上野の東京國立博物館「東洋館」にて、紀元前945年から同730年頃にエジプトで發掘されたミイラを見學する。
(※商用目的でない場合に限り、フラッシュ禁止で撮影可)
ミイラは生前、パシェリエンプタハと云ふ名の青年であり、死後に”永遠の命”への祈りをこめてミイラに仕立てられた云々。
(※同)
太古の昔より、ヒトは“死”と云ふ宿命を恐れる生き物であり、その逃れ難きから少しでも逃れやうと、死してなほ生前に近い姿を殘さうと知恵と技術を尽くした──そのひとつの表現(あらはれ)が、ミイラだったのではないか。
一方で、土葬後に皮肉にも保存條件が良かったがために、屍蠟化した姿で後世に發掘された例を、國立科學博物館に展示されてゐる江戸時代の日本人女性より見る。
ともに發掘された座棺に座ったままの姿で保存された女性の、生前のまま結はれた白い頭髪は、亡くなったその日までの人生のすべてを語りかけてゐるやうに聞こえ、その守られるべき尊厳は、傍らの注意書きにかかはらず、無闇に冩真に撮るべきものではないと理解する。
永遠の命を求めて保存された骨體と、自然の摂理ゆゑに保存された骨體──
そのヒトの望みや運命とは結局のところ、「カミのみぞ知る」、と云ふことか。
私が遠い遠いいつか、いよいよこの浮世を去るときは、何も遺したくはない。
「何も殘らないはうがいいんだよ……」
とは、いまは故人となった能樂師が藝について“殘した”言葉だが、今回二例の木乃伊に會って、その意味がなんとなく解るやうな氣がしてきた。