オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

奥州・古城の旅 伊達政宗、上杉景勝・直江兼続の米沢城

2016年08月19日 | 宮城・山形・福島

福島駅で山形線(奥羽本線)に乗り換え米沢へ向かいます。山形線のこの電車は、軌間1435ミリ、つまり新幹線と同じです。山形新幹線を通すために在来線の軌間を新幹線の軌間に改軌し、現在は新幹線と在来線が同じレールで運行されています。6番線の719系電車

5番線の719系電車。福島駅は5番線と6番線が標準軌です。この先で山形新幹線と山形線が合流します。

6番線の電車と新幹線用の福島駅

在来線用の福島駅

峠駅の名物「峠の力餅」

米沢駅に到着しました。

新カラリングの山形新幹線。米坂線は新潟県の坂町と結ぶローカル線、もちろん軌間は狭軌です。

米沢駅の改札口

米沢駅

愛と義のフラッグ。愛はloveの意ではなく、軍神である愛宕権現に由来します。

市民バスに乗り、上杉神社前で下車




上杉博物館


上杉神社への道

県工発祥の地の碑。県工とは旧制山形県工業学校のことです。山形県初の県立工業学校としてスタートしたために県工と呼ばれましたが、のちに山形市、鶴岡市にも県立工業学校が設立されたために、米沢工業学校と改称し、通称は米工になりました。戦後は新制山形県立米沢工業高校となり、1997年に郊外の現在地に移転するまでこの地に校舎がありました。


上杉城史苑

上杉鷹山


ジョン・F・ケネディ大統領は上杉鷹山を尊敬していたそうです。その縁でキャロライン・ケネディはメッセージを寄せました。

米沢牛の恩人、チャールズ・ヘンリー・ダラスのモニュメント



松岬神社。「まつがさき」と読み、米沢城は松岬城とも呼ばれました。上杉鷹山を上杉神社から分祀したことから始まりました。のちに上杉景勝、直江兼続、鷹山の師・細井平洲、藩政改革を支えた2人の功臣を祀っています。



上杉神社は登録有形文化財に指定されています。

神社の堀


上杉謙信祠堂跡



謙信祠堂跡


招魂碑。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争で戦死した将兵を祀っています。

祠堂跡全体

上杉鷹山像。「なせば成る、なさねば成らぬ」の訓。

伊達政宗生誕の地の碑。伊達氏は現在の福島県の伊達地方から米沢に移り、その後、会津、岩出山、仙台と居城を移しました。


米沢には伊達のあとは蒲生、上杉が入城します。


「天地人」の碑。2009年のNHK大河ドラマです。原作は去年亡くなった火坂雅志。

野口雨情の歌碑

上杉謙信像

建国記念の日の碑


幕末の13代藩主上杉斉憲、のちの曦山の碑
この写真を最後に私のカメラは突然死をしました。原因はメモリーカードでした。予備のカードを持つべきですね。大いに反省をしました。
上杉神社の本殿と稽照殿は伊東忠太の設計です。写真でお見せできないのが残念ですが、伊東は築地本願寺、朝鮮神社、台湾神社、樺太神社、靖国神社遊就館、大倉集古館、東京都復興記念館、湯島聖堂などを設計した神社仏閣の建築の第一人者でした。伊東はなんと米沢出身だったのです。
市内に今年7月、「ナセBA」という図書館・市民交流施設がオープンしました。そのギャラリーで地元出身伊東忠太展を開催していることを聞き、ナセBAに立ち寄りました。
行ってびっくり。伊東忠太の展示はまあまあ、ほどほどでしたが、図書館が素晴らしい。3階、4階分ほどの吹き抜け空間の壁面に書棚がぎっしりそびえ立っています。本をどうやって取り出すのか、一見わかりませんでした。まるで物流基地の立体倉庫というか、私が昔見学した大規模製本工場の壁面のようでした。
写真を紹介できないのが誠に残念です。図書館マニアは必見です。私はこの図書館を撮影するためにもう一度米沢を訪問したいと思いました。
もう一つ、上杉博物館を見学して今回知ったことです。繊維会社として有名な帝人は米沢が発祥です。米沢高等工業学校(県立工業学校とは別。現在の山形大学工学部です)の講師が第1次世界大戦中にヨーロッパからの輸入が途絶したレーヨン(人造絹糸)を生産するためにつくった工場が鈴木商店の子会社となって大発展したのが帝国人造絹絲、現在の帝人です。私は帝人は関西系の会社かと思っていたので、意外でした。帝人はレーヨンのあとはテトロンを生産し、近年は炭素繊維、医薬品等で業績を上げています。企業の歴史を知るのも楽しいです。
米沢の市街は、城下町としては意外ですが、道路がわりと真っ直ぐで、あまり迷うことはありません。城下町としての空気もやや希薄です。1917年と1919年、2度の大火で市街地は焼失。2度目の1919年には上杉神社、上杉伯爵邸(現上杉記念館)は焼失しました。大火で焼失した上杉神社の建物を再建したのが伊東忠太でした。
山形県は空襲の被害はなかったが、山形(1911年)も酒田(1976年)も大火を経験しています。





















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