とろける。

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『誰も知らない』を中心とする、あかいかわさんの小説の感想

2015-07-04 16:55:41 | 読書
kindleにあがってる、あかいかわさんの短編集『誰も知らない』の感想を書こうと思う。
しかし、まだkindleにあがっていない『ねこキラーの逆襲』も頭の中に混ざりこんでしまって、ひとつひとつの小説の感想を書くことが難しい。両方交えながら思いついたことを書いてみます。(ネタばれします)

短編集『誰も知らない』(http://t.co/a1r1lk2ilX 99円)には、8作品の短編が入っている。


【さまざまな現実に対する怒り】

感想を書こうと思ったときに思い浮かんだ作品は、『ホット・ディスク・イン・ザ・レイン』と『鳥鳥鳥』。
主人公たちは怒っても仕方のないもの、他のたくさんの人はそれについて何とも思っていなさそうなものに怒っている。

『ホット・ディスク・イン・ザ・レイン』で「俺」は降り続く雨とか、買おうとしているゲームソフトにおいてもっとも大切な「それでどれだけの時間をつぶせるか」ということが書かれていないことをはじめ、あらゆることにイラつき、怒っている。

『鳥鳥鳥』で「わたし」は現実は美しくない、正しくない。現実世界に戻りたくないと思う。
それに対して、一緒にいる人にそれを理解されそうにないこと、理解しないその人、美しくない現実、そういったものに対して、彼女は怒っているのかなと思う。

しかし、「わたし」はそれを後藤にうったえることはない。分かってもらおうと行動することを拒否しているように思える。

それに対して『ねこキラーの逆襲』の「クロ」は「キシ」に対して、理解を求めているように思える。だから「クロ」はたびたび「キシ」につっかかる。

そんな「クロ」や「わたし」、「俺」たちのことを、私は他人事に思えない。
私はしばしば現実を受け入れられずに、恋人であるだんなさんに、わあわあ言って困らせる。
<なんで世界はそんなしくみになっているの!!>そんなこと、言われても困るよね。彼が悪いわけでも、特定の誰かが悪いわけでもない。

さまざまな不条理に怒る気持ちも分かるんだけど、あんまり誰かに怒りを伝えていると、それを受け止めている人がかわいそうになってくる。

それが一番際立つ作品が『ねこキラーの逆襲』中の「ブレイキング・ニュース」という作品内小説。「俺」は高校生の時に母が死んでから家事を一手に引き受け、妹の面倒を見てきた。けれども、妹とは理解しあえない。妹はUFOに住んでいる街が攻撃されている中、引き留める俺の言うことを聞かずに父を助けに出て行ってしまう。現実世界で役に立たない父に対して、なんとかやりくりをしている主人公が、妹に否定され、何も報われない。やるせない気持ちになる。

『誰も知らない』の中の作品『落下速度』でも、『ねこキラーの逆襲』でも、なかなか満足できる答えを見つけられないような問いを発する女の子に対し、返すことばを見つけられない主人公というパターンが繰り返される。
『鳥鳥鳥』の「後藤」のように問いかけられない場合もあるし、「ブレイキング・ニュース」のように一方的に批難されて終わる場合もあるし、『落下速度』のようにたまにしか口を開かない場合もある。
女の子たちは自分が抱えている疑問には正直だったり敏感だったりするんだろうけど、自分が問いを発する相手が抱えるであろう気持ちについては無関心だ。もしくは、無関心というよりは、自分が抱えているものにとらわれ過ぎて、そのことにまで気が及ばないという感じだ。
そして、これこそが読者である私がいつもやってしまうことだ。彼の小説を読んでいると、登場人物と自分が重なって大変申し訳ない気持ちになってしまう。親近感と嫌悪感。

【絶望と希望。だいたい苦しい】
作品によっては、現実に対する怒りに対して、そんななかでもできることをやっていこうとする場面もみられる。時間の永遠性とか大きなものに対して、でもできることを提示しようとすることもある。
『落下速度』では、「僕らの命の長さは永遠の前では点に等しくとも、重力加速度や平方根を理解するためには、十分な長さなのだから。」という一文は[「死んだあとに」彼女が口を開いた。「もし無限の苦しみがやってくるとしたら、そんなささやかな幸せなんて、何の価値があるの?そんなもの、永遠の苦しみに比べれば、ただ虚しいだけ」]ということばの後にある。

『誰も知らない』に収められている「祈り」は、親近感が湧くものではないが、希望と絶望が鮮やかに描かれていてすごく苦しくなる。異国の、捨てられた幼い兄妹の話。彼らは英語の字を読むことができないけれど、本はいつまでも待っていてくれる、いつか読める日が来る、ここには世界が詰まっている。しかし、その希望はずたずたに引き裂かれる。あー、だめだ。この作品は悲しくて、苦しい。でもそういう現実がどこかにあるんじゃないかと思うので、さらに苦しい。

もちろんそういう貧困のような苦しさだけじゃなくて、他人との壁、正しくない世界、登場人物は何らかの苦しみを抱えていることが多い。

例えば、短編集のタイトルになっている『誰も知らない』では、主人公のユサはこどものころに歩道橋で出会ったキレイな女の人(死んでいるはず)に友人のリサがそっくりで、混乱し、苦しんでいる。
ちなみにユサは『ねこキラーの逆襲』の主要な登場人物でもあり、周りを気遣いながら、こんなことを考えちゃう自分なんてという自意識もありながらも、抱えているものを押し殺しつづけることができなくて、語りだす。ユサは私とはだいぶ性格が違うけど、彼女の心情も身に迫ってきて放っておけない気持ちになる。

【ミクロな着眼点、描写】
彼の小説を読んでいると、自分なりの映像が浮かんでくることが多い。人の顔とかは分からないんだけど。そういう彼の緻密な描写が好きだ。
例えば、『誰も知らない』にも収められている、『ねこキラーの逆襲』の中の小説「クリスタルパレス発」で、ツバメという名前の女の子はビルの屋上から空を飛ぶために風の音を聞いている。

【現実との境界が分からなくなってくる】
長編『ねこキラーの逆襲』では、小説の中に小説がいくつもある。
それは、小説を書いている主人公の話だからなんだろうけど。
小説の中で、作品内の小説について登場人物が語られるそして、作品内小説もさらに現実パートと幻想パートがあったりして、たくさんの層がある。後半に行くと、作品内小説の中の登場人物が作品中の現実の登場人物にも影響を及ぼす。

ついでに「ここで出てくる「夏祭り競作企画」は、実際にsagitta君が開催しているイベントで、僕も参加しています。今年もやるみたいなので、ぜひ足を運んでみてください。」(ブログ内あとがき)ということで、ここは作者を直接知っているからなんだろうと思うけど、半ば作者の現実も取り込まれているので、完全に混乱してくる。
まあ、ここは私の特殊事情によるものだけど、そうでなかったとしても、小説内小説について語る「クロ」のような登場人物によって、小説の世界に取り込まれていってしまう気がする。

*****リンク***********
・『誰も知らない』kindle
http://t.co/a1r1lk2ilX

・『ねこキラーの逆襲』(週1更新中)
http://mizunosoko.hatenadiary.jp/archive/category/%E3%81%AD%E3%81%93%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2

・「クリスタルパレス発」
http://mizunosoko.hatenadiary.jp/entry/2015/06/26/180000

・ブルー^3
http://www.geocities.jp/sagitta_t/maturi5/akaikawa.html

・競作小説企画「第九回 夏祭り」
http://www.geocities.jp/sagitta_t/maturi9/

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