書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

平 兼盛

2010-08-10 08:44:46 | Weblog
しのぶれど色に出でにけり我が恋は物や思ふと人のとふまで 

誰にも知られまいと心に決め耐え忍んできたのに、人から「恋をしているね」とか言われるようについつい顔に出てしまうのです。

平 兼盛(?~990)
光孝天皇の子孫、父大宰大弐・篤行王。三十六歌仙のひとり。さまざまな歌合、歌会、屏風歌の有力歌人として知られる。
「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」の代表的な歌人の一人、「後撰和歌集」以降の勅撰和歌集に約90首が採録。
家集に「兼盛集」。
兼盛と離婚し赤染時用と再婚した妻が娘を出産したが、兼盛が娘の親権を主張して裁判で争ったが認められなかったと言う逸話が残っている。
その娘は赤染衛門であり大江匡衡に嫁ぎ、大江広元や大江姓毛利氏に繋がっている。