周知の通り、東京湾のお台場は江戸幕府が治世も末期に差し掛かった1853年(嘉永6年)と1854年(安政元年)の二度に分けて造った、国防要塞の一種。
現在は人工の砂州で繋がっていて歩いて渡れる“第三台場”(上段写真)と、完全立入禁止の“第六台場”↓
の二つが国の史跡として現存していますが、もともと造られたのは七つで、昭和14年に一部を残して埋め立てられた“第四台場”と、海底での基礎工事の段階で中止となった“第七台場”以外は(いづれも後述)、昭和30年代まで東京湾に完全な姿で遺っていました。
しかし、戦後の高度経済成長による再開発で東京湾の埋め立てが進み、その波に呑み込まれるようにして、台場は壊されて姿を消してしました。
そこで、姿を消した第一、第二、第四、第五、第七台場の跡地を、訪ねてみることにします。
現在は人工の砂州で繋がっていて歩いて渡れる“第三台場”(上段写真)と、完全立入禁止の“第六台場”↓
の二つが国の史跡として現存していますが、もともと造られたのは七つで、昭和14年に一部を残して埋め立てられた“第四台場”と、海底での基礎工事の段階で中止となった“第七台場”以外は(いづれも後述)、昭和30年代まで東京湾に完全な姿で遺っていました。
しかし、戦後の高度経済成長による再開発で東京湾の埋め立てが進み、その波に呑み込まれるようにして、台場は壊されて姿を消してしました。
そこで、姿を消した第一、第二、第四、第五、第七台場の跡地を、訪ねてみることにします。