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今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

報・連・相よりコミュニケ-ション

2008-10-31 07:19:38 | 気がついたこと
いつの時代からか企業ではビジネスでは報・連・相(報告・連絡・相談)が大事だと言われるようになった。良く考えれば不思議な時代である。一番大事な普段のコミュニケ-ションがなくなった事に対する裏返しである。直接話せば1分で終わることを、10分20分も掛けて無駄なメ-ルを打つ。

お互いに表情が見えないから、打つ方は気を使っていると錯覚し、貰った方は言葉足らずの文章を読んで余分な事まで考えなくてはいけない。業務でメ-ルを打つ場合は、思った事を書きたくても、前後の事情や理由を書かなければ相手には伝わらない。いつのまにか、若い人達はコミュニケ-ション下手になっている。電子メ-ルや携帯メ-ルが、コミュニケ-ション不足を更に助長したのは間違いない。プライベ-トなのか業務なのか内容が分からないが朝夕の通勤電車で一所懸命に携帯電話でメ-ルを打っている姿だけは異常である。





コンピュ-タ-と頭脳

2008-10-14 07:09:06 | 気がついたこと
パソコンは以外と熱を発生する。デ-タ-センタ-やサ-バ-ル-ム等では発熱対策としてエアコンと風を送る強力なファンを備えなければならない。考え方を変えると、パソコンが人間の頭脳だと思えば簡単である。短時間に色んな作業を指示されると人間は必死になって働く。余り仕事量が多いと、軽い興奮状態で熱っぽくなるのと同じで、パソコンのCPUも発熱する。ある一定容量以上の記憶領域を必要とする計算処理や画像処理をしようとすると、パソコンがフリ-ズ状態になることもある。人間だって同じで、パニック状態が長時間続くと、ダウンしたり、休みたくなるものである。
先日のロボット展で感じたことがある。人工知能的な機能を幾ら与えても、ロボット同士がグチを言ったり、世間話をすることもない。いつも人間から右を向け、走れ、物を運べととか命令されてばかりでは、たまには、酒を飲んでウサを晴らしたいという人間的なロボットを作っても良いはずである。子供やお年寄り向けの癒し系ロボットではなく、サラリ-マンや主婦向けの癒しロボットが出現すれば働き盛りの年齢層の人にはもっと身近に感じるはずである。たまにはロボットを連れて、居酒屋で議論するとか、喫茶店で身の上相談をする事が出来れば、救われる人も結構いるのではないかと思う。人間的な感情を表現するロボットが未だに出てこない所を見ると、ロボットが人に近づくにはまだまだ時間が必要である。

ホ-ムペ-ジビルダ-

2008-10-08 23:14:00 | 気がついたこと
ブログの編集機能をこねくり回しても、どうしても細かいレイアツウトが出来ない。やはりホ-ムペ-ジのソフトで作るのが一番早いかなと思って本棚を探してみたら写真のようなホ-ムペ-ジビルダ-のソフトが出てきた。良く見るとバ-ジョンが8である。現在市販されているのがバ-ジョン12だから4年前以上という事になる。ブログを始める時に、本格的なホ-ムペ-ジを作ろうと思って買っておいたソフトで、結局使わないまま本棚にしまわれていた。インスト-ルして、使用してみると、レイアウトの簡単さにはビックリである。複雑なレイアウトでも超簡単に好きな位置に好きなコンテンツを配置できる。無料のブログと比較して価格が高いだけの事はあるなと納得した。





ハバネロ  (味の暴君!)

2008-09-28 08:56:41 | 気がついたこと
普通の赤い唐辛子より辛い野菜があるのを始めて知った。写真のように外見はピ-マン似ている。名前は”ハバネロ”で原産地は南アメリカだとも言われている。その辛さはギネスブックにも掲載されている。タマネギ等と一緒に野菜炒め風なものを作れば、その匂いだけでもむせこむように辛い。辛いものが大好きだという人は一度、ス-パ-マ-ケットで購入して食してみれば、どんなに辛いか話のタネにはなります。


暗証番号の預かり所(PIN BANKのアイデア)

2008-09-26 07:17:20 | 気がついたこと
注)PIN(personal idetification number)とは暗証番号の事です。

人は誰でも年をとる。年を重ねるごとに段々もの覚えが悪くなり、多少、認知症の傾向が出てくる。家族の名前を忘れたり、食事をした事さえ忘れる人もいる。

 現在のように、身の回りのセキュリティが厳しくなり、電子化されると、銀行の預金カードやパソコンのアクセス時にも暗証番号が必要になる。それも一定期間ごとに暗証番号を変えなくてはいけない場合もある。たとえ年齢とか生年月日に関連した暗証番号を使用しないようにと注意書きがあっても、個人で使用する暗証番号は1種類ではない。お年寄りが、暗証番号を常に数種類記憶しているとはとても思えない。多分何かに書き付けているはずである。さらに年を取ると、悲しいかな書き付けたものがどこにあるのかも思い出せなくなる。

こういう高齢者向きに、大事な暗証番号を預かるバンク(銀行ではない)組織があれば便利だと思う。当然、信頼できる団体でないといけないが、高齢者が電話一本で問合せが出来れば、安心して生活が出来るしありがたいと思うはずである。

ここまで書くとなんとなく素晴らしいアイデアだと思えるが、なりすましを防ぎ、間違いなく本人だと確認するためには、本人しか知らない暗証番号に近いセキュリティシステムを考え出さないといけない。アイデアだけではなかなか難しいものがある。







個人情報保護法に違反したら

2008-09-24 06:35:32 | 気がついたこと
かつて崩壊する前のソ連は賄賂がまかり通り、共産党員でない国民は食料や生活用品も簡単に手に入らない時代が長かった。この時代のジョ-クがある。
 モスクワの居酒屋で”わが国のフルシチョフ首相は国民の事を何も考えないアホなリ-ダ-だ!”とアメリカ人の友達に酔っ払って話をしたらKGBに逮捕された。罪状は、侮辱罪だと思っていたら国家機密漏洩罪だと言うのである。

もし友人に今の日本の総理大臣は能力がないから自分の生活も良くならないと言ったら、他人に総理の個人情報を流したことになるのか、総理を侮辱した罪に問われるのか、この問題をマジメに考えてみれば、今の個人情報保護法への過敏な反応が可笑しいと思うはずである。大げさに言えば、居酒屋で上司の悪口を言った人が、それを聞きつけた人が上司に報告すれば、やはり悪い情報(風評)を流したという事で情報漏洩問題である。

個人情報保護法を間違って理解すると、独身者同士が恋愛結婚する機会もなくなる。名前や趣味や家族構成を聞かれても、個人情報だからと言って答える必要がない。別に匿名を名乗っても、虚偽の内容を相手に伝えても、相手からするとその真偽を確かめる手段がないからである(個人情報保護法で守られていると思い込んでいる)。たとえ泥棒だって警察官に職務質問されても、個人情報は他人に教えないと言えば済んでしまうことになる。もし徹底して法律を遵守するなら、間違っても人の悪口や噂話を他人にしてはいけない事になる。ビジネスマンでも客先で名詞を出しても、お客様から名詞を貰う必要もなくなる。もし名詞を落としたら財布を落とすより大変な事になるはずである。

はっきり言って、誰でも普通の会話をしながら自分の個人情報または他人の個人情報を漏洩させているものである。

現実の法律は、個人情報保護法を適用する対象企業は以下の通りである。
 「体系的に整理された個人情報(個人データ)を5000件以上保有する企業」

実際に起きた情報漏洩事件での判例を見ても、一人当たりの罰金は5千円~1万円程度である。例えば1万人の情報が流出して、被害を受けた人が訴訟すれば1億程度の被害と誇張して表現する事が多いが、現実的、何人が訴訟するかと言えば、100人に一人もいない。千人に一人くらいいるかもしれない。訴訟するためには訴訟費用が必要である。1万円の損害賠償を得るために何万円も訴訟費用がいる。その被害内容も、迷惑メ-ルや葉書が来たという程度なら、自分の個人情報は自分で流したまたは教えた可能性が高い。

2002年に起きたエステのTBCのホ-ムペ-ジで約4万件の個人情報が放置されていた事件がある。個人的に訴訟した人が数人いたが判決として迷惑メ-ルを受けた13人に対して合計39万円の支払い命令を下した。しかし、個人的に訴訟をした人は3万円を勝ち取るのにその数倍の数万円を費やしている。エステの場合は、個人の身体的な情報を包含しているので、特殊な例であり訴訟した人の割合が多いが、普通はこれだけの人が訴訟をする事はありえない。

個人情報保護法は行き過ぎると、経済活動が全て停止してしまうし、個人の言動も全て規制されてしまう。片手落ちの変な法律を作ったものだ。



個人情報保護とは

2008-09-22 07:10:04 | 気がついたこと
先週は、プラバシー関係の仕事をしている会社の社長と雑談をした。その席上で、個人情報保護法の話題になり、彼の明快な説明を聞くことが出来た。彼のスタッフには、個人情報保護法を作成時の座長を務めた教授もいる。まとめると以下のとおりである。

個人情報とはプライバシーの事であり、プライバシーを守る役目がセキュリティ。
セキュリティは技術力を駆使すれば、幾らでも強固にできる。しかし、プライバシーとは、他人が自分の個人情報をどの程度まで知ることを許すかという個人の判断(感性)にゆだねられる。

例えば、自分の家族や血液型、性格、最近の行動や趣味を他人に平気で話をする人は、自分からプライバシーを公開しているわけである。逆に他人に自分の事を話さず、人に聞かれても答えない人もいる。個人情報の保護の対象とは、自分が他人に教えたくない部分であり、その部分が個人情報保護のセキュリティー対象となるわけである。


奉仕活動とボランティア

2008-09-11 07:12:36 | 気がついたこと
誰でも、自分は奉仕活動をしてますと他人に言えば、聞こえは良い。何か世のため人のために一所懸命に尽くしているように相手に伝わるからである。もともと奉仕とは利害を考えずに相手の為に尽くすことなので、無償の場合もあれば、薄謝だが有償の場合もある。時折、趣味でボランティア活動をしていますという人に出会うが、あまり感心しない。草むしりだとか近所の掃除のように責任がない仕事をするなら良いが、子供のスポーツの指導だとか、外国語を教えているなら問題がある。善意のつもりが、相手には迷惑な場合が多いからである。

ボランティアをしている人は、自分がやりたいからやっている上にお金を貰っていないので、責任は何もない。もし自分のやり方に文句を言われれば、いつでも辞めます程度の意識しか持ち合わせていない人が多い。

米国では、弁護士や医者のようなお金持ちでも、有名な芸能人、スポ-ツ選手でもボランティア活動をしない人は尊敬されないという風潮がある。なぜそんな文化が育ったのか不思議である。


好きと嫌い

2008-09-10 07:14:16 | 気がついたこと
人が特定の人を嫌いだと言う場合には、相手との間に嫌な過去があるからである。つまり、嫌な経験は二度と繰り返したくないという個人の防御能力が嫌いという理由である。一方、好きだと言う場合は、何が好きかという明確な根拠がない場合が多い。なんとなく好きという程度のものである。だから学習能力がないので、同じようなタイプの人を次々と好きになるものである。

好きだ嫌いだとか言う場合の理由は、容貌(外見的なもの)と性格(内面的なもの)の2つの要素で構成されている。普通は相手の容貌で自分の第一印象が決まるものである。内面的なものは、付き合ってみないと分からない。しかし、付き合ってみても分からない。外面的なものと違って、人の心の中は見えない。相手がどんな価値判断をしているのか、どんな性格をしているのかは、お互いに見えないものである。

ところが嫌いになると、不思議と誰もが同じコ-スを辿るものである。顔を見たくない、話をしたくもないと発言する。なぜそんな結果になったのかを他人が聞くと価値観の違いだとか、性格の不一致だと言うことが多い。元々見えない内面的なものを、見えたように錯覚をしていただけなら、好きだとか、嫌いだとかとの言葉は虚しい言葉である。昔から男は度胸、女は愛嬌というのは、性の違いに応じての価値観や性格が大事という事を表現している言葉だと思う。朱に交われば赤くなるの諺どおり、良い人と付き合えば良くなるし、悪い人と付き合えば悪くなるだけである。


ドングリ長者

2008-09-09 07:28:11 | 気がついたこと
ドングリ(団栗)も結構色んな種類がある。
    
先日はどんぐりの話で盛り上がった。ドングリをビジネスにしようと考えている知人がいて、彼の広大な夢を聞いているだけで面白かった。彼の説によるとドングリの実を集めて、木が生えない土地にまけば、クヌギやコナラの林が出来るので、地盤がしっかりして崖崩れ等が発生しない、保水効果があり土石流等を発生させない、CO2を吸収するので、地球温暖化に貢献すると共にCO2排出権の商売が出来る。更にもし飢饉になれば非常用食料にも燃料にもなるという主張である。杉のように人間が手を掛けなくても大きく成長するので、これ以上適した木はないと言う。更に、酒の勢いもあって、ドングリ王国を作り、ドングリ大王になりたいと聞くと、もう現実の世界を超えて、メルヘンチックで楽しい会話が続いた。大の大人がドングリで何時間も盛り上がっているのをみて、周囲の人はなんて変な客がいるのだろうと思ったはずである。





値段ビックリの自動販売機

2008-09-06 08:38:42 | 気がついたこと
三河一宮駅で下車して駅前で見つけた自動販売機。価格を見てびっくり!

なんと、どの飲み物も60円。東京で120円のものが、ここでは半額。まるで時代が何年か戻ったような錯覚をおぼえる価格。一体なんでこんなに安く売れるのだろう?

悪い女ほど清楚な服がよく似合う  ルミネとアトレ

2008-09-04 07:11:30 | 気がついたこと
久しぶりにドキッとするキャッチコピ-を見つけた。ルミネの広告看板に書かれた、”悪い女ほど,清楚な服が,よく似合う”である。

JR東日本が経営する駅ビルタイプのショッピングセンタ-がアトレ(東京圏駅ビル開発株式会社)とルミネ(株式会社ルミネ)である。どちらかと言うと、ルミネの客の方が若い人が中心で、アトレの方が年配者を対象という感じである。
ルミネなら、若い人が対象なので上のようなキャッチコピ-でも可笑しくはないが、少し年配者を対象としたアトレならどんなキャッチが似合うか考えてみた。

  ”若い女ほど,地味な服が,よく似合う”はどうだろう。

これを見たオバチャン達が、地味な服を着るのは、若い証拠だと世間も認めていると思ってくれれば、売れ残りそうな地味な服でも飛ぶように売れそうである。

防災訓練  救命救急の勉強

2008-08-31 21:39:14 | 気がついたこと
9月1日は防災の日(関東大震災の日)である、数年ぶりに防災訓練に参加した。場所は広いグランドだったが、約1000人近く集まった。訓練は3時間で、消火器の使い方から始まり、心肺停止時の人工呼吸の実地とAEDの使用方法、三角巾を用いた止血の仕方から骨折時の固定方法、地震で家屋に下敷きになった人の救助方法、最後は地震体験車に乗っての震度7の揺れまで味わった。

 訓練を通じて初めて知ったこともあった。もし実際に地震が発生して、けが人が多い場合、救命救急士の状況判断により軽いほうから緑、黄色、赤、黒という4レベルのカ-ドが負傷者に付けられる。一番症状が重い黒の場合、心臓は動いているが、口頭で質問しても応答がなく、手を握っても反応がないというレベルである。こういう意識のない被害者は、救急車が来ても治療は後回しになる。つまり、負傷者が多い場合は、助かる可能性の高い人から搬送を優先し、助かる見込みがない人は、後回しという現実の判断がされる事を始めて知った。

 大地震が発生した場合は他の事故とは異なり、想定される負傷者の数は数百から数千人、数万人になる可能性もある。更に、被害が大きい事は、半径数十キロメ-トルまでの病院も倒壊や治療が出来ない位の建物被害を受けていると想定してもおかしくない。逆に言うと、災害地近くに病院があって、もし倒壊や損傷していなくても、怪我人の治療を出来る医師の数は限られているし、大きな病院だって救急処理できる重傷者の数は対応出来る医師の人数でもって、やはり制限される。


そういう最悪の事態を想定して、今時の防災訓練はされている。是非、参加して体験してみる事が大事である。中国の四川省のような大地震(死者及び行方不明者は約10万人)が起きると、被害者の数が余りにも多すぎて、誰かの助けを期待するのはまず無理だと思った方が良い。まず怪我をしても意識をしっかり持って、自分の事は自分で守る以外に方法がないという事が分かっただけでも収穫である。




ク-ルビズ

2008-08-29 07:39:02 | 気がついたこと
いまだに目的が良く分からないのがク-ルビズ運動である。もともとはエネルギ-消費(CO2の発生)を抑えるために、夏場のエアコンの温度を余り下げない為の方策として、仕事中でも、軽装でよいというものであったはずである。しかし、暑い時にネクタイを外せば、涼しくなるものではない。まして、通勤時間帯に男性の開襟シャツや女性のノ-スリ-ブを見ると、見た目に暑苦しいし、だらしなく見える。まして、通勤電車で上半身がTシャツ姿に近い服装を見ると、近寄りたくないものである。仕事場でだらしのない格好の人が急に多くなるク-ルビスって何だろうと思う。

ク-ルビズは、作業効率を低下させて逆に経済ロスが多いというデ-タがある。つまり、仕事をする上で、暑いので作業効率が低下し、逆に長時間の作業が必要となり、エネルギ-消費(エアコン代、照明代などの光熱費)が増えると言われてる。むしろ、客観的に見ている限りこちらの説明の方が正解だと思う。


田舎の活性化

2008-08-28 06:50:58 | 気がついたこと
日本でも、いつのまにか田舎は年寄りが住みにくい場所に変貌してしまった。かつては商店街と呼ばれた場所も、シャッタ-通りと言われるくらい衰退してしまい、車が通行する以外に歩行者を見かける機会も極端に減少した。田舎には若い労働者を引き止めるだけの魅力のある職場がないことが一番大きな問題ではあるが、別の切り口で考えると、自動車社会がもたらす影響 が大きい。自転車を利用する人の行動範囲と自動車を利用する人の行動範囲は大きく異なる。自家用車が増えると、鉄道やバスやタクシ-等の公共の交通機関の利用者が減少する。経済的な理由から、運行便数の減少や、サービスに使用する車両数も減少する。一家で複数台の自家用車を所有するというのは、どこの田舎でも当たり前の時代である。車社会の定着により、消費者は行動範囲が拡大し、近所の商店街は通過して、郊外型のショッピングセンタ--や量販店に、レジャ-を兼ねて買い物に出かけてしまう。その結果として生活用品の販売で生計を立てていた身近な商店街は寂れていく。しかし、自分で自動車を運転できないお年寄りには移動する交通手段が極端に減少してしまった。自転車が運転できても、その活動範囲の中には安価で便利な商品を扱っている店舗は少ない。毎日近所の店で買い物をする生活スタイルから、大型ショッピングセンタ-で大量に買い込むスタイルへと確実に変化してしまった。完全に米国型の文化である。もう、その生活様式が逆戻りすることも考えられない。言い替えると、車の運転免許が取得できる年齢に達していない学生や、お年寄りにはお金を掛けないで時間を潰せる場所がどこにも無いという現実だけが残った。コミュニユケ-ションの場が消滅した訳だから、コミュニティ-も当然崩壊する。人は祭りだとかイベントのような人込みのある場所や雰囲気が常に恋しいものである。都会の雑踏のような雰囲気を味わいたくても、行き先がない。特別の目的がなくても、遠くのショッピングモ-ルまで出かけていき、その雰囲気を味わっているのが現実である。車を使った広域型の犯罪も増え、米国型の生活スタイルの悪い面を手本にして邁進しているのが、今の日本である。
最近はガソリン価格の高騰が話題になっているが、原油の急減な需要の増加だとか供給量が極端に減少したという理由ではない。原油の現物取引や先物的な商品としての買い占めが大きな原因である。物流コストやエネルギ-コストに直接反映される事なので当然、物価の上昇にも繋がる。なにげなく絶えず利用していた自家用車の利用も手控えざるを得なくなる。改めて自転車の良さが見直される時代になりつつある。電動自転車も販売価格が下がるに連れて普及率も上昇してきた。しかし、駐車場の整備状況と比較すると、自転車の駐輪場の整備も進んできたが、自転車の利便性を考慮した駐輪場かどうかと言うと場所にも利用時間にも疑問が残る。
全国どこに住んでいても、情報格差を感じない便利な時代になった。携帯電話やパソコンからインタ-ネットを利用して生活用品の購入や、飛行機や列車の切符まで簡単に予約や購入ができる。しかし、便利なツ-ルには必ず弊害がつきものである。直接顔を合わしての会話が省略されてしまうので、個人の意思疎通が難しくなってきている現象に気が付かない事である。音声での会話から、メ-ルによる会話の文化に変わりつつある。
地方では活性化の施策としてイベント中心の計画をするために、地方が持っている静かで豊かな自然環境の良さを十分活用できていない。更に、行政がなんとか活性化を実現してくれるという長年の待ちの姿勢が、結果的にはシャッタ-通りを全国で作ってしまった。田舎の活性化とは何をすべきかを改めて見直す時である。あらゆる情報が簡単に発信、受信出来る時代に田舎の駅前だけ再開発や道路整備をしてしまうと、町並みが途絶えたようにしか写らず、大きな道路だけが妙に威張っているようでうら悲しい風景となる。人口の少なさが、生活感がない寂れた街を演出してしまう。
活性化するためには、人のエネルギ-を貯めるための閉鎖空間を作る必要がある。古くは江戸時代に鎖国という施策を取ることにより日本独自の文化が繁栄した事を思い起こす必要がある。ディズニ-ランド的な発想の楽しい空間作りが基本である。大きな砦のように、まずは仕切るだけで十分である。敷地の中の建物や装飾にお金を掛ける必要はない。中心部分はお祭り広場的なもので十分である。その地方の生活観が定着していれば良い。日中は、朝市でも良いし、蚤の市でも、毎日雑踏が出来て、お年寄りや、子供が遊べる場所を最初に確保する。そのためには、現在利用されていないシャッタ-通りを行政の力で、更地に戻すべきである。それに隣接する土地があれば、土地の等価交換か、再開発後の上層階に住居を無償で提供する代わりに地上げをして、一定の広さのエリアを確保して、新しい街づくりをすべきである。都会と違って田舎では土地の確保は難しいとは思えない。その費用は行政と民間資本の共同によるPFI方式ですれば、税金を使う金額も少なくて済むし、民間資本も出しやすい。熱意と工夫しだいで、活性化は出来るのではないかと思う。