ラジオ放送で、觀世流「井筒」を聴く。
死後もなほ在原業平を想ひ續ける女の究極の愛が、旧在原寺跡を舞臺にしっとりと展開される、世阿彌晩年の名作。
女が業平形見の冠直衣を身に付けてまで昔を想ひ、待ち續けるのは、生前に結局は業平を最後まで待つことが出来ず、折から言ひ寄ってきた他の男に身(からだ)を許してしまった後悔からとも考へることが、後シテが謠ふ「真弓槻弓(まゆみつきゆみ)年を經て……」に窺へる。
心ではあくまでも都で官途に就いたきり三年も帰って来ない在原業平にあるものの──しかし業平は都でほかの高貴な女性にちょっかいを出してゐる──、運命のイタズラでその想ひを身(からだ)が貫徹できなかった心殘りが、“井筒の女”の靈の正体なのではないか──
女は「待つ」と云ふ未練をこの世に残し、しかし成佛することは望まない永遠の秋を自ら選んで、今日も在原寺の跡で、誰かを待つ。