食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

西洋人の宗教

2012-08-26 05:20:05 | 神と地上


古典古代世界(古代ギリシャ・ローマ)における信仰生活はどのような物だったのだろうか。現代からすると意外な事に、それは“真理”に糞真面目に打ち込むような物では全くなかった。

サトゥルヌス祭
収穫祭を兼ねた冬至のお祭り(12/17-24:クリスマスの前身)では人々は獣皮などをまとって神々にちなむ仮装・女装をし、
無秩序な叫び声、放縦なダンスと共にバカ騒ぎ、賭け事、狼藉に興じていたという。酒神 ディオニュソス(バッコス)に憑かれた女信徒は平時から粗野な掛け声と共に山野を駆け回り、動物の生肉を裂いて喰らう猟犬の群れと化していた。

真理に全くと言っていい程無頓着だった諸宗教の中でただ一つ"何が神の前に
正しく、何が間違っている"かに傾倒していたのがユダヤ教だった。



シュメール神話 (アッカド語版)
   

神々の王エンリルは人間が増え過ぎて五月蠅いというそれだけの理由で人類を滅ぼす大洪水を起こす事を考える。エア神の働きで義人アトラ=ハーシスは箱舟を造り、一族や動物たちと共に乗り込むよう忠告を与えられた。そして大洪水が来て地を六日間荒れ狂った。舟はニシルの山に流れ着き、その後鳩、ツバメ、大鳥が放たれて水が引いたことが分かった。

   


人間をロボットの様に扱うシュメールの神話は冷厳な態度で共同体を支配する国家宗教の経典に引き継がれた。もうご存じの通り、聖書を通して歴史は一かけらもない。

反ユダヤ宗教としてのキリスト教
ローマ帝国中で嫌悪されていたキリスト教が何とか足場を固められたのは、ユダヤ教に対し最善の適応を示す形でであった。3世紀までに帝国内のユダヤ教徒は減少を続け、主な内訳は改宗。ユダヤ戦争以後体裁を悪くしたユダヤ教内にはキリスト教へ改宗する者が絶えなかったためだ。時と共に両者の緊張関係は激化していった。

発生が2世紀に近い『ヨハネ』では裁判中、イエスの身柄がユダヤ人に引き渡される。『ペトロ福音書』120年頃?)ではイエスの処刑を決めるのはユダヤ王ヘロデだ。その後のエルサレム神殿の破壊(70年)はその神罰として理解されている。
「その時、ユダヤ人と長老達、および祭司達は、自分達自身のためにどれほどの悪を行ったかを悟り、(悲しみのあまり胸を)打ち始めて言った。「我々の罪に呪いあれ。裁きとエルサレムの終わりは近づいた」と」(ペトロ7:25





かつて母神キュベレの熱狂的な信奉者は、自らを去勢した男性達であった。自分の宗教が絶対的真理だと思うからそこまでの事ができるのか。…

勿論違う。子供の頃、無意味な物にも熱中できたように、“子供心”丸出しで幻想に傾倒するのが宗教。全身全霊を注いだ下らなさの度合いこそ彼らの信仰の見せ所だったのではないだろうか。

これだけが本物だと思わせる真空の一神教が全てを統合すると、人々の間から笑いが消え"全てが間違いだ"と言える心の余裕は失せてしまった。

http://inuiyouko.web.fc2.com/folklore/kybele.html
その儀式の間、祭司や信者たちは、去勢されたアッティスにならって、自ら男根を切取り、自傷することで神と交感しました。生贄とされた雄牛の男根とともに、女神にその切断した男根を捧げ、切断された男根はすべて太母神の聖なる洞穴に置かれました。ときには、切断された男根はとくにありがたいものとして、家々に投げこまれ、そのお返しとして、その家の主人は去勢されたばかりの人々に女性の衣服を与えたといいます。
しかし、この祭りは、掛け声や叫び声をあげながら群れをなして狂い歩き、手に持つ器具や刃物で身体を傷つけて血を流して狂いまわるという狂信的なものであったため、ローマでは、後に禁止されました。

画像借用元: Charch of Flying Spaghetti Monster
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イスラム教は悪か

2012-08-15 02:30:43 | 焚書/解体


欧州とアジアの間に現れた、強勢を誇る軍営の宗教が無かった場合の世界を考えてみたい。




産業革命以降、中世の支配者・オスマン帝国も領土を蚕食される一方となり武器性能が飛躍的に向上した欧州世界が広く全地球を植民地・半植民地化していった。

近代のこの例から判断しても
差別・弱肉強食の原理で動く百獣の王を脅かすライバルがいなければ、世界各地がより広範に引っ掻き回されたであろう推測は容易だ。生まれる場所が悪ければ私達も白人様に砂糖・タバコを献上するためだけに無賃金で酷使され人生を終えていたかもしれない。
キリシタン狩りをしていなければ今ごろ日本はスペインの植民地だった - 朝鮮歴史館


その先にもはや白人支配を阻む何物も存在しないと思われた時代、日本がロシアを破る激勝の報にアフリカ・イスラム世界は歓喜に沸き返ることになる。



アジア侵略に起因する戦後世界の一斉独立




悪者呼ばわりされてはいても私達は平等・共生の世界という理想を掲げた日本の先人の心を忘れる事はできない。そして特定の宗教のみを導くアンフェアな神を描く新約聖書の病理を暴き出す事が、痛みの時代の真の回顧になる気がしている。














ユダヤ人迫害史(14-19世紀)
●1306年 フランスのフィリップ王、ユダヤ人を国内から追放。
●1321年 フランスのギエンヌ州で、井戸に毒を投げ込んだと拷問を受けたユダヤ人が告白したため、5000人のユダヤ人が火刑となった。
●1348年 ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が起きる。
●1394年 フランスで第2回ユダヤ人追放。
●1421年 オーストリアからユダヤ人追放。
●1478年 スペインでユダヤ人に対する異端審問が始まる。
●1492年 キリスト教徒がレコンキスタ(スペイン再征服)を成功させると、スペインで徹底的なユダヤ人追放政策がとられる。
●1495年 リトアニアからユダヤ人追放。
●1497年 シシリー、サルジニア、ポルトガルからユダヤ人追放。
●1544年 宗教改革者マルチン・ルター、ユダヤ人を攻撃。
●1554年 「ユダヤ人集団隔離居住区 (ゲットー)」がヴェネチアに初めて設置される。
●1569年 ローマ教皇、教皇領からユダヤ人を追放。
●1648年 ポーランドでユダヤ人10万人が虐殺される(~1656年)。
●1727・
1747年
ロシアからユダヤ人追放。
●1839年 オスマン・トルコ帝国、ユダヤ人に市民権を与える。
●1881年 ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に発生。ユダヤ人十数万人が犠牲になる。


7世紀にエルサレムを征服したカリフ・ウマルはユダヤ教徒・キリスト教徒を庇護民(ズィンミー)に置いた(ウマル憲章)。現世界が
アラブ(イスラム)vsイスラエル(ユダヤ)に見えたとしても、両者が20世紀までミッレトの下摩擦の無い世界で共存共栄を果たしてきた事は忘れてはいけないと思う。紀元前に既に"神とはユダヤ人だけの神ではない"事を思い知っているユダヤ人が独善的に国家を建てる訳がない事実も。


オスマン帝国が欧州に向かって領土を拡大するなど社会の恥部・世界の恥部に厳しいイスラム圏の有益な怒りがいかに異教信仰を壊滅させる暴風雨を消霧させたかの比較宗教の視点に立つならば、日本人にとっては未だ"訳の分からない"中東の宗教に対する理解は立体的に膨らんでくれるだろう。

「われらはただ全世界への慈悲として、汝を遣わしただけである。」(コーラン21:107
画像借用元: Ricochet.com











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イスラム教対キリスト教

2012-08-04 00:55:35 | 焚書/解体


マホメットの十数年間の忍耐が実り始めていた頃、イスラム教の成長と共に
メッカのクライシュ族の反発が強まっていた。身の危険を感じたマホメットは
622716日、メッカの北部320kmにあるメディナに避難する。 (ヒジュラ: 聖遷

その後隊商路の封鎖措置で飢餓の脅威に直面したマホメットは幾度か隊商の略奪を企て、メッカ側の怒りは沸点へ。イスラム暦(ヒジュラ暦)二年、遂に武装したクライシュ族一千人がメディナに向かって進軍を始めた。

*以下緑字『マホメットの生涯』(ビルジル・ゲオルギウ著 中谷和男訳 河出書房新社)、白抜きは『燃えるイスラム史』から転載


バドルの戦い(624年)

「ムハンマドはついに戦いの決意を固めます。
メディナは貧しかった事からアラブ伝統の騎兵隊は組まれませんでしたが、その士気は異様なまでに高揚していました。
メディナ軍は70頭のラクダ部隊、300余名の歩兵部隊です。

ジャフル率いる完全武装の1000もの戦士が組織されメッカを発ちました。
両軍はバドルにて対峙しようとしていたのです」

イスラム教最初の武力的勝利

アラブ恒例の一騎討ちにアリー、ハムザが勝利し作戦と士気に勝るイスラム軍が奮闘する。メッカ側はそれぞれ約
70名の戦死者と捕虜を出し敗走、ムスリム側の死者は14名に過ぎなかった。ハディースその他の伝承はこの圧勝に天使による加勢を伝えている。

死体を略奪しようと砂丘に身を隠していた二人の戦場荒らしは、天から雲が地に降りるのを目撃した。「砂丘にいたのですが、雲が俺たちに近付いてきたのです。馬のいななきも聞こえました。その上、突撃!という叫び声も耳にしたんだ」
雲から、武装した天使たちが降り立つ。ある者は馬にまたがり、また徒歩の天使もいた。鮮やかな羽飾りの冑をかぶり、天使の軍勢が天から降り立つのを見て、泥棒の一人は感動のあまり悶死する。
目撃者によれば、天上軍の数は五千程とのことだが、正確ではない。敵に見られることなく異教徒を斃すため
天使の中には姿を現さない者もいたからだ。

ウフドの戦い(625年)

翌年、約三千人からなるメッカ軍が再来。ウフド山に迎え撃ったムスリム軍は優位に戦闘を進めるも、弓兵隊の命令違反から背後を突かれ壊走。ハムザを含む約70名の戦死者を出し、敗北を喫した。メッカ側の死者は22名。

ハンダクの戦い(627年)

メッカ側は次いでムスリム根絶を目指しアラビアの諸侯、ユダヤ教徒を加えた一万人の大軍と共に出陣。三千人のイスラム軍はペルシャ人技術者サルマーンの提言を採り入れ塹壕(ハンダク)を築いて対抗した。

メッカ軍はアラビアの戦争において前例のない塹壕を攻略できず、6名の敵を倒しただけで撤退。この戦いでメッカの権威は失墜しイスラム教の勢力は日増しに拡大していった。



メッカ征服(630年)

クライシュ族との間で締結されたフダイビーヤの休戦協定が破棄された630年、マホメットはメッカに向かって進軍を開始。クライシュ族は抗戦不可能と見て遂に軍門に下りメッカは無血で征服された。マホメットはカーバ神殿の偶像を破壊、群雄割拠の半島にアラビアの部族を熱烈な精神で鼓舞し一致させる新秩序を吹き入れる事となる。




「われは、次々に来る一千の天使で汝らを助けるであろう」(コーラン8:9

「アッラーは多くの戦場で、またフナインの戦いの日にも汝らを助け給うた。
その後アッラーは使徒と信徒たちに平常心を授け、また汝らの目に見えない援軍(天使)を遣わされ、不信仰の輩を罰し給うた。これこそ
不信仰の輩への応報なのである」(コーラン9:25-26

イスラム教の大征服(
632年~)
預言者の死後、イスラム教は2代目カリフ・ウマルの時代にシリア、トルコ、イラク、イラン、エジプトにまで侵攻、戦いはいずれも連戦連勝であった。3代目カリフ・ウスマーンの時代には長年ローマ帝国に対して優勢を保ったササン朝ペルシャ(226-651年)が滅亡。短期間のうちに出現したイスラム帝国(サラセン帝国)はキリスト教が欧州全体に根付く8世紀にはイベリア半島(スペイン全土)を覆い、欧州諸国にとって脅威以外の何物でもなかった。

キリスト教への警告
イエス(イーサー)を
敬うべき預言者としているイスラム教のキリスト教への仲間意識は強い。しかしコーランはキリスト教の教義の中核は割とはっきり否定している。中でもローマ帝国の都合で忍び込んだ異教との習合要素への批判は厳しい。キリスト教は思い違いをし、失敗しているのである。

「啓典の民よ、使徒たちが中断された後わが使徒がやって来て、あなたがたに対し(事物の)解明をする。これはあなたがたに、「わたしたちには吉報の伝達者も警告者も来ない」と言わせないためである」 (コーラン5:19

「言ってやるがいい。「啓典の民よ、あなたがたがわたしたちを非難するのは、只わたしたちがアッラーを信じ、またわたしたちに下されたもの(コーラン)、また以前に下されたものを信じるためであるのか、
只あなたがたの多くがアッラーの掟に背く者たちであるためではないか」」(コーラン5:59



「アッラーこそは、マリアの子メシアである。」と言う者は、確かに不信心者である。言ってやるがいい。「誰がアッラーに対し、少しでも力があろうか。もし彼がマリアの子メシア、その母と地上のすべてのものを滅ぼそうと御考えになられたら、誰が制止出来よう」(コーラン5:17
「アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は、本当に不信心者である。唯―の神の外に神はないのである。もし彼らがその言葉を止めないなら、彼ら不信心者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう」(コーラン5:73
「また彼らは言う。「慈悲深き御方は子を設けられる」 確かにあなたがたは、酷いことを言うものである。天は裂けようとし、地は割れて切々になり、山々は崩れ落ちよう。それは彼らが、慈悲深き御方に対し、(ありもしない)子の名を(執り成すものとして)唱えたためである。子を設けられることは、慈悲深き御方にはありえない」(コーラン19:88-92
「啓典の民(キリスト教徒)よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マリアの子メシア・イエスは、ただアッラーの使徒である。マリアに授けられた彼の御言葉であり、彼からの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。彼に讃えあれ。彼に、何で子があろう」(コーラン4:171
「またアッラーがこのように仰せられた時を思え。「マリアの子イエスよ、あなたは『アッラーの外に、わたしとわたしの母とを2柱の神とせよ。』と人びとに告げたか」 彼は申し上げた。「あなたに讃えあれ。わたしに権能のないことを、わたしは言うべきでありません。もしわたしがそれを言ったならば、必ずあなたは知っておられます。あなたは、わたしの心の中を知っておられます。わたしはあなたに命じられたこと以外は、決して彼らに告げません。『わたしの主であり、あなたがたの主であられるアッラーに仕えなさい。』(と言う以外には)わたしが彼らの中にいた間は、わたしは彼らの証人でありました」(コーラン5:116-117


さらにイスラム教の信条によれば
アダムの罪は既に赦されている。
イエスはアッラーが処刑前に別人にすり替え(贖罪はない)、イエスを磔にする姦計は失敗していたのだ。

「われは言った。「アダムよ、あなたとあなたの妻とはこの園に住み、何処でも望む所で、思う存分食べなさい。だが、この木に近付いてはならない。不義を働く者となるであろうから」
ところが悪魔〔シャイターン〕は、2人を躓かせ、彼らが置かれていた(幸福な)場所から離れさせた。われは、「あなたがたは落ちて行け。あなたがたは、互いに敵である。地上には、あなたがたのために住まいと、仮初の生活の生計があろう。」と言った。
その後、アダムは、主から御言葉を授かり、
主は彼の悔悟を許された。本当に彼は、寛大に許される慈悲深い御方であられる」(コーラン2:35-37
「「わたしたちはアッラーの使徒、マリアの子メシア・イエスを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だが彼らが彼を殺したのでもなく、また彼を十字架にかけたのでもない。只彼らにそう見えたまでである」(コーラン4:157


「災いあれ、自分の手で啓典を書き、僅かな代償を得るために、「これはアッラーから下ったものだ。」と言う者に」(コーラン2:79

「彼らの中には、自分の舌で啓典をゆがめ、啓典にないことを啓典の一部であるかのように、あなたがたに思わせようとする一派がある。また彼らは、アッラーの御許からではないものを、「それはアッラーから来たものだ。」と言う。彼らは故意にアッラーに就いて虚偽を語る者である」(コーラン
3:78







信者   「異教徒は人間か否か?」
ローマ教皇
人間ではない!


・新大陸での先住民皆殺し ・アフリカからの奴隷貿易
・アジアへの植民地支配 ・戦争による領土掠奪合戦

15世紀以降この非人間的な質疑応答の下、貿易といえるものではない凄まじい略奪がイエス・キリストにちなんだ名前の宗教によって行われた。選民意識に力付けられた西洋人の頭に残念ながら異教徒・非白人は隣人・同等の人間として映っていなかったのだ。


そんな陰惨を極める人類史の中でも僅かにきらりと光った希望は、7世紀に既に
迷信も程ほどにしろという啓示を受け取った怒れるキリスト教の兄弟が派生し無統制な西洋の倫理と戦いながら、地上に新しい信仰を広め人間行為の全般に渡って一つの革命をもたらした点である。

国際商業都市でそこそこ成功していたマホメットは、突如茨の道へ引きずり出され、安楽・財産・友人関係の犠牲の上に神の道具としての役割を強いられた。そして最後の預言者として使命を全うした。イスラム教ではそう考えている。



「私は私の任務を果たしたのでしょうか? おお神よ、その証をお示し下さい」
マホメット"別離の説教"から

画像借用元: The Islamic World to 1600 Islamic History 世界の国旗一覧 燃えるイスラム史
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