最近、なんの仕事をするか決められない。
仕事以外でも未来に関わることがなかなか決められない。
決定を少しでもあとに送りたくなる。
何かやってみたいことに出会ったときに、飛びつけないのはいやだから、長期の仕事には就きたくないなーとか。
でもその考え方は、やってみたいことが外からやって来ることを前提にしているし、それは自分と関係ないタイミングで進むかのようだ。
これは自分の過去への認識がちょっと歪んでいたから引き起こされたようだ。
熊野で廃校になっていた九重小学校をカフェにする人に応募して、それをやれたときのことを本当にタイミングばっちしなラッキーなことだと思っていた。
それは確かに、カフェも、いなか暮らしも、大工仕事もやってみたくて、ちょうど仕事を辞めたあとで絶好の機会だった。
でもたぶん、これにめぐり会わなくても他の何かに出会っただろうし、出会えたのは「何をするか」までは見えてなくとも興味のある方向がはっきりしていて、かつそれを探すためにごそごそできるゆとりがあって、あちこち行ってみていたからだ。
別にぼけーっとしていたら舞い込んできた話ではない。
だから、「めったにないチャンスを逃さないように待ってる」みたいなことをする必要はないし、いまいち方向性が見えていないときに待ってみても仕方がない。
自分のタイミングで動き出せば、何かしらに出会える。
なんてことに気づいたりしてました。
仕事以外でも未来に関わることがなかなか決められない。
決定を少しでもあとに送りたくなる。
何かやってみたいことに出会ったときに、飛びつけないのはいやだから、長期の仕事には就きたくないなーとか。
でもその考え方は、やってみたいことが外からやって来ることを前提にしているし、それは自分と関係ないタイミングで進むかのようだ。
これは自分の過去への認識がちょっと歪んでいたから引き起こされたようだ。
熊野で廃校になっていた九重小学校をカフェにする人に応募して、それをやれたときのことを本当にタイミングばっちしなラッキーなことだと思っていた。
それは確かに、カフェも、いなか暮らしも、大工仕事もやってみたくて、ちょうど仕事を辞めたあとで絶好の機会だった。
でもたぶん、これにめぐり会わなくても他の何かに出会っただろうし、出会えたのは「何をするか」までは見えてなくとも興味のある方向がはっきりしていて、かつそれを探すためにごそごそできるゆとりがあって、あちこち行ってみていたからだ。
別にぼけーっとしていたら舞い込んできた話ではない。
だから、「めったにないチャンスを逃さないように待ってる」みたいなことをする必要はないし、いまいち方向性が見えていないときに待ってみても仕方がない。
自分のタイミングで動き出せば、何かしらに出会える。
なんてことに気づいたりしてました。