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今夜も一杯 ! ヒロシのブログ

電子書籍で「新サラリ-マンの法則」 「笑いの宝庫」を出版しました。

マスカラ

2009-01-23 07:24:20 | 気がついたこと
先週、電車に乗って吊革を掴んで立っていた時に、ふと眼の前の座席に座っていた女性の顔を上から見る事になってしまった。マスカラの付け過ぎなのかマッチ棒を並べた如く睫毛(まつげ)の先端が球状に膨らんでいる。極端に目の細い人がマスカラを付けてパッチリ目にするのは別として、日本人は眉毛と睫毛がもともと黒いのでしっかり塗る必要はないと思う。

米国にいるときに、金髪の白人女性の素顔を何度も見る機会があったが、素顔では、眉毛も睫毛も肌色に近く、目と眉毛が何も無いようにしか見えない。初めて見れば宇宙人のように怖い顔である。こういう人には、眉毛と睫毛の化粧が必要だと思う。



プラス思考とマイナス思考

2009-01-22 07:01:20 | 気がついたこと
人を大雑把に分類するとプラス思考で考える人と、マイナス思考で考える人がいる。プラス思考に捉える考え方をポジティブだとか楽観主義という言葉で片付けるのなら、何でも悪い方に捉える人は、ネガティブだとか悲観主義者という事になる。

例えば、年を取れば若さやフレッシュさがなくなると嘆く人はネガティブである、逆に経験や落ち着きが増えるので楽しいと思える人はポジティブである。

不思議な事にプラス思考で考える人と、マイナス思考で考える人が仲が良いという話を聞かない。プラス思考はプラス思考同士、マイナスはマイナス同士で付き合うのが居心地が良いのかもしれない。プラス思考とマイナス思考はお互いが引かれるが、ぶつかれば電気回路と同じで短絡(ショ-ト)事故状態である。お互いが傷ついて終わりという事になる。

マイナス思考の人は、自分擁護型なので、人に対する気配りという事が出来ないし、気が付かないのが残念である。




異業種交流

2009-01-20 05:02:39 | 気がついたこと
知り合いのまだ30代の若い経営者から異業種交流を定期的にしてるんですが一緒に参加しませんかという誘いの電話があった。長年の経験から異業種交流について改めて考えてみた。

まず異業種交流というのは、言葉の響きは良いが、参加者の目的が明確になっていない場合が多い。うっかりすると名刺交換と飲み会になってしまう。更に悪いのは同じような価値観を持つ年頃が集まってしまう事である。異業種と呼ぶからには、参加する人間は当然企業人が中心である。さらに、ギブアンドテイクが基本である。そのためには、参加する各人がギブ出来るものを持っているのか、ギブするものがなくてテイクだけを考えて参加する人が多ければ、交流会自体は長続きしない。

例えば学校を卒業して何年後かに開催される同窓会でも、自分の趣味のサ-クルでも参加者は別々の企業であり違う職種が多いはずである。だからこれらも異業種交流の1つである。しかし、同窓会は年代が違っても同じ学び舎を卒業したという共通のベ-スがあるし、趣味のサ-クルでも好きな物が同じであるという共通点があるから目的意識ははっきりしてる。

仕事に役立てたいという思いで異業種交流に参加するなら辞めた方が良い。目的意識が違うメンバ-が集まるだけならお互いの切磋琢磨や自己研鑽もありえない。求めるアウトプットが何なのかという事が意識共有出来ていないと時間の浪費である。

若い時はお互いに名刺の肩書きにこだわる時期がある。逆に肩書きだけで相手を判断するという考えを持ちやすい。ある意味人種差別と似たような安易な考えである。大事なのは付き合う相手の中身がどうかという事である。

異業種交流に参加して自分とは違う企業文化や違うビジネスを知る事は悪い事ではない。何もしないより良いことである。しかし、違う職種の事を知りたい為なら身の回りに人はもっといるはずである。

心打つ言葉

2009-01-18 05:50:35 | 気がついたこと
毎月、自分の交遊録を連載してくれている雑誌「バイシクル21」。毎号のインタビュ-記事の内容は勉強になる。各界の一流選手になると、考え方も一味違うという事が記事から分かるし、心を打つ言葉にも出会える。言い替えると自分は人が見るよりチッポけな存在であるという事を認識して本音を語る素晴らしさである。今月号の記事の中から紹介したい言葉が2つある。

(1つ目)
時速300Km以上の速度で運転するF1の日本人最高のレ-サ-だった中島悟氏で、現在はナカジマ・レ-シングチ-ムの監督をしている。

インタビュア-の質問 「F1というのは恐怖心はどう克服しているのですか?」

中嶋氏:「自動車を運転するというのは機械相手なので誰が踏んでも同じスピ-ドがでます。命掛けで頑張ったというのはやめて欲しいと言うんです。俺はそんなのに命掛けてねえもん。度胸なんていらないんです。」

F1レ-サ-が真剣勝負をすると言えば、命掛けとか命知らずのイメ-ジがあるが、現実は冷静さと長時間正確な運転を維持する体力がないと勝負には勝てない。

(2つ目)
特別競輪全冠制覇の滝澤正光選手。昨年6月に引退して、現在は日本競輪学校の名誉教官をしている。現役の時は競輪では先行スタイルで逃げ切る独特の走りで中野浩一にも勝って”競輪界の怪物”と言われた。

インタビュア-の質問 「レ-スに向かう時の心構えはあるのですか」

滝澤氏:「高校時代の先生が話をしてくれた禅の言葉で、”一歩踏み込め、そこは極楽。”人間最初の一歩が肝心で、迷ったら一歩踏み込めと。前に出る勇気です」

一歩前に出るというのは、スポ-ツでも勉強でも仕事でも、あらゆるジャンルで大事である。古くは、コロンブスがアメリカ大陸を発見出来たのも、地平線の先に一歩踏み出したからであり、ノ-ベル物理学賞の歴代の受賞者も他の研究者より一歩前に出た新しい理論を組み立て、実証した事が成功につながっている。



気功師とカメハメ波

2009-01-15 07:10:20 | 気がついたこと
昔、双子のマラソン選手で有名だった旭化成所属の宗兄弟。現在、お兄さんの宗茂さんが気功師になっている姿をテレビで見て、漫画のドラゴンボ-ルを思い出した。

気功術は神秘的で超能力みたいで興味を引かれる。鳥井明の漫画、ドラゴンボ-ルの主人公の孫悟空が使う”カメハメ波”も気功のアイデアから作り出した武器である。孫悟空の場合は体中のエネルギ-を凝縮させて両手に集中し、手のひらから巨大なエネルギ-波として戦う相手に放出する。

しかし、気功の「気」とは何だろう。空手でも拳法でも気合を掛けて打撃すれば威力がますのも事実。演舞での試し割りで瓦だとか、板を割る場合も「エィ!」と気合を出している。「気」が充実していれば元気だと言うし、反対に元気がなければ「気落ちしている」とも言う。気功のエネルギ-は赤外線だと言う人もいるが、体温がある限り体から赤外線は放出しているのは理解出来る。岩盤浴と同じように岩なみの硬さの骨格からも遠赤外線を放出しているかも知れない。そうなると、朝の満員電車の中は「気」ばかりが充満している事になる。

気功師が野生動物の群に気を送り続ける事により、立っている動物が次々と横たわる番組も見たことがあるので、何等かの見えないパワ-が出ているのは間違いないようだ。

古くから手の平療法というものがある。腹痛を起こした時に、手のひらで痛いところを直接抑えていれば、数分で痛みが落ち着く効果がある。これも手から出る何かが治療に役立っているが、何故なのか理由が良く分からない。

気に関しての記事を探してみた。以下の方法で気を目で見る事が出来ると書いてあるが、まだ試した事はない。もし、見えれば気功師の資質があるのかも知れない。

1.部屋をやや暗くして、白い壁に向かって両手の手の平をかざし、
 手の甲を自分に向ける。

2.五本の指をすべて伸ばし、左手の中指と右手の中指を向かい合わせるよう
 にする。

3.指と指の間を1cm位離して、視線は指ではなく指と指の間を見るようにする。

4.そのまま、30秒ほど見つめ、視線は動かさず、両手を左右に広げる。

5.慣れてくると、両手の指先から気が放出しているのが見えるようになる。

6.ただし、この方法によって見えるのが本当に「気」であるのかどうかは不明
  なので注意が必要である

内容を読んでいると、なんとなくインチキ催眠術にも思えてくる。気を使いすぎると体力を消耗するので注意が必要との事だが、気疲れという言葉からも、意味は理解できる。


窓とドア

2009-01-13 07:36:23 | 気がついたこと
窓から出入りするというと人聞きが悪い。抜け出すとか侵入する悪いイメ-ジである。家には玄関があり,ちゃんとドアが付いているので出入りに関してはドアを使用するのが普通で、平屋なら窓からの出入りは非常時に使用するものである。これがマンションで2階以上に居住していると、火災が起きたからといって窓から出ても地上に降りるのは簡単ではない。

窓という言葉には、日中には光が差し込み窓を開けると風が入り、夜には部屋の中から月や星が見える。頑丈なドアよりは楽しいイメ-ジである。

建物でも窓の面積が多ければ開放感があるし、窓が小さいと密室のように閉塞感が生まれる。窓が小さい家を見ると、要塞的なイメ-ジである。窓の利用法でも教会のステンドグラスは、採光と宗教性雰囲気を考えたうまい利用方法だと思う。

商店ならお店に入らなくても、ショ-ウインドウに陳列されているものを見ればお店の内容が分かる。ブティクでも食堂でも、集客の為の窓の装飾は重要である。

人の心はどうだろう。心を閉ざすと言えば、窓ではなくてドアのイメ-ジである。”ジョハリの窓”という心の4つのモデルがある。自分をどう見せ、どう隠すかを秘密の窓、開放の窓、盲点の窓、未知の窓として分類している。自分で窓を小さくしている人もいれば、開放的な窓を持っている人もいる。

太陽光発電

2009-01-10 17:48:38 | 気がついたこと
小学校の時に理科の実験で、虫眼鏡を利用して黒く塗った紙の上に太陽光の焦点を合わせていると紙が燃える事を習った。紙の発火点が300度なので、集光すれば簡単に高熱を出すことが出来るのを知っている。

最近は再びクリ-ンエネルギ-としての太陽光発電が見直され始めている。しかし、太陽の光エネルギ-を電気に変えるソ-ラ-パネルの発電効率は10%~20%程度で、家庭用の電気を全て賄うためには、屋根一杯のパネルが必要であるし、数百万も掛かる設備投資金額を回収しようとすれば、KWが22円程度の電気代とすると10年間では無理である。その点、風力発電は変換効率が40%近くで、太陽光発電ほどの投資は不要なので、風力発電の方が世界的に実用化されている。

太陽光を単にソ-ラ-パネルに当てるだけでなく、虫眼鏡と同じような機能を持つ集光装置を安く開発できれば、変換効率ももっと上がるはずである。映画の007の黄金銃を持つ男の中で、太陽エネルギ-を大きなパラボラアンテナを利用して宇宙で集めて、地上に焦点を合わし、建物を破壊するシ-ンがあったが、凄いエネルギ-が発生するのは容易に想像できる。

太陽光をうまく集光すると、太陽の表面温度である5700度近くまでは温度上昇は可能である。このエネルギ-でボイラ-を沸騰させて、発電機付のタ-ビンを回せば、簡単に太陽光発電所が出来ると思うのだが、現実的には、実現されていないのが不思議である。実用化にはどんな問題が残っているのだろう。





備えあっても憂いあり

2009-01-09 05:55:17 | 気がついたこと
備えあっても憂いがつきまとうのが、インタ-ネット経由で侵入してくるウィルスに対するパソコンのウィルス対策である。いまやウィルス対策ソフトの市場は全世界で5000億円近い市場となっている。まだまだ増加するかも知れない。さらにウィルスによる被害額はその数倍以上になっているのは間違いない。

「世界中にあるパソコンは約10億台である。毎日使用する時に、セキュリティの為に2分を費やすとすれば、全世界では毎日20億分(3,300万時間)を使用している。時間単価を1000円と仮定すれば、1日で330億円分、年間で12兆円という巨額な数字になる」

新種のウィルスが出るたびに、個人のパソコンでもウィルス対策ソフトの更新をせざるをえない。パソコンの起動のたびにウィルス検知の為の余分な時間も発生する。ウイルスを作り出す人がいるからそれを防ぐ為のワクチン的なソフトが売れる。表現が悪いが、まるで”矛と盾”のようで、際限がない戦いのように思える。

ウィルスや違法ソフトを作ってバラ蒔く人達に対しては、物理的な国境を越えた超国家的な法律で対応すべきである。せめて世界の主要8ケ国(G8)で取締と罰則を強化する必要がある。現状は、ネット関係の犯罪に対する罰則は軽すぎる。罪名も著作権違反くらいで罪としては5年以下の懲役か100万以下の罰金となっている。しかも判例を見ても実際に適用されたのは2年程度の懲役の上に執行猶予が3年程度である。専門知識があれば、ウィルスを作るのはそんなに難しいものではない。例えが悪いが、高い柵を乗り越えてあらゆる新幹線の線路上に石を置いて同時転覆を狙うようなものである。事故が発生した場合の被害額の大きさを考えると、軽微な刑では済まされないのは当然である。

悪性ウィルスを作成する人は多少なりとも不特定多数に被害を与え自分の存在感をPRしたいだけである。攻撃する相手は誰でも良いわけだから無差別攻撃となんら変わりがない。現状を混乱させる目的ならオウム真理教の地下鉄サリン事件と同種の犯罪である。

世界的に取り締まるなら、まずG8でこの問題を取り上げるべきである。日本なら、インタ-ネットや通信関係を所轄する総務省がウィルスの監視、対策用のソフトの開発と配布をすべきである。さらに、ネット利用での悪質な者に対しては匿名性の利用の禁止、違法ソフトやウィルス作成者に対する罰則を10年以上または1億円以下の罰金と刑を一挙に重くすべきである。

実際に懲役10年か罰金1億円という刑が適用されれば、いたずらにウィルス作成をしてみようという人も激減するはずである。違法ソフトを作れば10年も塀の中に入らざるを得ないと分かれば、悪い考えを実行する人も少ないはずである。世界中で毎年5000億円もの無駄なウィルス対策に投資をしなくても済むなら、刑はもっと重くすべきである。

京都 醍醐寺

2009-01-08 11:08:48 | 気がついたこと
12月27日のブログで紹介した高崎勝二さんから写真展を開催するいうご案内の葉書が来た。3月24日からゴ-ルデンウィ-クが終わる5月6日まで、京都の醍醐寺で開催しますという内容である。

京都醍醐寺と言えば、1000年以上の歴史を持ち世界文化資産に指定されているが、まだ一度も訪れたことはない。冬が終わり桜吹雪が舞う4月には是非一度訪れたいと思っている。



相手の年令を選んで相談すべき

2008-12-20 08:29:35 | 気がついたこと
養老院にいる80歳の高齢者が携帯電話のメ-ルが使えないとか,インタ-ネットが使えなくて困っているとデジタル機器の知識のない80歳の人に相談しても多分答えは出ない。逆に小学生が、 校内のイジメの問題だとか、授業に付いていけないという問題を小学生同士で話をしても具体的な解決策は出ない。ここまでは当たり前の事だと誰でも分かるはずである。しかし、現実的には、以下のように働き盛りである20代、30代、40代の男女でも常に同じ過ちを繰り返している。

最近は色んな人から相談される事が多い。年齢もさまざまではあるが、同じようなパタ-ンの思考形態である。 たとえば、恋愛や仕事上の悩みや心配事があると、20歳台の人なら20歳代、30歳代なら30歳代というように同年令近くの同性の人に相談する事が多いはずである。実は、最初に書いた高齢者や小学生の相談事と同じで、解決策を持たない同年齢の人が話をしていてもラチがあかない。

一般的に同じ世代同士なら価値観や人生経験が似ているので相談はしやすいものである。まして同性なら自分の悩みを分かってもらえるはずという安易な発想である。しかし、同世代なら同じ長さの人生経験しかなく、知識の範囲は限られ、別の発想や価値観は持っていない。相手が解決策を持ち合わせていない事を相談する前から承知しておくべきである。むしろ相談する前より、相談した後の方が悩みが大きくなるのが普通である。さらに相手からしても無理やり悩み事を一方的に相談されても(そんなに難しい問題は他の人に相談してよ...というのが本音)迷惑な話である。

 結論を先に言えば、自分が大事だと思う問題を同世代の人に相談するのは時間の無駄である。

自分にとって分からない事や心配事を相談するなら、自分の年令より10歳以上離れた人、若い人なら年上の人と、高齢者は若い人と話をしないと、実は相談にもなっていない。例えば30歳前後に人の悩みは、40代より50歳前後の人が聞けば、悩みに対しての現実の解決方法を持っている。まさに亀の甲より年の功という諺の意味が判るはずである。同じ世代の人と相談すると、同情や心配はしてくれても、具体的解決方法は何も持ってないものである。

相談するときは、相手を選ぶ前に、相手の年令を考えて選ぶべきである。さらに同性と話をしても仕事上の悩みと恋愛問題は何も解決しないものである。
赤提灯でサラリ-マン同士で上司との関係の悩みだとか、収入や待遇に関しての不満を文句言いながら飲んでる姿を考えれば理解出来るはずである。最近は女性同士で酒を飲みながら話をしている人も見かけるが、聞こえてくる話題も自慢話か仕事の不満か恋愛の話ばかりである。


宝くじ長者白書

2008-12-16 07:04:22 | 気がついたこと
財団法人 日本宝くじ協会がまとめた”宝くじ白書”は、宝クジに当たった幸運な人の分類をしているが、かなり詳細に分析しているので内容が興味深い。1年間で1億円以上の当選者は780人近くの人がいる。

男女合わせて、最新の高額当せん者の概要は次の通りである。

(1)当選者は7:3で男性の方が多い。
(2)50歳以上が約7割近い確率である。
(3)星座はみずがめ座がTOP。

当選者の男女別のモデル像は

【男性の場合】
購入歴10年以上で60歳以上、30枚購入、牡羊座の会社員、イニシャルはT.Kさん。

【女性の場合
】購入歴10年以上で50代、10枚購入、水瓶座の主婦、イニシャルはK.Kさん。


詳細を知りたい方は、宝くじ白書の次のURLをクリックしてください。
  http://www.jla-takarakuji.or.jp/if2.html




三菱が原

2008-11-27 06:55:57 | 気がついたこと
江戸時代が終了してわずか140年しか経過していない。明治時代の東京駅周辺はどんな状況だったのか、気になったので調べてみた。

江戸時代が終わるとともに、大名屋敷がなくなり、現在の丸の内地区は陸軍の練兵場であった。明治23年に三菱財閥を創立した岩崎弥太郎が35万平米(縦500m、横700mの土地)を128万円で買い取った。三菱が原と呼ばれたくらいに何もない土地だった。

その10数年前には新橋と品川間で鉄道が開通していて新橋は繁栄していたが、現在の丸の内付近はただの野原だったという事になる。現在の東京駅が出来たのは、新橋駅が完成してから40年も後の事である。

現在でも東京駅前でなく新橋がサラリ-マンの街だとか言われるのも、東京駅より歴史があるからかも知れない。




騒音と都会生活(その2)

2008-11-26 06:42:10 | 気がついたこと
騒音とは騒がしく不快感を起こさせる音と定義されている。つまり聞き手の判断にゆだねられるという事になる。クラシック音楽が流れていても嫌いな人には苦痛であり、好きな人には心地よいものである。静かな場所で考え事をしながら飲みたいと思っても、隣でカラオケでも歌われたらたまったものではない。歌っている人は歌で酔いしれているのに、雑音だと思っている人には、酔いも醒めてしまう。

12月に入ると、どこの店でもクリスマス音楽を店内で流している。気分がウキウキしている時はさほど気にならないが、今年のような不景気で消費が落ち込むと、クリスマス音楽そのものが虚しく聞こえてくる。それでも、都会の街中の騒音には気分的に救われる事がある。田舎の人通りが絶えたシャッタ-通りにはない人の話し声、売子の大きな声、人混みなど、いわゆる雑踏の雰囲気が人に活力を与える。例えは悪いが、一人で食事をするより、大勢で一緒に食事をした方が無意識に競争力が芽生え食が進むのと似ている。


昨日はアメ横を通る機会があったが、ダミ声で”どれでも3つ千円”という呼び声が活気を感じて嬉しかった。後1ケ月もすると、アメ横は年末の買い物で歩けないほどごった返す。こういう中を流れにまかせて歩いていると、都会は良いものだと思える。







騒音と都会生活(その1)

2008-11-24 09:48:04 | 気がついたこと
昔、草木も育たない灼熱の中近東で仕事をしている時に気が付いた事がある。乾燥して直物がまともに育たない土地で人も住めない場所には音がないと言うことである。日本では風が吹くと、草木や建物や電線等で風がさえぎられると音が発生する。しかし、さえぎるものがないと、強い風を感じるだけで音が発生しないという不思議な体験をした。おだやかな夜は、大袈裟ではなく余りにも静か過ぎて自分の心臓の音が聞こえるような錯覚を覚えた。その当時は、何か音が発生するものが近くにあれば、雑音でさえ楽しいだろうなと思う毎日だった。

田舎と都会の生活の違いは、騒音の大きさの違いである。田舎では鳥の鳴き声で目を覚ましたり、夏のカエルの鳴き声や、秋の虫の声で結構うるさいと感じるのだが、不思議と絶えず聞こえていると、その音は気にならなくなる。寧ろ、自動車の音や遠くから聞こえる電車や音楽の音の方が気になるものである。

田舎で育ち、都会で生活をするようになって長年たつと、無意識的に人の多さとか信号待ちの交差点で聞こえてくるバスやトラックや乗用車やバイク等のエンジン音も気に成らなくなる。むしろ人が多い都会というのは、活力があるから雑音を発生していると思っている。

仕事場でも同じである。人が多い職場では、昼間が静かだと思っていても、じつは音が発生しているものである。時おり、夜遅くまで仕事をして、気が付けば自分1人しか残っていないという経験もした。仕事が終わり事務所の電気を消そうと思ったら、誰もいない事務所に結構音が発生するものが多いのに気が付く。まずは、パソコンやサ-バ-のファンの音であり、冷暖房の音も以外と大きい。昼間は人の声で聞こえないものが、こんなにも大きな音を発生しているのかと驚く。

電気がない太古の時代と違って、文明生活は雑音を出す事なのかも知れない。






難しい本の読み方

2008-11-04 07:08:53 | 気がついたこと
先月は専門書を4冊買って読んでみた。4冊で1万5千円。小説などと違って、一度読んだくらいでは書かれている詳細な内容まで充分理解出来るような質と量ではない。専門書は高価であり、雑誌のように一度読んで簡単に捨てる訳にも行かない。
こういう時に昔からやっている読み方がある。最初は手当たり次第にパラパラと開けた所を読んでみる。次に最後の部分を先に読んで、一番最初を読んでみる。最後にまた最初から順に読んでみる。こうすると不思議なもので、全体の流れが分かるので安心して読める。どんな専門書でも、著者は読者に対していかに分かりやい内容にするか、興味を持って貰うかという点に対して努力しながら書いているはずである。それが、パラパラと読む事で分かってくる。後ろから前に逆に読む事によって、著者の言いたい結論も分かってくる。推理小説で言えば、一番最後の部分に犯人は誰か、どんなトリックを使用したのか書かれているのと同じで、専門書も最後から読むと、内容が以外と分かりやすくなるものである。