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2011-11-01 02:51:12 | 聖書

イエスの誕生 - マタイ福音書 ルカ福音書
イエスの生誕祝いに3人の賢者が黄金・乳香・没薬を携えてやって来た。未来の王の誕生を恐れたヘロデ王は、ベツレヘム周辺の二歳以下の幼児を皆殺しにする。しかし先に天使のお告げを受けていたヨセフは妻子を連れてエジプトへ逃れた。ヘロデ王の死後ユダヤの地へ戻ろうとするが、ヘロデ王の息子が即位していたためガリラヤ地方ナザレに向かい、イエスはそこで育つ。 天使はナザレにいるマリアに現れる。ヨセフは身重のマリアを伴って、皇帝が発した住民登録令のためナザレからベツレヘムへ上った。宿屋に泊まる所がなくマリアは厩で出産しイエスは飼葉桶に寝かされた。誕生は羊飼い達が目撃する。エルサレムで律法通りに儀式を終え、一家はナザレへ帰っていく。

両者の最も大きな相違は、イエス誕生後の一家の行動である。『マタイ』ではヘロデによる殺害を逃れてベツレヘム→エジプトに向かう。『ルカ』では一家はナザレ⇔ベツレヘムを往復する。イエスが一人だとすると、この相違は説明が付かない。

イエスの生年も『マタイ』を参照すればBC4(ヘロデの没年)以前、『ルカ』ならAC6か7(2章2節の記述から)と10年もの開きが生じる。『ルカ』の住民登録は居住地ではなく出身地で行うものらしい。それこそ宿が確保できなくなる世界的大混乱の原因だが、これ程の税金の無駄遣いがローマ帝国全土で施行された記録はない。『ルカ』がこの頓珍漢な話を用意したのは、イエスをベツレヘム生まれにする工夫と考えられる。(ベツレヘムはユダヤ人の誇る先祖ダビデ王の出生地)

ベツレヘムで「泊まる宿がなかった」としているが、『マタイ』では一家は普通にベツレヘムに住んでいる(エジプトからも"ユダヤの地"へ帰還しようとした)。ベツレヘムからエジプトまでは350kmある大移動なのに『ルカ』には何の記述もなく、逆に『ルカ』にある出来事は『マタイ』にはことごとく書かれていないのだ。



既に自明の通り、福音書に描かれる形でナザレのイエスなるものが存在した事は史上一度たりともなかった。

ヘロデ王の幼児虐殺も史料には一切残っていない。(軍隊が幼児を大虐殺する悪逆無道を事件として誰一人書き残していないなんて?) しかし誕生時の死の危険は大昔のペルセウス、クリシュナ、ヘラクレスら英雄的神人の誕生譚には決して珍しくない宿命であったし、
聖母と人間の大工の子供という設定も霊的叡智の表現としてか古代宗教の救世主神話(アグニ、クリシュナ、サリバナ....)の中核に既に埋め込まれていた。

水をぶどう酒に変えるという、12月25日に聖処女から生まれた、この世で苦難を受けた後に天へと帰還する、神の独り子でありアルファとオメガと呼ばれた古代ローマ・ギリシャで絶大な人気を誇った酒神の秘儀をキリストが堂々と剽窃しているのを知る時、キリスト教が神学界に寄与した新しい要素は何一つないことが明らかになって来る。特にミトラスとの相似は単なる偶然の一致であるにはあまりに似過ぎていて、偏屈な者でない限り両者に同一の源を否定することは難しいだろう。
(バッカスのレリーフ)




「イエスが現れた後弟子達が教えを広めた」という一般的理解に反して、実態は後の信者がイエス像を好きなように捏ね繰り回した図式が聖書の上にも疑うべからざる論拠として存在している。

「聖書は正しい」 「キリストが再臨する」 
そう言いたければ、事物を検証し、責任を持て。
借り物の神話を「歴史」として誤読し、古代人とユダヤの崇高な表象・寓話・暗喩を投げ捨てた退廃的解釈に溺れた姿こそユダヤ教聖書を愛する元型イエスに対する侮辱に他ならないだろう。







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