書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

百人一首を書く  謙徳公

2010-08-14 08:57:17 | Weblog
あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
 
あなたに見すてられたわたしを可哀想だと同情してくれそうな人は思い浮かびません。
あなたを恋焦がれながら空しく死んでしまうしかないのです。

謙徳公(924~972)
藤原 伊尹。藤原師輔の長男。関白兼家の兄。
妹の中宮・安子が生んだ冷泉天皇、円融天皇の即位と共に、摂政・太政大臣正二位・摂政・太政大臣まで栄達するが早逝、以降、権勢は弟の藤原兼家の家系に移る。
贈正一位。別称は一条摂政。漢風諡号は謙徳公。
性格は豪奢で贅を尽くした寝殿の話が残る。
歌人としても名が高く梨壺に設けられた撰和歌所の別当に任ぜられ、
「後撰和歌集」の編纂に深く関与した。
「後撰和歌集」他の勅撰和歌集に38首が入首。家集に「一条摂政御集」。 
書家として名高い藤原行成は孫に当たる。