オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

2020桜の旅 ハクモクレン、護国寺・続々有名人の墓

2020年03月14日 | 東京

目白台、桂林寺近くで見つけた花講談社の前のハクモクレン同じく講談社の前の花護国寺・仁王門前の天風会館(写真中央。その左は日大豊山高校)。中村天風が創設した天風会の本部です。天風は頭山満の玄洋社に加わり、陸軍諜報員として日清・日露戦争時に満州で活動、孫文の辛亥革命にも関与。帰国後は新聞記者、実業界で活躍。天風会を創設し、思想家として講演活動を行った。東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫など多くの政財界人が影響を受けています。天風の墓は護国寺の墓地にあります。護国寺仁王門昨年エレベーターが新設、エスカレーターは地上部まで増設された有楽町線護国寺駅1番出口有楽町線は護国寺の境内、本堂の真下を通っています。仁王門仁王門前の公衆便所は現在建て替え工事中です。音羽の例の有名な事件の現場はここではなく、惣門内側の公衆便所でした。事件後に取り壊されました。毎月1回開催の骨董市は中止です。不老門前の安行桜は満開を過ぎました。音羽富士、音羽浅間神社の富士講碑護国寺役寮。修行僧の独身寮でしょうか。本坊・役寮の奥深く、豊島岡御陵との境界線に近い墓地の東南端です。高森家、梶原一騎の墓。「巨人の星」「柔道一直線」「あしたのジョー」「赤き血のイレブン」「空手バカ一代」の原作者です。墓誌。梶原一騎の本名は高森朝樹。梶原は高森朝雄というペンネームも用いました。銀座コージーコーナーの創業者、小川啓三・幸子夫妻の墓松村謙三の墓。日中国交正常化に尽力した政治家です。安田家、安田善次郎の墓。御屋敷のようなつくりなので見逃していました。本日初めて発見しました。梔園小出翁碑。明治期の歌人で、宮内省に勤務しました。日露戦争の報国六烈士碑棋聖宗印之碑。将棋の11世名人、伊藤宗員の顕彰碑です。討薩之役東京警視‥‥の文字が読めます。西南の役での20人の戦死者を祀っています。除闇の碑模造石鐙名称。20の模造灯籠の名称が書かれています。これらの20基の石灯籠は高橋義雄(箒庵)が寄進しました。このようにいろいろな形の石灯籠を寄進するという行為はユニークですね。宗教的というより、芸術愛好家の行為という感じです。高橋箒庵は護国寺の檀徒総代も務めたので信仰心は疑いがないと思います。高橋義雄(箒庵)の墓。高橋は水戸の出身で慶應義塾で学び、福沢諭吉の時事新報の記者となり、その後は実業界に転じて、三井銀行、三越の発展に貢献した。王子製紙を最後に経済界から身を引き、茶人として茶道の発展に務めました。茶道つながりで松平不昧の墓の分墓を行ったのも箒庵です。護国寺と三井財閥との関係は高橋から始まったのかもしれません。護国寺には益田孝、池田成彬、団琢磨など三井の重鎮の墓があります。本堂右手の枝垂れ桜はもうじき開花です。一方、左手の枝垂れ桜はまだまだです。満開を過ぎた安行桜大橋新太郎の墓。新太郎の父・大橋佐平は博文館という出版社を創業。新太郎のときには日本最大の出版社に成長し、出版取次、広告、印刷業にも進出、巨大な出版コンツェルンを形成した。戦後は解体され、現在は博文館新社が出版事業の一部を継承しています。博文館の博文は伊藤博文に由来するそうです。博文館の印刷部門は現在の共同印刷で、印刷大手の一角です。團家の墓。血盟団事件で暗殺された三井財閥の総帥・團琢磨と、琢磨の孫、作曲家、エッセイスト、「パイプのけむり」の團伊玖磨の墓です。梅謙次郎の墓。東京帝国大学法科大学学長、法政大学初代総理です。中国哲学者、服部宇之吉の墓土肥原賢二の墓。陸軍軍人、満州で土肥原機関をつくり諜報活動を主導。陸軍士官学校校長。極東軍事裁判A級戦犯として絞首刑。野村吉三郎の墓。海軍軍人、日米開戦時の駐米日本大使です。小笠原三九郎の墓。台湾銀行に勤務、のちに政治家になり商工大臣を務めた。大倉発身の墓。喜八郎の姉の娘の養子。大倉組(現大成建設)役員、大倉商事(破産)役員、月島機械会長石川六郎の墓。鹿島守之助の娘婿。鹿島の社長・会長、経団連常任理事、日商会頭を務めた大物財界人です。鹿島守之助の墓は文京区本駒込、吉祥寺です。サンシャインシティ南側の日出町公園ここのソメイヨシノはビルに囲まれていて日当たりが良いので靖国神社のソメイヨシノより数日早く開花しますが、3月13日現在まだ開花してません。

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