オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

武蔵・古城の旅 源義家縁の平塚城と太田道灌築城の稲付城

2017年05月03日 | 東京

東京都北区の平塚神社、中世に武蔵国南部で勢力をもっていた豊島氏が居城とした平塚城(別名豊島城)の城址です。武蔵野台地の東北端、河岸段丘の段丘上に位置し、荒川・隅田川方面を眺望できます。


八幡太郎義家・加茂二郎義綱・新羅三郎義光三兄弟の石碑。源義家は後三年の役遠征の帰路にこの地に立ち寄り地元の豊島近義に鎧と観音像を下賜しました。近義は義家の没後、城の鎮護のために鎧を埋めてその上に平たい塚を築いたことから平塚という地名になったそうです。

平塚亭という名の和菓子店。行列ができていました。




石室神社


1933年(昭和8年)上中里駅の開業を記念して植樹されたイチョウの木を移植しました。

御料稲荷神社(左)と大門先・南稲荷神社(右)

菅原神社。学問の神様です。

本殿


狛犬



上中里駅に近い神社入口

上中里駅。駅から平塚城までは徒歩数分です。駅開業84年というわりには駅周辺はなにもない。北側を東北線、高崎線、新幹線が通り、南側は崖が迫っているので発展しようがないですね。お隣の田端駅はずいぶん変わりましたが。


赤羽駅西口。西口駅前は一気に再開発が進みました。

駅前のバス乗り場


再開発でできた駅前商業ビル


段丘上に稲付城がありました。




現在は静勝寺の境内になっています。




木造太田道灌坐像が納められています。

本堂


南側の門


段丘からの赤羽駅、荒川方面の眺め


段丘の際









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