録画していた「新・映像の世紀 時代は独裁者を求めた」←を観た。
ドイツ国民がどうしてあのヒトラーを認めたのかが知りたかった。
第一次大戦後のインフレで全国民が悲惨な状況下にあったドイツでヒトラーの演説を聞いたドイツの名門一族のワーグナーは「第一次大戦後 新しい民俗共同体によって私たちを救うと約束してくれた。彼の思想と理念にみんな感激してしまった」と語り、アメリカへコンサートツアーに行った折 自動車王ヘンリー・フォードにヒトラーへの支金援助を依頼したという。他にもリンドバーグの名前も出てくる。
国会でのナチス党の議席は過半数にも達せず連立政権だったにもかかわらず、本来通るはずのない「全権委任法」がなぜ可決されたのか、当時の映像とともに映し出されている姿を観ることができた。
全権委任法は内閣があらゆる法律を国会の採決を経ずに決定できるという議会制民主主義の死を意味するものだった。しかしヒトラーは国会をヒトラーの親衛隊、突撃隊で取り巻き暴力をちらつかせ、たくみに野党を取り込んでいったと語っていた。
この法律成立後4ヶ月でナチス以外の政党は禁止された。
強い指導者の誕生に知識人も歓迎した。20世紀最大の哲学者マルティン・ハイデガーはナチス党に入り大学でヒトラーへの最大級の賛辞を送ったという。
独裁者がふりまいた夢と恐怖という章では、疲弊したドイツ国内でヒトラーは世界で初めて7000キロに及ぶ高速道路作りを失業者対策としてに取組み、金持ちのものだった自動車を国民も乗れる国民車へと自動車工場を建設。フォルクス・ワーゲンもそのひとつだった。
労働者たちはみな家を建て週休二日制週40時間 福利厚生なども整っていった。このような状況でもう誰もナチスのことを批判するものはいなくなった。
そんな中ユダヤ人の公民権をはく奪、選挙権を奪いドイツ人との結婚の禁止を内容とするニュルンベルク法が作られたが、奇跡的な経済成長を前にユダヤ人迫害に加わるものまでも現れたという。
反ナチ運動家マルティン・ニーメラーの言葉が心に残った。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。
ナチスがユダヤ人を連行していった時、 私は声を上げなかった。 私はユダヤ人ではなかったから。
そしてナチスが私を攻撃したとき、私のために声を上げるものは誰一人残っていなかった。」
第二次世界大戦終結時 連合軍最高司令官のアイゼンハワーは「将来このひどい行いがありもしないでっちあげだと言う人が現れたとき、自分がこの目で見た証拠を伝え残すためにも」という思いでユダヤ人の強制収容所をみた。
そしてドイツ人たちにも収容所を見学させた。女性は気を失い、男性は顔を背け「知らなかったんだ」という声が人々から上がった。
すると解放された収容者たちは怒りをあらわにこう叫んだ
「いいや あなたたちは知っていた」(全裸でがりがりにやせ細った収容者たちの後姿が映っている)
殆ど録画した文中の言葉をメモした内容だが、これだけは自分が忘れないためにも残しておきたいことだった。
戦争がこうして起こって行ったのか・・・・と 言葉にならない重いものを感じた。残されていた数々の映像も深く焼きついた。
今、私たちも「知らなかったんだ!」というような声をあげることのないようにしなければと。
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