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病と医術の歴史 24: インド 4

2014年03月30日 | 連載中 病と医術の歴史

< 1. 釈迦 >

紀元前6世紀頃に活躍した釈迦は病とどのように向きあったのか?
そこには新しい息吹が見える。


当時の釈迦について
当時、主流であったバラモン教は神への帰依-供物と儀式―が中心であった。
新しい救い求めた釈迦は、多くの弟子と共に集団生活をしながら村々を巡り、教えを説いた。
この出家者集団は、あらゆる階層、男女が参加し、働かず、乞食(こつじき)し、財を持たない質素で平等の生活を行った。
釈迦が決めた規則を守ることが、集団に帰属出来る唯一の条件だった。
この規則が、弟子達に数百年の間、口頭伝承され、教典となったのが律蔵です。



< 2. ウコン: 薬剤、カレー粉 >

律蔵から当時の様子が覗える。抜粋・要約です。

「ある出家者は病を患った。色々、皆が彼を看病したけれども直らなかった。彼は豚の場に往き、生肉を食べ、血を飲んだ。それによって彼の病気は和らいだ。釈迦は言った、『私は、の病気には、生肉やその血の食用を許す』」

「私は医薬として根類(ウコン、生姜、菖蒲の根等)の使用を許す。これらは食欲をそそり風味を添えるが、それを健康な者が食べてはならない。もし必要もないのに食べるなら罪を犯すことになる。」

「アーナンダーよ、私は不調なので下剤を飲みたい。アーナンダーは、ジーヴァカに相談した。その医者は釈迦の体に数日間脂肪を塗りなさいと指示し、軽い下剤を与えた。医者は釈迦に、完全に回復するまで、流動食を控えた方が良いと言った。そして回復した。」

釈迦は、当時の進んだ医術を知っており、積極的に取り入れた。
彼には、病はタブー違反や神罰によると言う観念はなかった。
また名医ジーヴァカと親交があったことがわかる。



< 3. 地図 >



< 4. タキシラ遺跡、紀元前6世紀以降 >


伝説の医者ジーヴァカについて
彼はマガタ国の首都で活躍した名医で、王の治療にもあたり、釈迦の侍医でもあった。
彼の出自は低かったが、タキシラの医師に弟子入りし、チャラカ・サンヒター医学を学んで帰国した。
彼はなぜ遠いガンダーラの首都に行ったのか。
当時、西北にあるガンダーラはペルシャ文明の影響下にあった。
一方、バラモンのイデオロギーが浸透しているマガタ国では、新しい医術の修得は困難だと彼は考えたのだろう。




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