見かけたら、左脳型人間だからなのかもしれない。


今回取りあげるのは妄執を解けない左脳型の聖書読みとその害毒について―以下は聖書への疑義である。

旧約聖書では紀元前21世紀(近辺)の人物アブラハムと前11世紀のダビデが僅か14代で繋がっている。これは1人平均約77年で世代交代を続けなければ実現しない(祖父らは30代で子を設けている)。70代での出産、育児、ひひひひひひひ孫であるアブラハムが死んでも生き続けるセム(享年600歳)…一族の生活・交流が現実なら想像するだけで異様だ。

アブラハム誕生の約300年前にはノアの大洪水が起こっている(聖書から年代推定すると紀元前2370年頃)。またその約1660年前(前4030年頃)にはアダムが創られた。
  アブラハム
イサク
ヤコブ
ユダ
ペレツ
ヘツロン
アラム
アミナダブ
ナフション
サルモン
ボアズ
オベド
エッサイ
ダビデ

今日では当時4000m級の世界的大洪水があった証拠も、アダムの時代以前に人類がいなかった事も明確に否定されている(エジプト先王朝時代BC4500年 メソポタミア農耕文明BC9000年)

聖書の記者は現代科学が教える恐竜も太陽系も知らなかった。よって聖書信奉者には科学・考古学への服従をかたくなに拒む人が一部に見られる。

アブラハム→イエスは『マタイ』福音書によれば41代。『ルカ』福音書によれば57代。解消できない矛盾を孕んでいる聖書は一貫して、ご覧の通り歴史性は微塵も無い。

信じる努力が過ちの始まりという人工書物を丸ごと頭から信じてるような狂信者の偏り凝り固まったカルト脳とカルトの心は、神聖に嘘を創作するユダヤ人の技術に翻弄され変質していくしかない。キリスト教徒とは少し自由度を増したユダヤ人に過ぎないのだ。


アダム
セツ
エノシュ
ケナン
マハラルエル
エレデ
エノク
メトシェラ
レメク
ノア
セム
アルパクシャデ
シェラフ
エベル
ペレグ
レウ
セルグ
ナホル
テラ
アブラハム

出産時年齢
130
105
90
70
65
162
65
187
182
500
100
35
30
34
30
32
30
29
70


アダムの時代の人類は何故長生きかって?それは貴方が人類創始からの物語を捏造する立場になれば容易に頭に沁みるだろう。主体性を捨て自己洗脳することが"信仰"なのだろうか?本の権威の力におもねるだけの精神弱者の群れを神が集めて救い賜うのか?断じてない。


神よ、どうしてこんな物が地上に存在するのですか?

1位 放射能
2位 キリスト教
3位 聖書













 
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