はなてばみてり/Why Worry/放下着

2013-04-14 08:43:05 | Weblog

     

 友人Mの1周忌に帰国した奥様からのお土産の一つがこれ、ゴディヴァの72%。知らなかったな、、。
美味しいです。
 海苔巻きやおいなりさんを食べながらお互いの近況やMの思い出話。
  それにしても「早いね、あっという間だね」と思うばかり。

未だに「気の抜けた感じ」から脱していないのですが、ともかく片付けるべき事柄を淡々とこなしていくしかないんだよなあ、と。
 そんな時に雑誌だったか、新聞だったかで目にしたのが「はなてばてにみてり」(道元)の文字。
ん?と一瞬読み直して、ああ、「放てば手に満てり」か、と。以来しばしば頭に浮かんできます。
執着しているものを(ものから)手放せば、多くのものを得る(満たされる)、という意味ですよね。
過ぎ去ったこと、人、、、そうだ「放下着」(ほうげじゃく)という言葉も若い頃に覚えたな、と思い出しました。
  
   マーク・ノップラー、エミルー・ハリスの”Why Worry”が頭に流れてきました。

                   

                 Why worry,there should be laughter after pain
                    These things have always been the same
                     So why worry now

                     There should be sunshine after rain
                      So why worry now


You are my sunshine/Dylan, Radio Hour

2013-04-07 08:43:39 | Weblog

 

                 
                                 2006~2009
 
 ボブ・ディランがDJをしたラジオ番組をインターFMで放送、とのニュース。「バラカン・モーニング」でも紹介していたので楽しみにしていました。
 さて当日、10分ほど前になって急に「録音しておこう」と思ったのですが、昨年もらったラジカセ(長い間使っていたアンプ、プレーヤーなどの所謂ステレオセットは故障で処分してしまい、以来ポータブルのラジカセに。それも故障し、ひとまず中古の貰い物でしのいでいますが、、)ではラジオを聞くだけだったので、はたして録音出来るか、ともかくまずMDでトライ。動いてはいるが、、。ではカセットは、、大丈夫でした。片面60分テープをセットしてぎりぎり8時!波の音とともに始まった番組の録音をスタートしたのでした。

 ディランが淡々とオーソドックスなDJぶりで番組を進めていくのが良いです!これぞ「RADIO DAYS」!
こういったFM番組が日本にももっと増えると良いのですが、、。
 2曲目の「歌手だけでなく、ルイジアナの州知事でもあった人、ジミー・デイヴィス」と紹介して始まったのが「You are my synshine」。
 実はこれ私が生まれて初めて覚えた洋楽だったのです。母がよく口ずさんでいたのでいつのまにか歌詞とメロディーを覚えていたのですね。(日本では戦後の復興期に相当流行ったそうです)

               
                           1999

                                      You are my sunshine 
                                  My only sunshine 
                                  You make me happy 
                                  When skies are grey
                                  You'll never know,dear 
                                  How much I love you
                                  Please don't take my sunshine away

              


フリーダム/ Pale Blue Eyes

2013-03-17 14:52:54 | Weblog

                      
                           2011

 アメリカの中年夫婦とその家族を描く。
苦学を重ね、大学時代に出会い結婚した妻を愛する夫。大学時代からの友人でアウトローなミュージシャン。子供が大学へ進み、親の手を離れる頃から、家族がきしみ、壊れ始める。
欝になって行く妻と、親友であるミュージシャンとの間に何かあったのではないか、、。
 社会の勝ち組であろうとする息子に失望しながら、自らは小鳥の保護団体に転職し、保護区を作るために住民から土地を収奪しなければならない、という矛盾。
 妻との不仲が深まる中、部下のインド系女性に激しく惹かれていく、、。
「フリーダム、自由を!」の筈が営利目的にすり代わり、自己の保全に汲々とする「不自由な」日々。 

アメリカにある自由と不自由さ、明るく振舞うアメリカ人家族の内に抱える深い心の闇は、今や日本のものでもあるのでは、、。
 800ページ近い厚さと登場人物の名前に混乱して前の方を読み返したり、後半少々息切れ気味になりながら読み終えたのでした。

 妻と親友の不倫、息子の恋人、などを読みながら、久しぶりに思い出したのがこの歌(ほぼ忘れていました。シェリル・クロウ&エミルー・ハリスも歌っていますね)。そうだ、息子の恋人は、「アメリカン・グラフィティー」のあの女性が頭に浮かんで、、。
                                                 
        Pale Blue Eyes

     Sometimes I feel so happy
     Sometimes I feel so sad
              Sometimes I feel so happy    
            But,
mostly you just made me mad
              Baby,you juat made me mad
     Linger on,your pale blue eyes

     Linger on,your pale blue eyes

     It was good what we did yesterday
     And I'd do it once again
     The fact that you are married                  君が結婚していることは
     Only proves, you're my best freiend      君が僕の親友だと証明するだけ
      But it's truly,truly a sin               でもそれは本当に本当に、罪なんだ

      Linger on,linger on
     Linger on,linger on

 

 


Living in the Material world/G・ハリスンの軌跡

2013-02-24 13:55:05 | Weblog

 

   

 昨年見損なっていたこの映画を「有楽町で公開する」とたまたまFMラジオで聞いたのでようやく見ることができました。日曜日だったが、半分くらいの入りかな?スクリーンに向かって傾斜がある見やすい構造で、もう数十年前に池袋東武デパート内にあった映画館を思いだしましたね。
 
 ポールと出会い、ジョンのバンドに参加し、ビートルズとして世界中の若者を熱狂させていく。
ビートルズの歩みから始まり、解散後の足跡を描くジョージの58年のドキュメンタリー。
少し長いなとは思いながらも、まずまず満足の210分でした。

 記憶に残った話をいくつか、
オリビア
「ジョージが亡くなった瞬間、彼の体から光が反射するのが見えました」

ジョージ
「(初めの頃)新聞や雑誌で自分たちの写真を見ても、それが自分とは思えなかった。何か他人を見ているような感じなんだ」 

               
ジョージ
「初めてあった頃のジョンは、4本弦でギターを弾いていた。初めはその程度の知識だったんだ」

ヨーコ サムシングについて
「これはシングルで出すべきだ、とジョンが提案した」

E・クラプトン
「僕とジョージは個人的な趣味も似ていて、普通の男が好みそうな格好いい服や車が大好きだった。
もちろん女性の好みも」

リンゴ
「(見舞いに行き)N.Yで入院している娘の所へ行く、と言うと、ジョージが「一緒に行こうか」、と言って」、、。


このドキュメンタリー、イギリスではTVで2日に渡って放映されたと何かのニュースで読みましたが、そういえばNHKなどのテレビで見るドキュメンタリーみたいな作りだな、とも思いました(監督がM・スコセッシである必要はなかったな、、とも)。
そうだ、ジョージの家に強盗が入った事件で、犯人の血まみれの顔を数秒写していましたが、あれ必要ですか?私は一瞬見てすぐ視線をその間そらしたのですが、、。新聞記事を見せるだけで充分でしょう。

 ジョージだから出来た、大規模チャリティーコンサートの先駆けとなったバングラデシュ・コンサートなど、大きな存在でしたね。

 


ウイルパワー/イチロー不惑

2013-02-17 16:19:17 | Weblog

               ケリー・マクゴニガル(スタンフォード大学心理学者)

「人間は誰でも誘惑や依存症に苦しんだり、物事を先延ばしにして悩んでいますが、自分だけがそうだと思いがちです。人間はみんなそのようにできている。脳がそういう仕組みになっている」

 「何か悪い習慣をやめたいと思う場合、いきなりやめるのは困難。それを5分だけお預けにする。
チョコを見て興奮している脳がその5分で落ち着きます。神経伝達物質のドーパミンのせいで狭くなっていた視野が戻り、アレルギーのことなど思い出す」

「自分の失敗や愚行を、道徳や倫理の基準で判断しないこと。
好奇の目で自分を眺めた方がよい。善悪の判断から離れ、行動そのものを観察する。それは科学者の態度。そうすれば、自分を変えるのはスキル(技能)であって、道徳の問題ではないとわかってきます」

「少しずつスキルを身につけることで、長期的には行動が変わり、自分が変わります」

「他人を変えたいなら、自分から変わる方が効果的。私が変われば、他人も感化されて変わるかもしれない」

「人は自分の心を変えようと努力しがち。しかし考えや欲求はコントロールできない。まずそれを認めるべき。
それを受け入れて初めて、考えや欲求に従わない行動もとれます。
不安だけどやってみる。そうすることで、『不安になる必要はなかった』と脳や体が学習するわけです。
経験する前に不安をコントロールしようとするのが間違い」

「自分を変えるのに年齢は関係ない。科学的に言い切れます。脳の変化は死ぬまで続きます」 
                                             2月11日毎日新聞より抜粋

  

             イチロー インタビュー
                            2012 プレーオフ第2戦

 忍者と言われた本塁突入
「三塁コーチが腕を回している以上、行くしかなかった。そのまま突っ込んだら3m手前でアウトになるのは明白だった。(セーフになる)可能性があるとしたら、スピードを緩めるしかない。(相手は)頭のいい捕手なので予測できない動きをすることでしか可能性は生まれない。相手の頭の中をちょっとした混乱状態に誘導するしかなかった。
 僕の中で印象に残るプレー。単にフィジカルだけでなく心理の戦いも含んでいた」

「アメリカに行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難と感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」

「今はまだ色紙に一言、といわれても書けない。大切にする姿勢や哲学はあるが、胸をはって一言を残せる程の自分ではない。拙い表現でも将来自分の言葉で伝えられたらな、と思う。しかし結局、言葉とは、
『何をいうか』ではなく『誰が言うか』につきる。
 その『誰が』に値する生き方をしたい」                   2月13日 日経より抜粋


サンカーラ/諸行無常

2013-02-03 08:36:26 | Weblog

      

年老いた親の死。引きこもりの兄の餓死。3月の東北地方地震。

無為に生きていることが無価値であるなら、老いて生き続けるのはなんと辛いことか。
その先に死しかなくなった時に、私は自分が生きる意味をもてるのだろうか。

ユダヤ人捕虜収容所。酒乱の父、暴力。カンボジアの地雷原、すべて取り除くのに50年、100年?

現状の原子力の在り方には問題がある。
この産業構造は歪みすぎている。電機業界は政治的に利用されすぎていて、利権争いの場となっている。

なぜ日本が原発大国になったのか。その裏には米ソの冷戦があり、日本に原発を導入させようとしたアメリカの情報戦略があった。
米ソの対立を背景に、原子力を外交カードに使い、どうしても日本を米国の傘下に取り込みたいアメリカの思惑があった。そのため、メディアと行政と米国が一体となった「原子力キャンペーン」が展開され、豊かな未来社会を掲げて国民を洗脳していった。

 福島とチェルノブイリ。水俣。

兄の死は私の内的な変容を促した。
土台ごと、根こそぎひっくり返ったのだ。
人生は地続きで変化するものだが、あの時は違った。昨日と今日は別の場所だった。世界は同じままなのに、私に見える風景が転じてしまった。それまで信じていたものがあっさりと覆った。

同時に人がなんで悩んでいるのか、苦しんでいるのか、その原因もよくわかるようになった。
みな自分の思い込みで苦労している。 ー中略ー
頭では知っていたが、知っているだけでなにもわかっていなかった。実感として、体験として感じていなかったのだ。

私は兄を治療したりする必要はなかった。音楽を聞いて兄が心穏やかならば、それでいいと、、、。
「お兄ちゃんが好きだ」その一言で良かったのだ。

 もし福島の被災地にブッダが現れたら、ブッダの目には放射能で汚染された世界がどう見えるのか。
ブッダは何を思い、何を語るだろうか。

サンカーラとは、この世の諸行を意味する。

*諸行無常 
  一切の作られたものは、時の推移によって消滅変化し、常なることはない。

 アル中の父親、そして兄について語る章には深く共感。事例は違えど思い当たること多く、しばし当時の幼く、無力な自分を思い起こしながら読んだのでした。
諸行無常、と達観出来る日は来るのでしょうか、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ある男/ 影の部分

2013-01-27 13:44:10 | Weblog

 

        

 7つの短編だが、気がつくとどの主人公にも名前がない。権力を持つ者と支配される者、したたかに生きる女たち。時代に翻弄されながら望みを果たせず消えていく人たち。悲しく切なさもある物語だが、今の時代だからこその思いで書かれた物語だろうか、。いつもながら読み始めたら、一気に読んでしまったのです。

            
                2012

  1957年「ぼくの叔父さん」で初めて映画買い付けの現場に参加。1959年「勝手にしやがれ」を撮影中に世界で最初に買い付け、パリ公開の10日後、1960年3月、日本公開に。「太陽がいっぱい」「危険な関係」など数々の名作を日本に輸入した。     著者略歴より

             

 映画のバイヤーとしてのパリ時代と、戦前から戦後にかけての東京の少々上流家庭の生活ぶりを交互に配して語る構成の回想記?だがどちらも読み応えある話でしたね。語り口もフランス映画を思わせてくれました。
 J.タチの「ぼくの叔父さん」を初めて見たのは高校生のころかな?確か2本立ての映画館で見たと思うのですがほのぼの面白かったなあ、と思った記憶がありますが、今の時代ではどうだろう?


息の発見/白隠 軟酥の法

2013-01-13 09:29:22 | Weblog

 

                  
                 2008

 新しい年に、あらためて呼吸を意識しようと読んで見たのですが、白隠の話が紹介されていて、久しぶりに思いだしました。もう数十年前に何かの本で白隠の「軟酥の法」「内観の法」を知ったのですが、すっかり忘れていましたね。

「密教者は、最初は自分のなかで息をめぐらす。具体的には、丹田からはじまって背中にまわし、後頭部から額におさめる。そこから鼻を伝って胸をとうってまた丹田に戻る。
最初は体の中だけでめぐらせ、それをだんだん巨大化していく。まず自分が球形のなかにいるとイメージする。めぐる息はその球形のものの中にいるとイメージする。めぐる息は」しの球形の内側をまわっていくのですが、その球形がだんだん地球大、宇宙大にまで拡がっていく。というふうに考えるんです」

「長生きは長息」

「お経の意味はわからないほうがいい。純粋に音として扱うほうが。歌の場合、脳波からすれば、ハミングのほうがアルファー波になりやすいそうです。歌詞を追うとつい意味を考えますから、いい気持ちにはなりにくい。そういう意味でもお経の意味がわからないというのはわるくないです」

姿勢と呼吸
「例えば、椅子にもたれているときは、もたれて何かに接しているところに意識を置く。そうするとそのままの姿勢で脱力できます。意識の置き様が悪いと疲れがでてくる。だから座禅のときは意識を座布と接する所までおろします。
「いま座布団と椅子に接しているのはお尻と背中ですから、お尻と背中に意識を置いておくと非常に楽。背中を立てた時も、背中をどうこうしようとはあまり思わず、意識を、たとえばお尻の下に落とすだけで、ある程度の姿勢になるのです」

呼吸法
「まず自分の体を空っぽの容器とみなします。その空っぽの容器に足の裏からでも、脳天からでもいいんですが、息を吸うたびに水が入ってくる、とイメージします(光でも良い)。
 一息吸うと一気に全身に満ちる。そしてイメージで喫水線を描き続けます。息を吸って足から脳天まで上がった喫水線をこんどは吐きながらゆっくり下げていきます。
 
映像に置き換えるのがとても重要だと思います。たぶんそれによって脳は言葉を扱えなくなります。
喫水線がみぞおちまで来た、胃の幽門部まで来た、腎臓のあたりに下がってきた、と具体的にイメージするんです」

  白隠の軟酥の法

*卵くらいの大きさの軟酥(バター)の丸薬を、頭上に乗せたとイメージする。
 その丸薬が溶けて、頭上から足の裏まで流れて行く、と想像。

 頭上から徐々に頭全体を潤し、両肩、腕、胸、肝臓、帳、胃、尾骨まで潤すと観想する。
   (すべての内蔵の疾患などが消失するとイメージ)
さらに軟酥が両下肢を暖かく潤し、足の裏まで到達するとその流れは止まる、と観想する。

「この方法を何回も根気よく行えば、どんな病気でも直せないものはない。そして立派な徳を積むことが出来る。その効果はこれを行う人の熱心さ、いかんによるので一生懸命」精進せよ」 白隠

 


LENNONNYC/ Sometime in New York city

2013-01-06 12:30:17 | Weblog

              
                            2010年   

 ジョンのニューヨークでの日々を、本人のインタビュー映像や近しいミュージシャンたちの話を交えて綴る、ドキュメンタリー。
 平和運動とバッシング、裁判闘争。所謂L.Aの「ロストウイークエンド」時代、「ハウス・ハズバンド」としての穏やかな日々。音楽への新たな情熱、そしてダコタハウス前の突然の悲劇まで、ジョンの苦悩や挫折、落胆などが描き出されていく。
               

 12月30日に録画しておいたのを1日に見たのですが、、あれ?これ見たことあるような、、と、思い出したのが「ピースベッド」(2006年)でした。これも昨年の9月頃に放映したのでしたね。ほぼ似たような内容で、「ピースベッド」の後に作るのならもっと違う観点から迫って欲しかったな、と思ったのでしたが、、いずれにしても強烈な人生でしたね。

         
                          1971年N.Y最初のアパート                 E.ジョン MSGコンサート

                
                  1972

 そう、この歌詞「ケ・パサ」(英語で言えば What's up? How's it going? 元気?どうだい?の意)、L.Aのアダルト・スクール(成人のための各種講座学校)に通っていた頃によく聞いた言葉です。「ケ・パサ・アミーゴ?」「ケ・パソ?」と毎晩のようにメキシカンと挨拶をしていたものでした。

                                            New York city
                                               Que pasa,New York? 
                                               Que pasa,new York?


人は死なない。ではどうする?/Angels we have heard on high

2012-12-23 11:39:18 | Weblog

                    
                  2012年

  東大医学部教授と気功家の対論。
 死後、体は無くなっても、次の世界があるようなのだ。

 瞑想について
「雑念には、無理に抵抗しない方がいい。あるがままを受け入れてオープンにしておくと、雑念自身が消えていく。 禁物なのは一つの想念から別の想念へと次々と連想ゲームを続けてしまうこと。
一つの想念が浮かび上がってきたら、それがどこから来るのか、ただ観察してみてください」

「ボーッとしているのは、エゴによって瞑想の邪魔をされている証拠。瞑想がうまくいった場合、頭はボーッとするのではなく、深いリラックスとともにクリアーになってくるのです。
脳全体が「空なる場」のエネルギーで満たされ、何とも言えず同調している感じです」
                                                   中 健次郎

「これまでの交霊体験から得た情報を総合して考えると、確かに「向こう側」がある。
その向こう側というのは、私たちが今存在しているこの世の物質界とは違い、その次元が無限にあるということです」

「死んだ後、個々人の意識や個性はしばらくの間存続するようです。肉体をなくしても、物質界の意識にとらわれている状態が続くのだ、と言ってもいいでしょう」

 肉親を亡くした家族の悲しみ、苦しみについて
「こちら側の人間は、亡くなった人に感謝の気持ちを持っていれば充分なのではないか、と思います。
感謝の気持ちは必ずあの世の家族にも伝わりますから。
後は、こちら側で元気に暮らしているのが一番。向こう側にいる人も、それを何より喜ぶのです」

「死に対する不安、恐怖、心配は、考えようによってはいいことではないか。
というのも、人間のような未熟な意識の場合、もし死んだ後どうなるかはっきり分かってしまったら、浅はかな結論に飛びつく人が大量に出現するのではないでしょうか」
 つまり、死への恐怖というのは、ある意味では私たちが向こう側へ気安く飛ばないようにする安全弁のような働きをしていると思うのです」

 あの世とは
「明るくて明るくて仕方ない、と言った人がいました。表現しようのない明るさだ、と。
あの世というのはそもそも三次元的な世界ではありません。ですから三次元の世界しか知らない私たちには、理解するのが難しいんですね」

                                                   矢作直樹

 

                      Angels we have heard on high
                   Sweetly singing o'er the plains
                   And the mountains in reply
                   Echoing their joyous strains

                    Gloria, in excelsis Deo
                    Gloria, in excelsis Deo


ウッドストックへの道/ Beautiful People

2012-12-16 15:14:47 | Weblog

 

                  
          2012 (オリジナル版2009年)          最初の予定会場ウォールキルから
                                           ホワイトレイクに変わったいう広告                                                                         

 ウッドストック開催までの話は以前にも他の本で読んでいたのですが、やはり当事者の語る細部に渡る話は想像以上のものでした。 
  
 出演料を見ると当時のそれぞれの勢い、位置がわかりますね。
 ジミ・ヘンドリックス 2セットの演奏で3万ドル+経費として2千ドル。
 サンタナ 1500ドル!!(レコードデビュー前)、 ザ・フー 1万2500ドル(アメリカ公演中だった)、 CS&N 1万ドル(デビューアルバム発売直前)、 CCR 1万ドル、キャンド・ヒート 1万2500ドル、
BS$T 1万5000ドル、ジェファーソン・エアプレイン 1万5000ドル、ティム・ハーデン 2000ドル、
ラヴィ・シャンカール 4500ドル、アーロ・ガスリー 5000ドル、ジョーン・バエズ 1万ドル、
グレイトフル・デッド 7500ドル、ジャニス・ジョップリン 1万5000ドル、ザ・バンド 1万5000ドル。

 このメラニーの話は初めてでした(彼女の名前自体忘れていましたね)。
レコード会社関係者の友人が、若い女性シンガーに何曲かやらせてくれないか、ともちかけた。
メラニーはその時点ではほぼ無名の存在だったが、そのかすれた不思議にふるえる声で「ビューティフル・ピープル」の最初の一節を歌い終えると、奇跡のような出来事が起こった。
 彼女の前で、闇の中で一つになっていた何千人の参加者たちは、キャンドルやマッチに火を灯し、それをかざして揺れ始めたのだ。
 彼女の歌は一瞬にして、そこにいたビューティフル・ピープルの心をとらえたのだった。

メラニー
 「マジカルだった。あの時、私は初めて幽体離脱を体験した。
ステージに出る橋を渡っていると、私は体から抜け出して空中に昇っていき、そこからもうひとりの私がステージに歩いて行き、腰を下ろして最初の数行を歌いだす姿が見えたの。
 私がセットを終えた時は、丘の一面にいっぱい小さな火がまたたいていた」

コンサート会場で人々がキャンドルや灯をともしたのは、おそらくこの時が最初だったのではないか。

                    
                            マックス・ヤスガー農場 開催8日前

                                        Beautiful peope
                                           You live in the same world as do
                                           But somehow I never noticed
                                           You before today
                                           I'm ashamed to say

 


こんな政治家ならいらない

2012-11-25 12:38:34 | Weblog

 朝日新聞11月20日より 抜粋

時々、今の日本社会に政治家って本当に必要不可欠なのか、考えれば考えるほど分からなくなることがあって」

「しっかりした官僚組織があって、調査報道メディアやウォッチドッグ(監視)団体などがこれをチェックし、民間企業が頑張れば、政治家がいなくても機能していくのではないか」

「民主党政権は、完了が悪い、政治家が主導する、と言いました。でも現実は政局とかパフォーマンス、場当り的な対応を繰り返し現場を混乱させ、民意に背いてきた印象を受けます」

「今回の米大統領選挙を見て実感したのは、政治家とは社会の様々な集団や人々をつなぐ、あるいは鼓舞するある種のストーリー(物語)をつむぎ、与える存在だということです」

「私だって本当は政治家に期待したい。でも失望しないように、どんどん期待値を下げている自分がいます」

「政治家本人も、もし今の自分を若い頃の自分が見たらどう思うのか、一度じっくり考えてほしい。自分はどういう言葉が足りないのか、自覚しているのかな、と思いますね」

「大事なのは熟議した結果を人々にどう伝え、いろいろな集団や組織をどう動かすか。経験に裏打ちされた重い言葉や行動こそが、人々を動かすはずです」

「日本がこれから目指すべき社会のモデルは欧米にもないし、アジアにも見当たりません。自分で探したり作ったりしないといけない。かつての、自明だと思っていた頃に比べて、ハードルは確実に高くなっています」

「日本は東南アジアで、国際社会のルールをどうやった作っていくか。複雑な力学が働いている中で。どう衝突を回避するか、関係を支えるネットワークやセーフティーネットをどう作るか」

「大事なことは、日本はどういう世界を目指すのか。世界とどう関わっていくのか、それを世界にわかる形で示すことです。外から何かを求めてきたからその対処策を議論するだけではなく、こちらから別の案、ないしストーリーを提示する。こちらから新しい秩序や枠組みを作ろう働きかける」

「有権者もメディアもいつのまにか永田町の政治家と同じ目線で見ているとしたら、困ったことです。気づかないうちに自分も永田町の住民のようになっていないか。これは自覚してほしい」
                                               文化人類学者 渡辺 靖

 脱原発派と原発推進派が合流して、原発に関しては沈黙のようですが、永田町の論理では「有り」ということですか?


侮辱のなかに生きるわたしたち

2012-11-21 18:53:39 | Weblog

   侮辱とは極めて強い言葉です。ひどい扱いを受けた者の発する言葉です。政治にせよ、原発にせよ、私たち国民は侮辱されています。

 「わたしらは侮辱のなかに生きています」 中野重治

中野重治が実体験として記した侮辱という言葉、また大江健三郎が原発に反対する集会で引用した侮辱という言葉、その意味は言うまでもないでしょう。
 権力が民衆を、国家が国民をほとんど人間扱いしていないのではないか。

 東電は、原発事故時のテレビ会議を新たに公開した。
その中に自動車のバッテリーを集める、というやりとりがあった。バッテリーをつないで電源を確保しようというのです。しかも足りなくて、買うお金にも困る。
 備えも何もなかった。これを知った福島の被災者らはどう思うでしょう。

東電も国もその程度の取り組みと真剣さしかなかったのか。住民の守り方とはそのぐらいのものだったのか、。
 侮辱は継続しています。

 原発で言えば、大飯の再稼働は、ろくな検証もなく、電気が足りなくなりそうだ、という理由だけで決まり、国民の安全にかかる問題なのに、これほど非民主的な決定は前例がないのです。

 国民は、自分の権利の蹂躙を痛々しく感じているのです。政治に侮辱されている。
その状況を変えるには何より「変えよう」という意見を各人が持つことです。
デモや集会はその表れの一つであり、選挙はその重要な手段です。

 戦う相手は、広範でしかも悪賢く、しっぽすらつかませないかもしれません。
政財界などにまたがるモヤモヤとした霧のようなものかもしれない。
                                         東京新聞 11月18日社説より抜粋


 世論調査で優位を予想されるいくつかの党はことごとく原発維持のようです。国民の8割が原発に反対、と報道がありましたが、、。脱原発を公約にする政党も『小異を捨て大同につく』で合流したらどうなりますかね? 


ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗

2012-11-18 19:33:58 | Weblog

            
         1964年

 あまり期待せずに録画しておいたBS日テレ「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」を見たら、なんとドラマ仕立ての巨人軍の映画でした。これは知らなかったなあ。
 長嶋選手の箱根でのトレーニングから始まって、川上監督、藤田、広岡、国松、柴田、王、など昭和 38年のペナントレース、対西鉄との日本シリーズまでを、各選手がセリフもこなし作られていましたが、映画としての出来はともかく、シーズン中や日本シリーズの実際の試合の模様を見られたのは懐かしく嬉しかったですねえ。
 あの頃は招待券をよくもらって後楽園球場へ行ったのですが、1塁側の内野席でしたね。野球少年だった頃をしばし思い出しました。

      

 

         
                       多摩川での練習風景。後ろのワーゲンが!!
 
 


呪いの時代/ 荒ぶる神

2012-11-11 10:30:39 | Weblog

   

「身の丈に合わない自尊感情を持ち、癒されない全能感に苦しんでいる人間は創造的な仕事を嫌い、それよりは何かを破壊する生き方を選択する」

「創造すると、自分がどの程度の人間であるかが、あからさまに暴露されてしまう。だから全能感を優先的に求めるもの、自分に『力がある』ことを誇示したがるものは、何も作品を示さず、他人の創り出したものに無慈悲な批評を下してゆく生き方を選ぶようになる。
自分の正味の実力に自信がない人間ほど攻撃的になり、その批評は残忍なものになるのはそのせいです」

「呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさ邪悪さを含めて、自分を受け入れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。
 
多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が『自分をあまりに愛している』からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。
 
僕たちはまず『自分を愛する』というのがどういうことかを思い出すところからもう一度始めるしかないと思います」

「原子力は荒ぶる神である。  ー 中略 ー
 そもそも設営の時に、伝来の古法に従って呪鎮の儀を執り行うべきだった、と私は思う。盛土をして原子炉を土中に置くのである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような場の下に原発を安置する。
 ー中略ー
日本人はこういうやり方をするとき一番真剣になるからである。それが私たちのDNAの中に根を下ろした『恐るべきもの』との折り合いの仕方だからである」

 
 ヨーロッパやアメリカの原発関係者は、福島原発の施設の老朽ぶりや、コストの安さ、安全設備の手抜きに心底驚愕したのではないか。どうして原子力のような危険なものを、こんなふうに『雑に』扱ったのだろう。
 そこまでしてコストをカットしたかったのか?
 日本人は命より金が大事なのか?」

「リスクを低く見積もれば、原発ほどクリーンなエネルギーはない。
 だが、いったんリスク・コントロールに失敗すれば、悪くすると国土の一部が半永久的に『居住不能』になる。故郷を失った人々に対する補償と、その国土が生み出すはずだった国富を計算した場合に、
『火力よりも原発の方がこれだけ安いです』とソロバンを弾いて見せた金額など、何十年分を積み上げても
『焼け石に水』である」

「どのような政治的な正しさとも、費用対効果とも無関係に、純粋に専門的な見地から、国土の安全と国民の幸福だけを配慮する人々によって管理運営されなければならない。
 私たちが今回の事故について一連の報道から学んだのは、そういう専門家が、日本の原子力行政の中枢にいなかった、ということである。
原発の専門家です、と名乗ってメディアに登場してきた人々の殆どは『原発が止まると失業する人たち』だった」

「事故が起こらなければ儲けの多いビジネスに従事している人々は必ずや事故が起こる可能性を低く見積もるようになる。最初は『事故が起こりませんように』という素朴な願望から出発するのだが、それがやがて『事故は起こらない』という信憑に変質する。人間というものはそういうものである。だから、そのような人間の心理的弱さを勘定に入れて、制度は設計されなければならない」