立松和平の「仏と自然」。仏陀、菩薩、道元、芭蕉、日蓮、などについてのエッセイ集。
その中に以前から何回か聞いて、数字を忘れていた話が載っていました。
「因縁」
誰にも父と母という二人の親がいて、その両親にも親がいて、二代目の祖父母は四人になる。その前の曾祖父母は八人になり、こうやって祖先をたどっていくと、、十代前で1024人。
28代前までたどると、何と2億6千843万5456人。
25歳で子供を産むとして、その25年を一代と数えると、700年である。700年前の2億6千843万5456人の親の縁から「私」は生まれているのである。
これは700年後には「私」は2億6千843万5456人の親になる、ということだ。
生命誕生の瞬間から考えると、「私」がここに存在するのは奇蹟の中の奇蹟。幾つ奇蹟を重ねても言い切れないほど、得がたいことなのである。
これを我が事として考えると、、壮大な話ですよね。これだけの先祖があってこその今、という訳ですからねえ、、、。
四国遍路の話も出てきました。なるほど、遍路というのは彼岸への道なのですね。服装も死装束である、と。八十八ヶ寺の裏庭に行くと、いくつも遍路墓がある、そうです。
そんな話を読むうち、一昨年読んだ「プラネット・ウォーカー」を思い出しました。
「環境問題に目覚め、車を捨て、米大陸を徒歩で横断しながら(いぶかる周囲と言い争いをしないために口を閉ざし)、つまり、無言を通して、途中大学に入り、博士号まで取得し国連大使にまでなった17年の旅路」
バックパックでバンジョー片手に、ジェスチャーと筆談だけでのコミュニケーションの17年間は想像を超えていますね。そんな彼を受け入れる大学もアメリカならでは、と思います。
そう、3月の地震で家まで歩いている時、彼の本を思い出していました。