オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

墨東・旧赤線地帯 玉ノ井・鳩の街を歩く

2014年09月02日 | 東京
このところ中仙道を歩く記事が多かったですが、今日は一転、隅田川の東、いわゆる墨東地区を歩いてきました。

銀座線で浅草へ行きました。私は銀座線に乗ることは少なく、あまり好きな路線ではありません。最新型の車両に乗って、びっくり。車内も広いし、いい電車ですね。2013年ブルーリボン賞受賞だそうです。

東武浅草駅の階段。最近、東武は元気というか、商魂たくましいですね。
東武線・東向島駅で下車。東向島駅は昔の玉ノ井駅です。東武博物館は2度ほど来ているので、ささっと見学しました。

東武東上線100周年記念展をやってました。昔の写真をパネルで展示。戦後間もないころに「フライイング東上」という特急が走っていたそうです。「GHQがよくトージョーという名称を許可したものだ」と以前東武電車の関係者が話していました。

東武博物館は開館25年だそうです。

キャブオーバー型のバス。キャブオーバーとはキャビン(運転席)の下にエンジンがあるタイプです。その後はリアエンジンが圧倒的主流となりました。キャブオーバーの前はボンネット型です。

日光電気軌道の車両です。今は東武日光が終着駅ですが、昔はその先、馬返まで日光電気軌道で行き、ケーブルカーとロープウェーを乗り継いで中禅寺湖まで行けたそうです。
いろは坂の開通やモータリゼーションの進展により利用客は減少し廃止となった。現在は明智平のロープウェーだけが残っています。
今の時代、日光から中禅寺湖まで鉄道と索道を乗り継いで行くことができればどうでしょうね。観光地としての日光の地位は今とはかなり違っていたでしょうか。

東向島は旧町名を寺島町といいました。その寺島発祥のなすが、江戸野菜の一つ、寺島なすです。今のなすより小さく、たまご型だそうです。

いよいよ玉ノ井です。交番の前をまっすぐ伸びるのがいろは通り。交番の角を左に入っていくと旧赤線地帯の玉ノ井です。永井荷風が通った戦前は、いろは通りの南側が赤線でしたが、南側は戦災で焼けたためにいろは通りの北側へ赤線は移りました。そのため南側には赤線の名残はまったく残っていません。


玉ノ井スタイルの店舗が並びます。中央のプリンスという店は今も営業中のようです。


独特のカフェ建築。バルコニー、タイル貼り、円柱の柱、曲面の壁、窓の様式などが特徴です。

古いタバコ屋。これもカフェ建築っぽい。

ここにも生駒軒がありました。生駒軒としては比較的新しいようです。東京の下町には生駒軒という名前の中華屋が多いです。中華なのに生駒軒とは不思議です。これらの店は一つの製麺所の傘下だったようです。

玉ノ井カフェ。観光案内を兼ねた普通の喫茶店です。

いろは通りの名前が見つからないので探していたら、やっと見つけました。

いろは通りの玉ノ井金魚店。

肉屋の建物は昔映画館だったようです。

次いで鳩の街にも行ってみました。鳩の街の入口のアーチ。右側のスーパーの壁も角がカーブしタイル貼りです。昔の映画館でしょうか。

鳩の街は商店街として今もけっこう人通りが多いです。

カフェ建築らしい建物ですが。

鳩の街の隅田川側の入口です。

三丁目の夕日的な趣の酒屋ですね。
鳩の街は下調べが足りずあまり発見はありませんでした。もう一度挑戦します。

帰りは浅草まで歩きました。東武浅草駅はいい建物ですね。


昨年12月雨で撮影できなかった浅草文化観光センターの外観。隈研吾の設計、和風モダンな建築です。




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