侮辱のなかに生きるわたしたち

2012-11-21 18:53:39 | Weblog

   侮辱とは極めて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は侮辱されています。

 「わたしらは侮辱のなかに生きています」 中野重治

中野重治が実体験として記した侮辱という言葉、また大江健三郎が原発に反対する集会で引用した侮辱という言葉、その意味は言うまでもないでしょう。
 権力が民衆を、国家が国民をほとんど人間扱いしていないのではないか。

 東電は、原発事故時のテレビ会議を新たに公開した。
その中に自動車のバッテリーを集める、というやりとりがあった。バッテリーをつないで電源を確保しようというのです。しかも足りなくて、買うお金にも困る。
 備えも何もなかった。これを知った福島の被災者らはどう思うでしょう。

東電も国もその程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか、。
 侮辱は継続しています。

 原発で言えば、大飯の再稼働は、ろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだ、という理由だけで決まり、国民の安全にかかる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないのです。

 国民は、自分の権利の蹂躙を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されている。
その状況を変えるには何より「変えよう」という意見を各人が持つことです。
デモや集会はその表れの一つであり、選挙はその重要な手段です。

 戦う相手は、広範でしかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。
政財界などにまたがるモヤモヤとした霧のようなものかもしれない。
                                         東京新聞 11月18日社説より抜粋


 世論調査で優位を予想されるいくつかの党はことごとく原発維持のようです。国民の8割が原発に反対、と報道がありましたが、、。脱原発を公約にする政党も『小異を捨て大同につく』で合流したらどうなりますかね?