悲壮感を演出して不安ばかりを煽り、顰めっ面で嘆息してみせる報道屋の横で、街へ出勤せざるを得ない人々に「まだやってるんですねぇ……」などと呆れた聲を発する“評論家”なる老風見鶏──
時おり映る見所(けんしょ)の人々の、マスクを着用してゐる姿が時節を反映して生々しいが、舞台で演じられてゐるのは六百年経っても鮮度を失なはぬ、生の笑ひ。
賞味期限の短いキワモノどもがその無能ぶりを曝け出して憚らぬ愚物番組──
挙げ句に身内から支那疫病感染者を出す──
“娯楽の王様 ”がそんなお粗末ぶりでは、なるほどみんな外へも出たくなるわな、と苦笑ばかりなその情報媒体のひとつで、珍しく狂言を放送してゐた。
時おり映る見所(けんしょ)の人々の、マスクを着用してゐる姿が時節を反映して生々しいが、舞台で演じられてゐるのは六百年経っても鮮度を失なはぬ、生の笑ひ。
かつて生きる道を見失なひかけてゐた私に再び道を示してくれたのが、日本の傳統藝能だった。
その時の“目覚め”がいまの私につながってゐるわけだが、今回は大藏流狂言方が紡ぎ出す巧まぬ笑ひに、心和むひとときを過す。
アンタもさういふものを演じなアカンで──
一流の舞台は、
一流の反省材料なり。