とろける。

感じたことや、思いついたことを書いています。

まあそうなりがちだよねと思うけど、これから先もそれでいいとは思わないことがたくさんある

2017-05-17 09:45:38 | 考えていること
経緯や歴史からこのような現状があることを理解はできても、納得はできないことがたくさんある。
これまでそうだったのはもう仕方ないとしても、これからもそうだったらいやだ。
過去の人が我慢したものを、未来の人まで我慢することはない。
なんてことを最近思っている。


最近そう思った例をいくつか書いてみよう。

服装について、男性が女装しているととやかく言われるのが嫌だなと思った。
そもそも、女装とか男装とか、楽しくて言いたい時以外はいらない言葉じゃないかと思う。着たい服を着ればいい。女とか男とか関係ない。
便宜的に、男女で体型の傾向があるから、主に女性向きの服、主に男性向きの服というのが作られて売られているのは分かる。
しかし、スカートやハイヒールを履いて化粧をしている人は、女装をしているのではなくて、単にスカートやハイヒールを履いて化粧をしている人だ。
わざわざ女装と言わなくてもいいのではないか。もしその人が女性の装いをしたいという気持ちで本人が女装と思っているのはかまわないけど他人が女装だとか言う必要はない。

同じようなことを子どものおもちゃ売り場でも思った。先日行ったお店は「男児向け」「女児向け」とおもちゃが別れて置かれていたので、とても驚きショックだった。
そんなことをされたら、車の好きな女の子やかわいい人形の好きな男の子は欲しいものを買いづらいじゃないか!
例えばトミカはトミカであって「男児向けおもちゃ」ではない。
男児とか女児とか分けずに、「のりもの」とか「人形」とか内容でどこに売っているかを示してくれたらいいのにと思う。

立場の強い人がそうでない人を従わせようとするのも嫌だなと思う。
例えば、年上を敬えという文化が嫌だなと思った。
年上であろうと同い年であろうと年下であろうと、敬いたい気持ちになったら敬うし、この人は嫌だなと思ったら敬いたくはない。
「年上を敬え」というのはたぶん年上の人が言うことが多いのだろう。好む好まないにかかわらず、年上を敬う振る舞いをさせられてきてようやく年上になって敬われたいのではないかなんて勘ぐってしまう。
最近は代々取り組んでいる農業や工芸に取り組むことは少ないから、経験を披露する場がなくて敬われる機会が少なく、自分が認められていないように感じたりもするのだろうか。
とは言え、年上を敬え、年上の言うことに従えというのは暴力的なことだと思う。

子どもは親のものみたいな時代もあったかもしれないが、親と子どもは別の人間だし、親と子どもは他人だと思って接したほうがいいと思う。
他人にしないことを子どもにするのはおかしい。

出る杭は打たれても仕方ないとか村八分とかも、そんな伝統があったかもしれないが、なくなってほしい。それは、ただの妬みや嫌がらせだと思う。


多くの人を違う振る舞いをする人や、力を持っている人に従わない人を、強制的に多数派に従わせようとする文化や伝統は、残すべきものじゃない。

伝統行事とか学校とか、一律で、全員を何かに強制参加させるのは、違う価値観の人を殺してしまうと思う。地域のお祭りや宗教も全員参加はおかしいと思う、やりたい人だけでやればいいし、それで今の規模が維持できないなら、その程度のものだと思う。

過去も、現在も、たくさんの非多数派の人が否定的な扱いをされて、それが仕方のないこととされている気がする。
まあそうなりがちだよねと思うこともあるけど、これから先もそれでいいとは思わない。

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