オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

旧陸軍戸山学校跡の箱根山に登り、東京女子医大吉岡弥生記念室を見る

2015年02月18日 | 東京
日経新聞に東京女子医大に吉岡弥生記念室があって、「東京女子医科大学 建物の歴史をたどって」という企画展が行われているという記事を目にしました。吉岡弥生は東京女子医大の創設者で、昨年秋に静岡の高天神城へいったとき途中に東京女子医大掛川キャンパスがあり、吉岡弥生の出身地が現在の掛川市であることを知りました。東京の大学が千葉や埼玉、神奈川などにキャンパスを設けることはよくありますが、静岡県の掛川市、しかも駅からかなり離れた土地にキャンパスがあるのは不思議でした。掛川キャンパスの近くには吉岡医院という診療所もあり、吉岡一族が今も多く住んでいるようです。

都立戸山公園にある旧陸軍戸山学校記念碑。戸山公園一帯に戦前は陸軍戸山学校、陸軍軍医学校がありました。陸軍軍医学校跡地は今は国立感染症研究所となっています。江戸時代は尾張藩の下屋敷でした。


戸山公園内の箱根山。箱根山は東京23区の最高地点で、標高は44.6メートルです。


公園内に旧陸軍施設のような古そうな建物があります。

正面にまわって見ると、普通の幼稚園でした。戸山教会幼稚園です。

国立国際医療研究センターの前景。戦前は東京陸軍第一病院、戦後は国立東京第一病院、国立病院医療センターを経て現在の国際医療研究センターとなりました。今でも地元のお年寄りは「トーイチ」と呼んでいます。



東京女子医科大学1号館です。1930年(昭和5年)竣工、設計は増田清、スクラッチタイル貼りの外観が特徴です。増田は女子医大の多くの建物の設計を手がけた建築家です。

1号館の隣の中央病棟。女子医大は以前は道路の南側がメインで、この建物が本館という印象でした。今は北側にも多くの建物が造られ大きく拡張されています。

企画展「東京女子医科大学 建物の歴史をたどって」のポスター

吉岡弥生記念室の内部


吉岡弥生像

女子医大の見学を終えて次にフジテレビ跡を訪ねました。レストランふじは今も残っています。フジテレビがあったころは社員食堂のようでした。

フジテレビ跡の高層マンション、URの河田町コンフォガーデン。敷地内には公園や保育園、スーパーがありゆったりとしています。昔のフジテレビの建物内部はぎちぎちで狭く感じましたが。高層化のおかげで大きく余裕ができました。

スーパー三徳。三徳は曙橋の駅前にも店舗があります。曙橋店があったのでフジテレビ跡にも出店したようです。

都営地下鉄曙橋付近の「あけぼのばし通り」入口のアーチ。フジテレビがあったころは「フジテレビ通り」と言っていました。フジテレビの城下町だったんですが、お城はお台場に引っ越して、城下町は寂れてしまいました。文化放送も浜松町へ去り、新宿区内にテレビ・ラジオ局はなくなりました。
曙橋駅近くに昔からある本屋。小さな書店は絶滅寸前です。四谷界隈に残っているただ一つの小型書店です。

靖国通り沿いにある成女学園の建物。目立たないけれど古い建物です。










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