タブラ奏者 池田絢子の日記。

タブラ奏者・池田絢子の日記です。

とくべつな・うめ。 お供えの嵐。

2013-02-16 | インドの日記 
昨日は、アレ。 
サラスワティプジャの日。

わたくしは毎年、ふたつのプジャに参加することになっております。

ベンガル語の先生のお家のプジャと、
タブラのお師匠のお家のプジャに。




● その1 ● ベンガル語の先生ん家プジャ


ベンガル語の先生のお家プジャは、毎年早朝にアレします。
今年は6時半から、はじまりはじまり。

うむ。
アレだ。
6時半は早いよね。

わたくしはネムミと戦いながら、儀式に参加した。
んで、儀式の後は みんなで お供えを食べるコーナー。

本日のファーストお供えは、こちら。
早朝から、炭水化物の嵐。




そいえば、サラスワティプジャにも特別なお供えがあるのかしら。
こないだの、ナラヤンプジャの時の 謎の汁物・シンニみたく。

わたくしは、ベンガル語の先生に尋ねました。



わたくし:「サラスワティプジャのお供えで、何か特別なものはありますか」

せんせい:「いいえ。とくべつは ないね」

わたくし:「そう」

せんせい:「ん。これは、とくべつな・うめ」



わたくし:「あるんだね」

せんせい:「サラスワティプジャの時に、この とくべつな・うめを食べます」

わたくし:「とくべつな・うめ。 特別な梅」

せんせい:「うめは、日本にもありますね。うめぼし、ね」

わたくし:「ん。でもこれ、梅じゃないお」

せんせい:「ん。おいしくないね。でも、しかたない。お供えです」

わたくし:「梅じゃないんだお」



その後、わたくしの皿に追加のお供えフードが悟空盛りに盛られ、早朝からお腹パンパン。
でも、サラスワティプジャは こんなもんで終わりじゃないですよ。





● その2 ● タブラのお師匠ん家プジャ


「アヤコは、サラスワティプジャの準備を手伝うんだお。朝9時に来るとよろし」
と、ぐるじに言われたもんで、
わたくしはファーストお供えで腹パツパツにして、気を失いかけながら ぐるじの家へ。


ぐるじの家に向かう道にて。前を歩く人。



クルタのデザインが、



よく見ると、



松・・・秀喜?

気のせいかな。



はい。



ぐるじの家に着いたらば、兄弟子がお供えの準備中。
フルーツもりだくさん。




プジャグッズ、気になる一品。 『ガンガーの水』



うむ。
聖なる水が、ペットボトルで売られてるとは。
知らなんだー。便利な世の中。


そうしてプジャが始まり、なんだか楽しそうな ぐるじのようす。




んで、プジャが終わり、お供えの仕分け。
弟子がいっぱい来てるもんだから、大量。




本日のセカンドお供えは、こちら。



やっぱり、とくべつな・うめ入り。
もうちょっと量を減らしてくれても、いいんだよ。
すでに、お腹パツパツだもの。


お昼ごはんは、アレです。
みんなでキチュリですよ。
キチュリとは、カレー味おじやみたいなアレのこと。



キチュリは、うまいよ。
でも、なんだか見た目が0点だなーって いつも思う。





● その3 ● 下宿先プジャ


ファースト&セカンドお供えとキチュリで、腹パツパツ。
腹パツパツすぎて死にそうになりながら下宿に戻りますと、下宿のお母さんが

「アヤコ、さっき家でサラスワティプジャしたお。さ、お供えを おあがんなさい」

と。


本日のサードお供えは、こちら。




ワオ。

ろしょごっら だ。


おそらく わたくし、西ベンガル州で一番サワスワティプジャのお供えを食べた外国人。

ワーオ。