迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

小さい秋。

2018-10-05 23:09:04 | 浮世見聞記
晴天に縁のないこの頃の空を見上げると、柿の木にまだ小さいが、実の成っているのを見つける。

世上の混迷にはまったく関わりなく、草木は四季に身を委ねて生きてゐる。


無駄な情報が、

浮世を混乱に陥れる元凶なり。

またそれにまんまと乗せられる人間も、然り。


無心になることは、難しいのだらうか。



自分の気持ちに合致した本に巡り逢へた時、

自分の気持ちに合致した“型”を、扇を片手に生み出した時、

私はたぶん、無心になってゐるはずだ。


浮世の雑音を遮断するか、それを超える心境に至らなければ、ヒトは“オトナ”にはなれないのだらうか──



柿の実はしっとりと濡れた姿で、ただ答へずにゐる。
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